心はマリー・アントワネット

見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

SPIN Wilco interview 2019/9/25 その3

SPIN:あなた達が多くのテリトリーをカバーしているのは事実ですが、あなたのソングライターとしての感性やバンドのメンバー全員がプレイするやり方には何かはっきりした、確固としたものがあります。私は、Wilcoアイデンティティが以前よりも感じられにくくなっているリスクというようなものをアルバムから感じたことがありません。「いや、これはWilcoじゃない」と感じるようなことに挑戦してみて、その後に見送るようなことはありますか?

 

トゥイーディ:気持ちよく演奏できないようなものをアルバムに入れることはある。そして演奏する方法を探して悪戦苦闘する。だってそれを征服したいからね。オーディエンスの要望やアンサンブルに合わないとかの理由で見捨てることもあるけれど。

 

クライン:または、セットリストに合わない、という理由だったりね。ひとつ予測できることは、今まで、少なくともこの15年、私たちがライブをやると大筋ではロックになるんだ。結局はね。ほんの束の間、ただトラブルを忘れて自由の身になり、ここではないどこかへ行く。その結果として、オーディエンスから見たらとてもまわりくどいルートを通らないとセットリストに入れるのが難しい、ちょっと変わった奇抜な要素がたくさんあると思うんだ。ジェフは毎晩ホットなセットリストを作るために奴隷のように働いている。それはチャレンジと楽しさを同時に追求し、最終的にカタルシスへと至る道を作るための努力なんだ。

 

トゥイーディ:それは俺が心の中で常に感じている苦闘だよ。俺は、デリケートでニュアンスに富んで繊細な曲を書きたいと強く思っている―このすべてがいいライブに必要なわけではないけどね。

 

クライン:そういうのが私が好きな歌だよ。

 

トゥイーディ:俺もそうだよ。そして、それが俺が気を使うことのすべてで、俺たちがやることのすべてだったとしたら、俺たちは今とは全然違うスタイルのライブをやっていただろうな。でも俺はたくさんの人たちがひとつの場所に集まっているのを見ると大いに責任を感じるんだよ。「Oh,No! 皆が俺を見てる! さあ、俺たちが当然期待されていることは…」みたいに。でも俺たちには実際それができるのさ。俺たちはなかなかたいした音楽をやることができて、大騒ぎして盛り上がることができて、その結果皆が笑顔になる。俺は皆に背中を向けたくない。絶対に。他のアーティストたちが冷淡で出し惜しみしてるって言ってるわけじゃないよ。そういうことができない人もいるし、それでいいんだ。そういうことを拒絶する人もいる。それは単に俺にはない自制心があるからだよ。

 

SPIN:新譜の曲のほとんどはかなり繊細ですぐに理解することが難しく静かですね。明らかなカタルシスは極めて少ない。ライブで、オーディエンスの前でこれらの曲を演奏したらどんな反応が起きると思いますか?

 

トゥイーディ:俺たち自身が曲の背後に隠れるような形になると思うんだ。俺たちは、自分たちのことについても、どうやって演奏を形作るか、どうやってパフォーマンスでアーチを描くかについても多少は学習してきた。俺の予想では、新譜の曲を演奏するには努力が必要だろうな。新しい曲をまとめてやるにせよ、この演奏のスタイルに合うような他のアルバムの曲と同じグループに入れるにせよ。そしてカタルシスはアンコールか何かに取っておく、とか。多分、過去にやってきたことよりもほんの少し控えめになると思う。文句を言う人たちもいるだろうね。そして5年以内には彼らもこう言うのさ。「なんてこった、Wilcoはまたロックしてるぜ! Let's go!」って。

 

クライン:最初はチャレンジだと思うよ。私たちが今話していることがその理由だ。ダイナミクス(注・強弱の変化で音や曲の表情を変えること)と、広いスペースにたくさんの人がいるということ。でもこのチャレンジを全員が楽しみにしているよ。一種の逆バージョンは、ステージに出てきて「Star Wars」の完全再現をやることかな。かなりロックだよね。だから正反対のことをやるのもOKだと思う。

 

トゥイーディ:たとえば「OK、『Jesus, etc.』を聞きたいかい? まずは少なくとも30分、新譜からの曲を聞いてもらわないと」って感じかな。

 

SPIN:一方で「I'm Trying To Break Your Heart」のような曲は、静かさと荒涼とした感じにおいては新譜のいくつかの曲とそんなに違わないですよね。たくさんの人たちが毎晩聞きたくなるような共通する何かがあるのではないかと思います。

 

トゥイーディ:そうだね。その理由のひとつは、今までその曲を何回も演奏していて俺たちは曲の後ろに隠れた状態になっているからだと思う。そしてそれが俺が狙いとすることなんだ。過去に、バンドの中期の頃―それがどのくらい続くのかわからなかったけれど今はその時期は過ぎてしまったと感じている―、その頃は俺たちは今よりもっと自意識過剰で、ライブで新曲をやるときは一旦休憩みたいに感じていたんだ。結局俺は繊細な人間なんだよ。もしステージで心が傷つくようなことがあったら、もう次からはその曲はやろうとしない。そうして俺たちはたくさんの曲に早い時期から見切りをつけてきた。多分「Wilco(The Album)」や「Whole Love」ですらそうだった。いくつかの曲に関しては、見切りをつけるのがあまりにも早すぎたかもしれないな。

 

だけど「Star Wars」みたいなことをやって、同じようなことを「Schmilco」でもやって―今までよりも新しい素材のカタログから曲を取捨選択して提示するみたいなことを―それは俺にたくさんのことを教えてくれた。今そのあたりの曲をステージで演奏すると全く違うエネルギーが宿っている。それらの曲には固定ファンもいるんだ。

 

SPIN:新譜のタイトルはベートーヴェンと関係があるんですか? 

 

トゥイーディ:いや、単にドイツ文化の流用さ。

 

SPIN:Wow。完璧ですね。

 

トゥイーディ:「Ode to Joy」は、ある曲の仮タイトルだったんだ。「Bright Leaves」か「Before Us」のどちらかだったと思う。それがアルバムのタイトルになったんだ。ある時思ったんだよ、「この曲をこのタイトルで呼ぶことはできないな」って。「Star Wars」や「Schmilco」みたいなものだよ。皮肉か、またはこの作品をなんとかして売ろうとしていると捉えられるかもしれないね。

 

たくさんのいろんな理由から前作2枚の売り上げが悪かったことが俺の心に訴えるものがあったんだ。近年、アルバム発売のサイクルが全体的に短くなっていることを、俺は本当に腹立たしく思っている。他の多くのバンドが、新しいアルバムを出すことでさっき君が言った「バズ・サイクル」ってやつを生み出そうと奮闘しているのも実際に目にしてきた。俺はその動きには加わりたくない。「Wilco, Schmilco, くそくらえだ。俺をツアーに出させてくれ」って感じなんだ。

 

でも今回のアルバムは、競争相手よりも安売りしようとすることには意味がないと思う。俺たちにとってとても意味のある作品なんだ。前の2枚がそうじゃないってことじゃないよ。あの2枚も同じように意味があった。でも今回のアルバムはもっと、俺たちにとって重要な、俺たちの一部になるように思う。前の2枚よりも重要だ、とは言いたくないけど、なんて言ったらいいか、よくわからないや、本当に一生懸命トライしたんだよ!

 

SPIN:いつもより?

 

トゥイーディ:うん、いつもより一生懸命やったと思うよ。

 

クライン:それと私たちは活動停止していただろう? この約2年間でたくさんの物事が低調になった。ある程度プライベートな部分もだけど、特に世の中のいろんなことがね。だからこのアルバムは、世の中の雰囲気が変化したことの極めて重要な側面であり、もしくは、以前には大げさでいい加減な大騒ぎに見えていたことを受け入れたということなんだよ。

 

トゥイーディ:賭け金は以前より高くなっていると感じるね。そして俺たちが前の2枚のアルバムに「賭け金が低い」という雰囲気を作り出したことが、この2枚のアルバムに有害だったと思うんだ。おそらくこの2枚には一部の人たちが思っているよりもずっとシリアスなものがあるんだよ。

 

クライン:私にとっては「Schmilco」はシリアスなアルバムだよ。ジェフが言っていることはよくわかる。このタイトルがアルバムのスケールを小さくして「これは俺たちの大きな新しい声明だ。確実に君の人生、他のたくさんの人々の人生を変えるだろう」と言わないようにしているんだ。

 

トゥイーディ:「Wilco, Schmilco」がしっくりくるのは、このアルバムの曲の多くが、何らかのアイデンティティを取り去って自分自身を生み出すためのスペースを維持することについて歌っているからだ、という気がするね。経験豊富なロックバンドとしてそういうことをやるのは永遠に難しい。俺が「Ode to Joy」でやろうとしているのはそういうことなんだろうと思う。新しいアルバムでは、他のアルバムよりも音楽的に一生懸命トライしたとは思わない。俺たちがトライしたのは、まさに「自分を生み出す」ことだったんだ。「Schmilco」はそのことについてコメントしたんだけど、「Ode to joy」では実際にそれを実行したのさ。

 

(終わり)

SPIN Wilco interview 2019/9/25 その2

SPIN:ジェフ、あなたは以前、他の人たちが作った音楽に対する熱意を維持する重要性について話していましたが、どうやってそれをやっているのですか?

 

トゥイーディ:とても単純なことだよ。もし君が子どもの頃の俺に「毎週金曜日に発売されるシングルを、ほとんど全部、実質的に無料で聞くことができるよ」って言ったら、俺は正気ではいられなかっただろうな。当時の俺は音楽について雑誌で読んだことを調べるためにとてもたくさんの時間を費やしていて、行きたいと思ったほどレコード屋に行くことができなかった。情報を得る手段がなかったんだよ。

 

俺は、他の人たちが作った音楽に熱狂する心を持つ、いまだに俺の中で生き延びようとしている15歳の自分に敬意を表したい。だから毎週金曜日は座って一日中レコードを聴いてるんだ。少しはリサーチもしなきゃならないし。ストリーミングサイトは発売されたものを全部教えてくれるわけではないからね。彼らはほんの少し手を加えているから。でも素晴らしいよ。ガース・ブルックスの新譜がどんな感じなのか一銭も払わずにチェックできるんだから。何だってディグれるんだ。

 

(ストリーミングは)アルバムのジャケットだけを頼りにレコードを買って家に持って帰って得るあの驚きをもう一度作り出す効果的なやり方なんだ。いつも俺はまだ聞いたことのない、どこで誰が作ったのかわからないたくさんの曲を発見するんだ。ほとんど毎週金曜日、すごくエキサイティングになっている。俺にとっては奇跡みたいなものだよ。

 

SPIN:私が知っている多くのミュージシャンたちの間では、そういう奇跡的な感覚―今までに作られたすべての音楽をリスナーとして手に入れることや、ミュージシャンとして世に出すことができるという―と、かつて人々が生計を立てていた主なやり方の一つをしゃぶりつくしてしまう、という認識の間で意見の対立があるように思います。ストリーミングの成長はミュージシャンとしてのあなた達に物理的な影響がありましたか? また、バンドとしてのWilcoのやり方に変化はありましたか?

 

トゥイーディ:明らかにストリーミングはいろんな点で音楽業界を大きく変えた。でも俺はいつも、物事が変化するときに悲観的な予想をするのは気が乗らないんだ。何らかの方法で、どこかの時点で、もっと公平であるべきだと思う。でもそれを眺めているのは奇妙な感覚でもある。かつて、ある曲がラジオでオンエアされたとき、何人の人がそれを聞いているのかはわからなかった。ある程度推測はできたけどね。ストリーミングにおいて、ラジオのトップ40で1日に3回オンエアされることに相当するのは何だろう? 100万再生? そしてもし1再生ごとに分けるなら、それはラジオのオンエアとどう違うんだろう? 明らかに、もうレコードは買わない、という人たちもいる。それはとても大きな変化だ。ラジオはレコードを売る宣伝のために曲をかけていた。そしてストリーミングはレコードを売る宣伝になるとは思えない。

 

でも制作の手段がすべての人々の手に渡った、ということも併せて受け入れる必要がある。俺が子どもの頃はレコーディングスタジオに入るなんて全くの問題外だった。でも今、俺の息子たちは、彼らが「俺の」息子でなくても、レコードを作ることができる。実際に作ってるよ。2人ともレコードを出してるんだ。彼らはレコードをbandcampとApple Musicにアップしている。俺が子どもの頃と比べたら民主的な光景だよ。それにこれも言っておかなくちゃならないけど、俺が子どもの頃と比べたら、今はライブをやる場所も多くなっている感じなんだ。

 

だから俺は音楽に関しては決して心配していない。音楽はこの先も繁栄する。アーティストも繁栄する。人々はブレイクスルーする方法を見つけるだろう。わからないけどね(注・ジェフはよく口癖のように「I don't know」と言いますが、これは関西人の「よう知らんけど」みたいな感じかなあと思っています)。でも思うんだけど、皆が俺の音楽にアクセスしやすくなるんだよ。ギターの形のプールを家に作るよりずっと簡単にね。言ってることわかるだろ? 俺たちはそれが実際に可能な時代の最後の最後に来ているんだ。バンドが重くて大きいレコードを出すことができる時代のね。

 

SPIN:Wilcoのファーストアルバムから24年、ネルスの加入から15年ですが、あなたたちはいわゆる「バズるサイクル」の完全に外側にいますが、ひじょうに根強い、忠実なファンがいますよね。バンドとしてやっていく上での体験は初期の頃と今とでは違うように感じられますか? 今の方が良くなった? 失ったものはありますか?

 

トゥイーディ:いろんな理由があるけれど、俺の目から見たら全体的に良くなっていると思う。Wilcoは実際バズったアルバムは1枚しかない。いや2枚かな、多分。俺は常に自分はクールなキッズたちにとって重要なものからは少しだけ外れているな、と思ってたよ。他の人たちがどう思ってるかはわからないけどね。でもUncle Tupeloだって、あの頃は全然クールじゃなかったんだ。Dinosaur Jrなんかのあの界隈のバンドと比べたらね。

 

そうは言っても、単純にいつも同じことをやって忠実なファンに受け入れられたいなんて俺は思わない。俺は全てのアルバムと、全ての曲を演奏できるような可能性を見渡して、注意を引くことが可能な限り多くの人たちに手を伸ばしてつながりを持てるようにしている。そうでなければどんな意義があるのかわからないよ。俺は思うんだけど、バンドのすべての時期において、古いファンを失う危険を冒しても、新しいファンに手を伸ばす努力をするべきなんだ。

 

SPIN:この10年かそこら、古く忠実なファンを失うリスクを冒していると感じた瞬間があったんですか?

 

トゥイーディ:彼らが去ってくれないかと思った瞬間が何回かあるよ。

 

クライン:私が加入したとき君がこう言ったのを覚えてるよ。新しいアルバムを出すと一定の人数が逃げ出していく。代わりに新しい人たちが入ってくるんだ、って。今それが本当かどうかはわからないけどね。

 

トゥイーディ:今では本当ではないね。今は何が起こってもついてくる一定のファンがいる、って感じだ。彼らは条件づけられてるんだ。そうでなければ、彼らがバンドについて気に入っていることは「いつも同じ」ではない、ということなんだろう。実際俺たちは「いつも同じ」ではないしね。

 

クライン:それに今では家族全員でライブに来る人たちもいるね。今までは見たことがなかったよ。

 

SPIN:私は以前両親と一緒にWilcoのライブに行ったことがありますよ。

 

トゥイーディ:それは微笑ましいね。そういうコミュニティでは問題を起こしようがないだろう? 世代間を繋げる橋があるんだよね。でもそれは不自然な状態なんだ。たとえば、誰かの家族の一部になるような「何か」と競合するようなアートの新しい欠片をもって、自分自身に挑戦し自分自身と競合する。たぶんそれが、ごく一部のオーディエンスと繋がることを拒絶する大きな理由のひとつなんだよ。俺はその状態でいることが快適だと感じすぎないようにしているんだ。そこよりも先の地点にたどり着きたいからね。

 

(続く)

 

SPIN Wilco interview 2019/9/25 その1

昨年9月に発表されたWilcoのインタビューを訳しました。元記事はこちらです。

 

https://www.spin.com/featured/wilco-interview-jeff-tweedy-nels-cline-ode-to-joy/?fbclid=IwAR3ugnQhmGryN1mCuQ2_bCIqYBBLrRxLtvJtb5RQsZ5qBjknJBwWULy_7FU

 

 

もしもあなたがWilcoに細心の注意を払っているファンではなかったら、きっと彼らは何かの冗談をやっているのだと思っただろう。2015年、彼らは同時代の偉大なバンドの一つとしてすでにレガシーを勝ち取っているにもかかわらず、ジェフ・トゥイーディと彼の混乱したバンド仲間たちは9枚目のアルバムを「Star Wars」と名付け、ジャケットに家猫のキッチュなイラストを採用し、事前のプロモーションをすることもなくネットで無料配布したのだ。翌年、彼らは次のアルバムをもっとばかばかしいジャケットで出し、「Schmilco」―明らかに作曲上のヒーローへの同意(注・Nilssonのアルバム「Scmilsson」を意識している)―と名付けたが、それはWilcoと彼らのレガシーは注意深く取り扱うに値するものだ、という考えを鼻で笑うものだった。

 

この2枚のアルバムはコインの表と裏のようなものだ。1枚目は子ども時代の無限の可能性を切り開くような、調子はずれで釣り合いのとれないパワーポップ、2枚目は中年の視点から見た、過ぎ去った若かりし日々のメロウな瞑想。どちらもWilcoのカタログに加えるのにふさわしいアルバムだ。だがこの2枚を称賛しようとするなら、馬鹿げたジャケットやタイトル等のプレゼンテーションを通過したうえで実際に聞いてみなければならなかった。

 

「配当の低い賭けみたいな雰囲気を作り出してしまったことは、最近のアルバム2枚に対してはひどい仕打ちだったと思うよ」と、10月4日発売予定の11枚目のアルバム「Ode to Joy」の準備を進めている今となってはジェフも認めている。「Star Wars」同様に、アルバムの音とは全く関係のない権威ある芸術作品をほのめかすこの新譜のタイトルについて、彼にはなすすべがないように見える(注・「Ode to Joy」はベートーヴェン交響曲第九番の第二楽章「歓喜の歌」のこと)。このタイトルは以前の「Star Wars」がそうしなかったやり方で外の世界へと向かっている。この「Ode to Joy」というタイトルを、現代の私たちの時代に存在する「終わりの見えない社会の沈滞」に対してのまっすぐな反論だと解釈するのは容易であるに違いない。

 

新譜の音楽はより複雑な意味を示唆している。質感は希薄でリズムは根源的、騒々しい祝祭というよりも暗い瞑想だ。「Ode to Joy」は、Wilcoのキャリアの後半において断続的に存在してきた「爽やかで人生に対して肯定的なルーツ・ロックバンド」(彼ら自身はその印象については幾分気が進まないようだったが)というアイデンティティから、彼ら自身をはるか遠くへと牽引してきている。このアルバムの象徴的な音は、実際にスティックの木目の音まで聞こえるくらいマイクを近づけて録音され、錯覚や喪失、再生へのかすかな希望についての静かな歌に対峙して確実に鳴り響くスネアドラムのビシッと打たれた音だ。リードシングルの「Love Is Everywhere(Beware)」を駆り立てるチャイム音の後で最も印象的なギターパートはキャッチーなリフや聞かせるソロなどではなく、マカロニウェスタンのサントラの中盤でフリー・インプロヴィゼイションのように溶解していく「何か」だ。

 

この「溶解」は、最近ニューヨークで新譜と2019年のWilcoの状況についてトゥイーディにインタビューした際に同席してくれたネルス・クラインによるものだ。もしあなたが十分に長い間彼らを追いかけているならネルスは新参者だと今でも思っているかもしれないが、現時点でWilcoは彼が在籍していなかった期間よりも数年長く、彼がいるバンドとして存在している。有名なフリーのエクスペリメンタル・ギタリストだったネルスは、Wilcoがトゥイーディを中心としたまとまりのない不定形なグループから、各地を飛び回る百戦錬磨の面々が継続的に所属するバンドへと姿を変えた2000年代中盤の時期の最後にバンドに加入した。そして彼ら自身が開催する毎年のフェスティバルと(注・Solid Sound Festivalは実際には2年に1回の開催)シグネチャー・ビール(注・バンドの名前を冠したオリジナルビール。LAのクラフトビール・ブリュウワリー、LAGNITASがWilco Tango Foxtrotというビールを作っている)を持つバンドに在籍していても、 ネルスはWilcoのライトなファンを当惑させるような、Wilco以外のさまざまな繋がりで演奏し続けている。(最近行われたフリージャズの創始者でもあるアントニー・ブラクストンとの4時間に渡るコラボレーションは最高にスリリングだった。)2007年の「Sky Blue Sky」から「Ode to Joy」までの6枚のアルバムに渡って、手に取って見ることができるような豊かな表現力にあふれた彼の演奏は、バンドの音にとってトゥイーディの明敏なソングライティングとほとんど同じくらい重要であり続けた。

 

トゥイーディ、クラインと話していると、二人は互いへの信頼と称賛で強く結びついた古い友人であることがはっきりとわかる。彼らはいたずらっぽく、ユーモアがあり、まちがいなく情熱的だ。まるで現代のアンダーグラウンドなミュージシャンが熱心に支持する80年代の「サタデー・ナイト・ライブ」のキャラクターについて馬鹿げた内緒話をしているかのように。このインタビューの間ずっと、彼らはWilcoのレガシーの重さ―ほんの数年前には投げ出してしまいたいようだったが、現在では一応落ち着いた―と、がっつり取り組んでいた。当然のことながら、彼らは、今やっていることは前の時代にやっていたことの追記だという考えには強く反発している。トゥイーディは今でも、「新しいリスナーを追求したために多くの長年のファンが離れていくこととなったWilcoのニューアルバム」という考えを楽しんでいるが、長きにわたって去っていかずにいるこの長年のファンたちは彼がどんなものを差し出しても喜んで受け入れる、ということも不本意ながら認めている。

 

(以下のインタビューは長さと明確さを編集しています)

 

SPIN:長年にわたってあなた達はたくさんのライブバンド・サウンドのアルバムと、どちらかというとスタジオで構築したタイプのサウンドのアルバムを作ってきましたが、今回のアルバムは後者のカテゴリーに入ると私には思えます。この読みは当たっていますか?

 

ジェフ・トゥイーディ:「Sky Blue Sky」がバンドで「Yankee」がスタジオ、ってこと?

 

SPIN:はい。私には「Sky Blue Sky」よりも「Yankee」に近いように思えます。

 

トゥイーディ:うん、俺はその両方に片足ずつ踏み込んでいると思うね。でも確かに後者の方は俺たちが一緒に集まってやることで意味を為すんだ。俺たちは今回の長期休暇を取った後に再び集まった。最初の俺の考えでは、6週間皆で一緒に徹底的に議論しながら土台からアルバムを作り出そうと思ってたんだ。でも皆、バンドの外で積極的に活動していたから、その6週間をいつ始めるか、少しずつ遅れていってたんだ。

 

2週間もたつと、俺はアルバムを土台から作る時間がとれるかどうか考えてナーバスになり始めていた。だからグレン(・コッチェ。Wilcoのドラマー)と一緒に基礎の部分を準備し始めたんだ。言うなればそれは単なる足場作りみたいなものだったんだけど、結局はそれがアルバムそのものになった。そして全員が集まってから、そのトラックの上に演奏を重ねていった。たくさんのオーバーダビングはバンド全体でやったんだ。

 

SPIN:アルバムの多くの曲が、この確固とした、シンコペーションでもなく弱まることもない、鼓動のようなタイプのリズムの上に構築されています。最初から美学的な見地をもってそのようにしたのですか?

 

トゥイーディ:グレンと二人だけで作業していた時、俺はドラムマシーンでデモをたくさん作っていたんだ。彼はそのデモに沿って演奏していたんだけど、俺にはどうもそれが効果的に思えなくてさ、つまり、普通の人が普通にドラムセットを叩いてる、みたいな部分がね。だから彼にハッパをかけてみた。二人で一緒に、ちょっとだけ、もっと自由な突破口を開いてみないか、って。「グレン、お前は自分が有能なミュージシャンで名プレイヤーだなんて誰かに証明する必要はこれっぽっちもないだろう? たった一発、ドラムを叩くことで、俺に対して何を伝えることができる?」って。彼はこのアイディアにすごく興奮したみたいだった。実際にドラムが鳴っているような音をどうやって録音するか、ということに、より多くの焦点を当ててみたんだ。まるで罰を与えているように響くドラムヘッドをどうやって手に入れるか…?

 1、2曲そういう風にやってみた後、すべての曲の解体作業は、できるだけ原始的に、音そのものへと向かっていった。誰かに認められるための音楽的な技能のショーケースになる意識や心配など全くなかった。

 

ネルス・クライン:その作業を始めたとき、君(ジェフ)が飾り気のないむき出しの音に向かおうとしていることが私にはすぐにわかったよ。実質的にシンバルを使わない、つまり持続する音をほとんど使わないということが、数多くのダイナミックな領域を開くことになったんだ。ジェフが説明した「何かに叩かれる音」はすごく理解できたし、ときにはそれは驚くべきものだった。

 

SPIN:ネルス、そのむき出しの飾り気のなさはプレイヤーとしてのあなたにどのように作用しましたか?

 

クライン:ある種の曲では、何をすべきか発見しようと私はいつも悪戦苦闘している。私が最初に反射的に思うことはいつも堅苦しくて厳格なんだ。私は脱構築(注・破壊し解体した枠組みの中からある要素を取り出して再構築すること)へ性急に向かったりはしない。だからジェフが、私が陥りがちなたくさんのいろんな習慣を取り去って、ポジティブな提案をして舵を取るのがよくあることなんだ。それは開放的で自由だと言えると思うけれど、同時に、私がやっていることは時には多分他の人にはギターだとわからないようなとても小さい音の毛布をそっと曲にかけているようなことなんだ。私のモットーは曲のためにはどんな作業でもやることだ。指を小刻みに動かすことだけを望んでいるわけではないよ。(ギターを弾くことを)曲のために機能させたいんだ。

 

トゥイーディ:君がギターを弾くのを俺が制止して、君の能力を十分に活用していない、と責めている批評を見たことがあるよ。それは当たっていないと思うね。そういう、表現力に富む演奏は自分のソロ活動でやってるだろ? まちがってるかもしれないけど、俺はいつも思ってるんだ。君がバンドに加入して間もない頃に感じたんだけど、君がWilcoのレコーディングに参加するときに本当に好んでいるのは繊細できめ細やかなやり方なんだ、と。

 

クライン:まさにそれが私の好きなことだよ。私は曲が生まれてくる過程が好きなんだ。曲が生まれて、それから出来上がるのが好きで、その過程が好ましく響くんだ。それは、私が曲に対してどんなアプローチをしたかで私の曲への貢献が自動的にわかる、という意味ではないよ。

 

SPIN:「We Were Lucky」はたぶん唯一の「OK、これがネルス・クラインのギターだ」という感じの曲ですね。

 

トゥイーディ:これは一番最後に書いた曲で、つまりこのアルバムにどうしてもカタストロフが欲しかったからなんだ。アルバム一枚を通して演奏がとても統制されていたから、俺はこの曲を…

 

クライン:少しだけクレイジーにしたかった。

 

トゥイーディ:そう、一斉射撃してるみたいにね。なにか狂気じみた感じに。それに、俺はネルス・クラインが曲を「ズタズタに切り刻む」(注・原文ではジェフは「shred」と言っています。シュレッダーのshred。うまく訳せなかったのですが、紙をシュレッダーにかけたときの、がーっと騒々しい音がして粉々になる感じかと思われます)のを聞きたかったのさ。

 

SPIN:誰が「ズタズタに切り刻んでない」んですか?

 

クライン:私だよ。いつもはね。私はこのアルバムのあのパートを楽しんでいるけど、自分の音楽をやるときは「ソロ」というものには懐疑的なんだ。ジャズと呼ばれる音楽では重要なことだけどね。ときどきスプロケッツのディーターみたいな気分になるよ。(わざとらしいドイツ語で)「おまえの話は退屈だ! 俺の猿にキスしろ!」(注・スプロケッツはアメリカのテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」でコメディアンのマイク・マイヤーズが持っていたコーナー。架空の西ドイツのテレビトークショーのパロディ、という設定だった)

 

トゥイーディ:それは文化の盗用だな。怒る人もいるよ。

 

クライン:うん、慎重にならなくちゃね。申し訳ない。

 

トゥイーディ:ドイツ人ってのはたぶんその件について心配しなきゃならない最後の国や民族だな。でも彼らはもう全部金に換えたと俺は思うけどね。

 

(続く)

Jeff Tweedy インタビュー  その2/ Rolling Stone 2020年7月

RS:声明を出してからどんな反応がありましたか?

 

Jeff:本当に、とても好意的に受け止めてもらえたことに勇気づけられたよ。今までも何回も社会的・政治的な議論に切り込んだことがあったんだけど、今回のようにうまくいったことがなかったんだ。でも今回の反応と、仲間からの支援や反応がなかったことにほんの少し失望したのは認めなくてはならないね。非難するようなことは決して言いたくない。なぜならこれは「俺が」発言したことなんだし、最良の考えだとも当然思えない。自分とは違う方向に進もうとしている「誰か」の連帯保証人になるのは難しいと思う。

俺が関わり始めたことについて俺たちは明らかに前進しているし、ブラックコミュニティのリーダーたちや、管理や運営を手伝ってくれたり財産の信託者による何らかの委員会的なものになってくれたりするような音楽業界の人たちと連携していけたらと思っている。まだ始めたばかりだし、短期的に見てもBMIと共にできる最善のことを話し合う機会はまだあるし、そこから始めたい。なぜならそこが今俺がいるところだから。この種のことをやるのを躊躇してきた理由の一つは、自分はこういうことが特別上手いわけではないと感じるからなんだ。俺は、そういうまとめ役的なタイプじゃないんだ。正直に言って今のところ本当にまだこの件に関しては学んでいる途中だし。

 

RS:今後の行動と進もうとしている方向についての声明を出す前にたくさんの人に相談したのではないかと思いますがどうですか?

 

Jeff:実を言うと、俺の声明を手引きしてくれて最初の段取りを一緒になって手伝ってくれたのはうちの息子たち、スペンサーとサミーだったんだ。彼らは二人ともこのコミュニティと理念に深く関与しているんだよ。他の多くの白人の人々同様、良き支持者であろうと努め、前進するための自分の役割は何かを理解しようとしているし、いろんな意見を聞いてフォローすることを推奨している。白人のアーティストにとっては、対話を始める者としてこの問題についてオープンに発言して取り組んでいくことが大事だと思うんだ。

 

RS:全国的なものにせよ音楽業界に特化したものにせよ、賠償というアイディアを認めて理解するようになったのは大人になってからですか? 20代の頃はこの件について何か考えていましたか?

 

Jeff:いつも何かしら考えていたよ。「たしかに、勢いよく前進する進歩的な理想にあふれた業界で、社会のいろんな立場の人々との融合のまさに最前線にいるんだし、音楽ビジネスには誇るべきところもたくさんあるよな、俺の考えでは…」みたいに。そういう点においては音楽業界が導いてきたことを誇りに思うこともできる。でも(差別の実態の)全体像に関わろうとしなければ、その誇りも長くは続かない。俺にとっては、その全体像はこの国で金融と経済において物事がどのように展開されてきたかが含まれている。

今現在、資本主義者の構造そのものに圧力をかける戦術や継続的な努力が存在する。そしてビジネスや産業に最大限の圧力をかけたりボイコットしたりすることを通じてこれらの諸問題に取り組む試みもある。選挙に基づく政治活動は基本的にとても動きが遅いから、それを避けた動きなんだ。ジョージ・フロイドと共に俺たちが生きているこの瞬間に、つまり彼の殺害後に起こったこの抗議活動に、俺が自分の声と発言できる立場を使わないことになんの言い訳もできない。今はそういうときなんだ。「皆わかっているだろう? 賠償することは素晴らしいアイディアなんだ」って。

 

RS:以前あなたは、この業界は今でも黒人アーティストにとって不平等な試合場だと言っていました。そのようなことが起きるのを、個人的にはどういう風に目撃したことがありますか?

 

Jeff:黒人アーティストが白人アーティストと同じようにはツアーができないのを実際に目撃したよ。彼らが同じ会場を利用できるなんて俺は信じていない。フェスティバルでさえも多くの場合「HIP HOP DAY」みたいに明示して巧妙に分断している。音楽業界は「HIP HOP DAYは6時までに終わらせてほしい」と望むような社会と戦うつもりはないんだ。俺が育ったのはセントルイスの近く、イリノイ州のベルヴィルという町で、イースト・セントルイスの隣で十分なサービスがないコミュニティなんだけど、そこにあった類のと同じ不公平だ。そこで育って、俺たちのフットボールチームがイースト・セントルイスのチームと試合をしたとき、それは絶対に金曜の夜じゃなかった。いつも土曜の午後だったんだ。こういうことと同じ種類の巧妙な支配と不信のコミュニケーションが、そのまま結果として今日の音楽ビジネスに存在しているんだ。(注・イースト・セントルイスは黒人の住民が98%を占め、スラム化した治安の悪い地域とされています)

 

RS:この時代に白人アーティストの仲間たちとどのようなコミュニケーションをしたいですか?

 

Jeff:白人アーティストたちが本当に取り組まなければならないことは、この社会のすべての人々が取り組まなければならない問題と同じだよ。それは「強欲(Greed 注・聖書の七つの大罪の一つ)」だ。「強欲」がこのたくさんのクソみたいな問題の中心にある。強欲が実際に君に何をもたらすかを考える君の心に、今すぐにでもちょっとした革命を起こさせようとしている。芸術や魂やアイディアのようなものの所有を主張し、それらを経済的な報酬と結びつけることが問題の根っこにあるんだ。強欲という問題に取り組みたいと思ったことが、俺の声明の一部にこの問題も入れたいと思った理由でもある。

 

RS:あなたはメイヴィス・ステイプルズと一緒に3枚のアルバムを制作しています。あなたの声明を読むと、ステイプルズが一緒にツアーをした白人のミュージシャン仲間たちに今でも頻繁に心を開いているかを考えずにいられませんでした。これだけの年月が過ぎていても、またそれがヴァン・モリソンボブ・ディランやブランディ・カーリーだったとしても。

 

Jeff:ほとんどすべての黒人ミュージシャンにとって、成功するためにはほぼ全面的に白人のオーディエンスを得ることが必要とされた。そしてこのことが俺たちがさっき話していたことなんだ。どんな種類の会場に出演できるか、彼らのブラザーやシスターたちがどの経済的位置に属しているか。彼らのコミュニティの多くはコンサートを進行させるのに十分な自由に使える可処分所得を持っていなかった。

 

RS:黒人アーティストたちは自分のレコーディングのマスターテープの所有権を負債としている、という話も最近ありました。(注・所有権を担保にして借金をしているため、借金を返せなかったら所有権を失ってしまう、ということかと思います。)非常に多くのアーティストたちが何百万ドルもの未払いの印税を失っています。

 

Jeff:皆が想像するよりも多い金額だよ。出版業界(注・この文脈ではレコード会社やテレビ局、映画産業等と思われます)は毎年何十億ドルもの金が動く世界なんだ。テレビをつけて2,3分コマーシャルを見てみて。テレビを1時間見るかまたは映画に行く―この国のカルチャーのエンターテインメントを何時間か見てみてほしい。そうすればほとんどすべてのこの国の芸術を通る1本のまっすぐな線を黒人コミュニティに向けて引くことができる。アメリカのカルチャーは黒人のカルチャーなんだ。このことについて発言するのは俺の立場ではないけど、印税の盗難は未だに取り組まれていない犯罪だということはリアルな現実なんだ。

 

RS:現在あなたが音楽業界の出版部門に特に焦点を当てているのは、この部門にとても大きい額の金が賭けられているからですか?

 

Jeff:うん、そうだね。俺にとっては「レッドライン(注・越えてはならない一線)」を越えることと同じなんだ。黒人兵士たちが第二次世界大戦から帰還したとき、アメリカが富を蓄積して貧困から脱出しつつあったそのときに、多くの黒人たちはその機会に恵まれなかった。なぜなら彼らは街の同じエリアに住居を購入することを禁じられていたから。彼らの富を蓄積する能力を抑える法的手段が存在したんだ。同様の、なかば法的手段と化した不公平なシステムが黒人アーティストたちに対して使われてきたんだ。

そう、だから、論理的な結論はこうだ。ビッグ・ママ・ソーントンがもしも正当に支払いをされていたら、この世界はどんなものになっていただろう? 奴隷制度から発生して多くの白人たちに莫大な富をもたらしたアメリカ最初の巨大な文化・音楽のムーブメントだったミンストレルショー(注・白人が顔を黒く塗って黒人文化の要素を含む音楽や踊りを見せたショー。1830年代発祥)までさかのぼって、もしも黒人アーティストたちに賠償がされていたら、この世界はどんなものになっていただろう? ロックンロールの時代やジャズの時代だけに限ったことじゃない。俺はチェス・ブラザーズ(注・1950年にチェス兄弟がシカゴで創立したレコード会社。マディ・ウォーターズチャック・ベリーハウリング・ウルフ、エタ・ジェイムズ等が在籍し、ブルースやR&Bのレコードを出していた。ドキュメンタリー映画「キャデラック・レコード」有り)がマディ・ウォーターズと交わした劣悪な契約だけに線を引いたりはしないよ。

たとえ誰かが俺を手当たり次第に撃とうとしても、俺の欠点のあるアプローチについていろんな違う種類の討論を起こせるってことがわかったんだ。俺に対する評価が不正確なものだとしてもね。皆がどんな議論をしようと、俺は受け入れることができるよ。でも俺は100%本気だ。自分の役割を果たしたいし、どうにかしてこの問題を解決しようと思っているんだ。

 

(終)

Jeff Tweedy インタビュー  その1/ Rolling Stone 2020年7月

Wilcoのジェフ・トゥイーディはBlack Lives Matter運動に関連して「今後自分の作詞作曲の印税の5%を黒人の権利向上団体に永遠に寄付する」という声明を出しました。その件についてRolling Stone誌がインタビューしているので訳してみました。

もしもRolling Stone Japanで翻訳記事を出す予定があるなら削除しますので言ってくださいね。って、こんなところ見てないと思いますが。

これでだいたい半分です。後半は明日以降にUPします。

 

オリジナル記事はこちらです。

https://www.rollingstone.com/music/music-features/jeff-tweedy-reparations-royalties-racism-interview-1024524/

 

 

 

ジェフ・トゥイーディはなぜ音楽業界に賠償を呼びかけたのか。

アメリカの文化は黒人の文化だ」とウィルコのフロントマンは語る。「『印税の窃盗』は対処されていない犯罪だということが現実であり事実なんだ」

 

 

 

ミネアポリスで警官がジョージ・フロイドを殺害した後に起こった、6週間に及ぶBlack Lives Matterの全国的な抗議行動の中、ミュージシャンたちは音楽業界における長年続いた構造的な人種差別に自らが加担した役割を無視できないと考えている。それらの活動は主に象徴的なもの(ラジオの編成から「アーバンurban」(注・アーバン・コンテンポラリーからきた、R&B他の黒人音楽の総称)という言葉を取り除く等)から、大物サポーターとしてリル・ナズやハリー・スタイルスを擁する、音楽業界に公認された団体であるBLAC(Black Music Action Coalition黒人音楽行動連合)の形成にまで広がっている。

 

音楽における人種的な不平等と熱心に闘っている白人ミュージシャンのひとりがジェフ・トゥイーディだ。彼は今後ソングライターとしての印税の5%を人種的公正に専念する様々な団体(Black Women's Blueprint、Movement for Black Lives等)に寄付する、という声明を出した。

 

ウィルコのフロントマンの誓約は、彼の仲間たちに向けて行動を呼びかけるものとして発言された。「現代の音楽産業は、ほとんどすべて黒人芸術の上に築き上げられている」と、彼が6月18日に出した声明は表明している。「黒人アーティストたちに当然所有されるべき富は完全に盗まれている…私は常に、この巨大な不正に取り組む業界全体の対策があるべきだと思ってきた」

 

トゥイーディのプランは「賠償」という考えに影響され、また、それを熟知したものであるが、現時点においては音楽業界に広がる人種的不正の個人的な犠牲者よりも伝統的な非営利団体への金銭的な再分配、という構造になっている。現在それは業界の出版部門(注・原文はpublishing wing of the industry。直訳すると「出版」ですが日本語的には「レコード会社」のほうが意味が近いかと思います)に主眼が置かれている。トゥイーディは歴史的に音楽界に起こってきた大きな経済的な人種的不正に焦点を当てると考えている。

 

業界全体のより幅広い金銭的な考えについて彼が示した最も具体的な提案は、主要なレコード会社がソングライターとの契約の際に印税のいくらかの割合を人種的公正に成果を上げている組織に寄付するという条項を入れる、ということだ。トゥイーディは提案したこの条項を単純に「臓器提供のボックスへのチェック」(注・運転免許証の裏にある「臓器提供に関する意思表示」欄のことだと思います)と例えている。

 

BMI(Broadcast Music, Inc)、ASCAP(American Society of Composers, Authors and Publishers)、SESAC(Society of European Stage Authors and Composers)(注・3つともアメリカの著作権・実演権管理団体。日本のJASRACのようなもの)、その他すべてのソングライターの印税を徴収し支払う団体の皆さん、私はあなたたちにそのようなプログラムを実行する方法を調査することを求めます」とトゥイーディは声明に書いている。

 

3つの主要な印税管理団体は皆、特に具体的な約束はしていないが、このアイディアをサポートすると表明している。「ASCAPは印税の一部を人種的公正に貢献したいと思っている私たちのメンバーをサポートする方法を調査中です」と、この組織のスポークスマンはローリングストーン誌に語っている。

 

BMIはトゥイーディも利用している権利団体だが、彼らはこのように語っている。「私たちの組織では印税のいくらかの割合をチャリティー活動の団体を指定して支払うことができますが、これまでは単発的な場合に限られていました。私たちは今、その機能を拡張してもっと幅広くかつ自動的にできるかどうかを検討中です」

 

SESACは、他の団体はともかくとして、ローリングストーン誌にこう語った。「SESACにおいては、所属しているソングライターや発行者が彼ら自身の判断で書面を通じた指示により第三者の団体に印税を直接支払うという慣例はあります。私たちは喜んでソングライターや発行者をサポートしますし、彼らが人権や経済の公正のために活動している団体に印税の一定の割合を寄付することを望むなら、それを受け入れます」

 

今までのところトゥイーディは仲間のアーティストたちが公私において彼を支持してくれないことに失望している。トゥイーディの呼びかけに賛同した数少ない貴重なアーティストのひとりは、ナッシュビルのシンガーソングライター、エリン・レイだ。「ジェフのツイートを見てとても勇気づけられました」彼女は既に自分の上演権を管理する団体SESACに連絡を取り、そのオプションを実行できるか問い合わせた。「私にとってこれは自分が構造的な差別から利益を得ていたことを認め、和解へ向けてのささやかなスタートをするチャンスなんです」

 

自分の表明は根本的にはこの問題についての公的な声に関与することの単なる始まりに過ぎないとトゥイーディは思っている。「俺たちはまだ始めたばかりなんだ」彼は音楽業界における人種的公正の計画を正式なものにする将来のプラン(現在はまだ流動的だが)について語っている。組織化や意見のとりまとめにほとんど経験のないソングライターとして、彼は、自分のアイディアは提案や改善を受け入れる、と言う最初の人物だ。

 

トゥイーディは最近ローリングストーン誌に彼の声明に対する最初の反応と、彼が見ている現在の音楽業界に深く埋め込まれた構造的な人種差別について、また、音楽業界の賠償を提唱する者として一歩踏み出した理由について語った。

 

 

RS:個人的に、また業界全体に渡って行動を呼びかけるために進み出た決断について順を追って話してもらえますか?

 

Jeff:そもそも最初はひとりの音楽ファンとして始めたんだ。ロックやジャズ、それとすべてのいろいろな種類の音楽が、自分にとってとても大きな意味があった。もし君が、俺がいま言った音楽のたくさんのいろんなことがどこから来たかという歴史に興味があるなら必ず黒人アーティストにたどり着くだろう。黒人たちの才能がなければ俺たちのカルチャーは(今の姿の)俺たちのカルチャーじゃなかったということは大げさでもなんでもない。そこには恥ずべき歴史があるし、この業界には今も恥ずべきものが存在する。現在の黒人アーティストの扱われ方についてもそれと異なる不公平なものがある。条件が平等じゃない。長い間ずっと、これは取り組まれなければならない問題だと思っていた。単純にも、たぶん「ロックの殿堂」あたりがその役割を果たしてくれるだろうと思っていた。でもそのかわりに「ロックの殿堂」はたった今シスター・ロゼッタ・サープを殿堂入りさせることにやっと手を付けた、というところなんだ。それほど重要ではないと自分が思い気にもかけていないことを手当たり次第に撃つような真似はしたくないんだけど、いくつかの団体、たとえばグラミーやMusiCaresとかが行動を起こすだろうと。でもこの音楽業界の一部で今も行われている構造的な詐欺や盗みに対する取り組みをひとつも見つけることができなかったんだ。ちょっと自分の周りを探してみたけど俺たちは何も見つけられなかった。だから多くの人と同じように、この数か月に起こったすべてのことを、この問題における自分の役割について反省し、聞き、調べるように、という要求として受け入れたんだ。一方、軽く自分の背中を叩いて「うん、これって以前から気が付いてたことだし、俺はいつも正しい側にいて仲間になろうと思ってたし」って言うこともできるよな、って感じたんだ。それはほとんど事実だし。でもそれでもまだ居心地の悪い感覚があって、「今まで正しく扱われてこなかったこの種類の問題に、俺たちのビジネスはちゃんと取り組んでこなかったよな」みたいな。俺の声明では、アーティストたちに責任を持つことを望んでいる。でも(アーティストだけでは)荷が重いんだ。業界全体で前に進まなくちゃ。コロンビアレコードは過去に(1950年代)黒人には絶対に印税を払わない、って自慢していた。俺は歴史学者じゃない。俺は君が求めるような、黒人が被害を受けてきたすべての問題を並べ立てるような人間になるつもりはない。でもそのことは十分に実証されてきたし、知りたいと思えば誰だって見つけることができるんだ。

 

RS:あなたの「行動しよう」という呼びかけは個人的な説明責任から始まったものですが、結局は業界全体でこの問題を支援していこうと勧めていますね。

 

Jeff :そのとおりだよ。数字は少し関連性がないけどね。5%というのは正直に言って自分が続けられる数字という感覚なんだ。多くのミュージシャンたちにとってはいい実例ではないかもしれないということはわかる。完璧に理解できるよ。もう一度言うけど、完全に的外れということもあり得る。会話の始まりに過ぎないかもしれない。でもこれは俺の展望だったんだけど、たとえごく一部であっても、世界中で音楽を作っているほとんどすべての人がそうしたら、それはすごいことだと思ったんだ。現代の音楽業界に加わっている全員が、今まで決して印税を支払われることがなかったたくさんの(黒人)アーティストたちに莫大な負債を負っていると俺は確信している。そして彼らは印税を払ってもらえなかったから、彼らのコミュニティや家族は生き延びるための、また子孫に残すための、いかなる種類の財産も蓄積できなかった。驚くべき不正だよ。

 

(続く)

 

 

Wilco's Glenn Kotche / Modern Drummer Magazine インタビュー その6

MD:本当に満足のいく演奏ができたと初めて思えたのはどのレコードですか?

 

グレン:ポール・K&ウェザーマンの「Love is Gas」だよ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドラマーのモーリン・タッカーがプロデュースしたんだ。ちょうど大学を卒業したばかりの頃で、僕のキャリア形成においてひじょうに重要なアルバムだった。大学では90年代のドラムのスーパースターたちの演奏をたくさん聞いていたから。そのアルバムのプロデュースをモーリンがやると聞いて、僕はヴェルヴェット・アンダーグラウンドにどっぷりと浸かった後で、彼女のミニマルなアプローチを徹底的に掘り直して調べ上げていた。それから僕はアフリカンドラムをフィールドレコーディング(注・スタジオ内ではなく自然の・野外の環境での録音)するのが大好きなんだけど、それもモーリンの影響がとても大きい。彼女はデイヴ・ウェックルやヴィニー・カリウタやスティーヴ・ガッドとは似ても似つかないけれど、あの時期に彼らと同じように僕に大きな影響を与えてくれたことは本当によかったと思ってる。

 

MD:現在あなたに刺激を与えているプレイヤーについて話してもらえますか?

 

グレン:Oh, Yeah! ジョー・ルッソが大好きだよ! 彼はとても自由で、オープンで、音楽的だ。いろんな異なるスタイルの融合でもある。彼は主にロックをやっているけど、ジャズやインプロヴィゼイションのバックグラウンドもあるからね。イアン・チャン。ビートとタイムキープへのアプローチの仕方、スタッタリングと柔軟性…。彼のプレイは極めて一般的ではない。とてもクールで新しいんだ。クリス・コルサノ。インプロヴィゼイションをやるときはこいつとプレイするのが大好きなんだ。それだけじゃなく、他のセットでの彼を見ているだけでもね。彼には自然のパワーがあって、それは2本のスティックが作り出す音の壁だ。単なるギミックじゃない。素晴らしいプレイヤーだよ。

 

もう一人、ステファン・サン・ファンについても話したいな。今はニューヨークに住んでるけど、フランス人で、昔はロンドンでプレイしていて、その後マリへ移ってアマドゥ&マリアムと一緒にプレイしていたんだ。その後(伝説的なブラジルのミュージシャン)カエターノ・ヴェローゾの息子のモレーノ・ヴェローゾと出会ってブラジルに移ったんだけど、僕はそこで彼と出会ったんだよ。10~15年前にオン・フィルモアで+2(モレ―ノ、プロデューサーのカシン、ドミニコ・ランセロッティ)と一緒に現地のパーカッション・フェスティバルに出演したんだ。ステファンはドミニコとツインドラムで演奏して、二人が持っていたフィーリングは現実じゃないみたいだった。オン・フィルモアは2013年か14年にブラジルを再訪して、リオで彼らと「Happiness of Living」というアルバムを作った。僕とステファンがツインドラムで、マウロ・レフォスコがパーカッションで、この二人とプレイするのは信じられないくらい素晴らしかったよ。彼らは二人とも現在デヴィッド・バーンと演奏してるんだ。彼らが実際に初めて一緒に演奏したのは、オン・フィルモアのレコーディングだったと思う。ダリン・グレイがベースで、ステファンとマウロと僕がドラム担当で、曲ごとに違うゲストに参加してもらったんだ。このレコードは2年前にノーザン・スパイ・レーベルから発売されて、2回ライブをやった。ブルックリンのナショナル・ソーダストとマサチューセッツのウィルコのフェスでね。それで僕はステファンとのツインドラムをまたやることができたんだ。彼はアフリカとフランスの音楽の影響を受けているし、ブラジルに10年以上住んでいるから、そのすべてを身につけているんだ。このレコード(「Happiness of Living」)に彼が書いてくれた「Foli Ke」っていう曲があるんだけど、僕はとてもじゃないけどこんな風に演奏するなんて思いつかないよ。とても細かく細分化されているんだ。彼の演奏に身をさらしていると、たくさんの可能性が自分に向けて開かれるんだよ。

 

でも、なんであれ、僕にとって刺激的じゃないドラマーなんてほとんどいないよ。どんなにひどいドラマーでもね。彼らのとても奇妙で風変わりなやり方を見ると、僕はこう思うんだ。「見方によってはクールだよな…。こういう風にやってみようかな?」ってね。

 

(終わり)

 

メインのインタビューはここまでですが、元記事には現在のOde to Joyツアー(中断中だけど…)でグレンが使っているギアの詳しい解説があります。写真もたくさん! 「Ode to Joy」の曲をどうやってステージで演奏しているか、を実演しながら解説している動画もあるので興味のある方はぜひご覧ください~。

 

https://www.moderndrummer.com/article/april-2020-wilcos-glenn-kotche/

Wilco's Glenn Kotche / Modern Drummer Magazine インタビュー その5

MD:僕たちはドラムの音の違いについてはとてもたくさんの話をしてきたけれど、「何で叩くか」が大きいんですね。

 

グレン:大学卒業後、90年代後半のほとんどを、ポール・K&ウェザーマンやバードドッグ、ジム・オルークのようなシンガーソングライターたちとツアーをしていたんだけど、その頃は2ピースのキットを使ってたんだ。フロアタム一つとビーター(注・バスドラム用のバチ)が下に付いているカクテルキット、スネアドラムとハイハットに、たぶんシンバルも。僕たちはレンタカーでツアーをしていたからね。だから僕はドラムを2つしか持っていなかったから、いろんな種類のロッド(注・細い棒を束ねた形のスティック)やスティックやブラシやマレットや、ドラムの上に乗せるいろんなものを使ってた。そうすることで一曲ごとに音を全部違わせることができたんだ。そのことが今僕がやっていることに発展してきたんだよ。

 

たぶんこれは大学時代に、ジム・キャンベルのクラシックの授業での練習が基になっていると思う。吊るしたシンバルをいろんなマレット---フェルトや毛糸やゴムなどの---で叩きながら、パーカッションアンサンブルに一番ぴったり来る音を出す道具を探していたんだ。ラジオシティ・ミュージックホールで会ったとき、僕はテープで束ねたブラシやナイロン製のブラシ、シェイカーやコインやテープでカスタマイズしたワイヤーブラシなんかを使っていたよね。

 

いろんな種類のロッド、分厚いのや薄いの、多種多様なロッドを同時に使うんだ。僕はプロマークが作ってくれた2種類のドラム用のマレットのセットを持ってる。自分モデルのシグネチャー・スティックを使うことが多いけど、たった1曲だけのために先にフェルトが付いているプロマークのSD5や7Sを使うこともある。自分でテープでまとめたへらも持ってるし、先端に穴をあけてばねを通したロッドも使う。

 

他の楽器のプレイヤーはギターを何回も変えるし、皆エフェクターを使っている。キーボードは無限にセッティングできる。じゃあ、なぜ、ドラマーは違う曲をやるのに同じ音なんだ? それが、アシュウィンがステージにやってきて、この曲のためにシェイカーやベルやタンバリン---鈴が1列のや2列の---をハイハットの上にセットする理由だよ。僕たちはハイハットに乗せるもののバリエーションを6~8通り持ってる。シズラー(注・シンバルに取り付けるエフェクター)を取り付けたり外したりね。

 

MD:マーチングマシーンについて聞かせてください。

 

グレン:基本的には、行進する足音を再現するために木枠にたくさんのダボ(注・工事のときに木材や石材をつなぎ合わせる際、部材間のずれを防ぐために接合面の両方に穴をあけて差し込むための小片)を紐でつなぎ合わせたものなんだ。ダボが木板の上に落ちるときにざわめくような効果音が出せる。子どもの頃、僕はドラム&ビューグル・コー(注・太鼓とラッパの軍隊=マーチングバンドの形態の一つ。アメリカの軍楽隊様式のバンドスタイル)をいくつもやった。キャバリエズと一緒に演奏したし、サンタクララ・バンガードのショウを見たことも覚えてる。---実際には僕はまだほんの子どもで、マーチングバンドに加入する前だったけど。彼らはピットのサイドラインの外側でマーチングマシーンを使っていた。手で持つタイプのをね。そして僕はすごくかっこいい音だと思ったのを覚えてるんだ。

 

何年もたってから僕は偶然マーチングマシーンを見つけて、自分のスタジオの壁に掛けていた。そしてある日、ウィルコのセッションに行く前に、使えそうなものをたくさんピックアップした。アースプレートと、あれと、これと、みたいに。そのとき、マーチングマシーンを木板の上にではなくコンサート用のバスドラムの上に平行にセットしてみたんだ。ジェフもトムもめちゃくちゃ気に入ってくれたので、バスドラムの上で少なくない回数使ったし、スネアドラムのような音を出すためにピアノの椅子(ベンチ)の上でも使った。それから、他のバスドラムやスネアドラムと一緒にも使った。元々の音をはっきりさせないためにね。

 

現代では、ライブでやるときはサンプリングすればいいんだけど、それよりも実際の演奏でうまくやり遂げる方が面白いしチャレンジし甲斐があるだろ? だから、ジム・キャンベルの息子のコリンに、マーチングマシーンをツアーに持って行って使えるような器具を作ってほしいと頼んだんだ。コリンは木工の天才で、サード・コート・パーカッションと一緒に仕事をしているんだよ。それからアシュウィンも彼に協力して、彼らは小さいマーチングマシーンに手を加えて、ハイハットを操作するケーブルを繋いで、僕が足で操作できるようにしてくれたんだ。それから、僕はSonorが特注で作ってくれた4×16インチのタム、基本的には頑丈なハンドドラムみたいな形のを持ってるんだけど、それがマーチングマシーンを乗せておくものになったんだ。

 

MD:どちらの足で演奏するんですか?

 

グレン:右足だよ。僕はペダルを4つ持ってる。右足はバスドラムのペダルとマーチングマシーンのペダルを行ったり来たりして、左足はハイハットとフットカバサ(注・ブラジルのパーカッション、カバサを足で演奏できるようにしたもの)。フットカバサは、たとえば「Citizens」のような曲で、レコードのドラムマシーンやブラシのパートを再現するために使うんだ。今はたった1曲のために使う、手で持つタイプのマーチングマシーンも持ってるよ。フロアタムの上に丸い木のプレートを置いて、その上にマーチングマシーンを落とすんだ。

 

自分だけの道具を作ることは誰にとっても役に立つと思う。人に教える機会があるときはいつも学生たちにスティックやマレットを自作するか改造することを強く勧めるようにしているんだ。(注・グレンはシカゴのイリノイ大学でパーカッションの授業を持っていたことがあり、現在も時々特別講義をすることがあるらしいです。)本当にクールな、自分たちのヒストリーになる音を作ったりカスタマイズしたりすることには大きな意味がある。それに若いドラマーたちにとっては、音に対してより意識的になるという点で重要なことなんだ。

 

僕は実例を示すことでドラマーの創造性を刺激したいんだ。僕が一番最近出した本「A Beat A Week」はいろんな例を示した本なんだ。このビートはスティール・バンド(注・トリニダード・トバゴ発祥の、ドラム缶で作った楽器・スティール・パンのバンド)で演奏した曲からできたもの、これはティンパニの演奏からできたもの、これを演奏したのは、エルヴィン・ジョーンズがどうやってトップシンバルのビートを解釈して演奏したかを学んだから、それからこのロックの曲では、このビートをフロアタムで演奏した…等々。僕の望みは、読者がこのクールなビートを学ぶことだけど、それとともにこのビートに興味を持つ精神性をも学んで、そのビートの観点や見地を自分の演奏に取り入れてほしいんだ。

 

MD:そのような多様な興味の出口を自分が持っていることを、レコードを作るキャリアの早い時期に気が付いていましたか?

 

グレン:うん。たくさんのシンガーソングライターたちが、僕が最小限のドラムキットとシェイカーやジングルなどの装備でやっていたのを気に入ってくれたときにわかったよ。それと僕は大学を卒業してからたくさんフリー・インプロヴィゼイションや音の探求やエレクトロアコースティックもやった。「Monkey Chant」で使って、今も使っているプリペアド・スネアドラム(注・スネアドラムのヘッドにいろいろなギアを取り付けたもの)を考え付いたのもその頃なんだ。だからこれはテクニックやビートの問題じゃなくて、いやテクニックやビートも大好きなんだけど、もっと音の探求についての話なんだ。

 

(続く)