心はマリー・アントワネット

見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

Wilco's Glenn Kotche / Modern Drummer Magazine インタビュー その2

MD:多重録音したことで、実際に演奏するときにチャレンジすることになった例を教えてください。

 

グレン:たとえば「Schmilco」に入っている「We Aren’t The World」という曲。録音するとき単純に1拍目と3拍目にタンバリンの音を重ねたらいい感じだなと思ったんだ。そして実際にライブで演奏することになったとき、「ハイハットの上にジングル(注・鈴のような音が鳴るパーカッション)を置いて左足で操作すればいい」と思った。だけどほとんどのドラマーと同じように、僕は今までの人生でずっとハイハットは2拍目と4拍目で鳴らしてたんだよね。このほんのちょっとの違いがものすごいチャレンジだった。ほとんどのドラマーはこんなことやる必要ないんだけど、でももしこういう小さいことを変えてみたらきっともっと面白くなると思うよ。

 

MD:あなたは他の人とは違ったやり方でチャレンジをしているんですね。最も複雑なフィルイン(注・wiki参照)を入れようとする、みたいな方向ではなくて。

 

グレン:そのとおり。そういうやり方もやるけどね。でも多くの場合、単純にそれじゃダメなんだ。僕は6人編成のバンドの1人で、他のメンバーのためにスペースを空けておかなくてはならない。それに、ものすごく派手で入り組んだ音は歌詞やバンドの音の特徴に合わないしね。

 

MD:「Ode to Joy」の曲でも何か例はありますか?

 

グレン:このアルバムでは、はっきりしたバックビート(注・4拍子の曲で2拍目と4拍目にアクセントを置くこと)は避けようとした。だから僕はこのレコードでは「ビート(拍)」はやっていないんだ。すべてのパートを別々に録音したんだけど、1曲目の「Bright Leaves」を例に取ってみると、この曲はただ「低、高、低、高」なんだよ。でも僕は「低」の音を叩くときはピッチの高いマラカスを使って叩いているんだ。そしてスネアドラムを叩くときは同時にバスドラムも鳴らしている。すべての音を、より「一定に」なるように作ろうとした。

 

僕たちは今回は「ロック」のレコードを作らないことを目指したんだ。いつもはレコーディングの前にあまり話し合ったりしないんだけど、今回は違った。僕たちはこのレコードを個人的なものにしたかったんだ。僕たちは弦の上の指の音や、息遣いや、スティックやブラシそのものの音を聴きたかった。固定観念にとらわれたみたいなことをやるのは避けたかった。ビート(拍)は人々に「決まったやり方」を即座に感じさせる。もし君がこんな風にプレイしたら(と、グレンはスタンダードなロックのビートでテーブルを叩く)、それからこういうプレイをしたら(と、先程と同じような、だが反対のアクセントのビートで叩く)、どちらも効果があるんだけど、片方はハッピーな感じ、もう片方は違うように感じられる。リスナーにどう感じたらいいのかを説明してるようなものなんだけど、そしてそういう力を持つのは素晴らしいことなんだけど、でも僕はそれはやりたくなかったんだ。だからもしバックビートをやるなら、それがわからないようにやりたかったんだ。そして、ライブで演奏するときは、ハイハットを1拍目で鳴らすけど3拍目では鳴らさない、とか、2拍目で鳴らすけど4拍目では鳴らさない、とか、トリッキーなことをやっている。ハイハットだけじゃなくてスレイベル(注・橇の鈴のような音を出すパーカッション)や、ボトルキャップや鈴やシーポッド(注・検索しましたが不明。これのこと?)で作った自作のパーカッションもね。

 

MD:「Ode to Joy」のグルーヴには空間がたくさんありますね。

 

グレン:パーツとしてはとてもシンプルなんだ。でもドラマーとしてはチャレンジすることがたくさんあった。だから今この話をしてることにすごく気合が入ってるんだよ。なぜなら、普通は人々の興味を引くのはもっと派手なことだからね。面白いことに、最近の3~4枚のアルバムと比べて、このアルバムに関しては僕を個人的に取材して書かれる記事が多いんだ。僕はいつもよりシンプルに演奏しているんだよ。僕が取材される理由は、今回僕の演奏がビート(拍)ではなくパルス(鼓動)なのがより特徴的だからだと思うんだ。相対的に、シンプルなものの方が、曲をある一つの方向にほんの少し「曲げる」んじゃないかと思う。だから皆もっと曲に近寄ろうとする。その結果、いつもよりもう少しだけ、歌詞に注意を向けているのかもしれない。そういう「レンズ」を取り付けることが僕の仕事の一つなんだ。

 

MD:他の曲がどうやってレコーディングされたのかもう少し掘り下げていきましょう。そこにいたのはあなたとジェフ…

 

グレン:と、トム・シック。プロデューサー兼エンジニアの。

 

MD:そしてあなたのドラムキットがすべてセットアップされていた。

 

グレン:そのとおり。でもちょっと方向を変えて話を続けさせてもらえるかな? 僕のアプローチは休暇に影響されたんだ。去年僕は8か月間フィンランドに住んでいた。僕の奥さんはシカゴにあるイリノイ大学の生体工学の教授で、フィンランドで研究するためのフルブライト奨学金を受けたんだ。その直前、僕は長い間続けてきたクラシックのダンスカンパニーとのコラボレーションが頂点に達していた。その前年に僕は協奏曲を3つ作曲した。そのうちの一つは弦楽オーケストラとパーカッションのためのもので、僕はその曲をノルウェーから来た1B1オーケストラと一緒にNYのナショナル・ソーダストで演奏した。もう1曲はオランダのTROMPパーカッションコンテストの決勝のための協奏曲だった。それからシカゴ・ユース・オーケストラに1曲書いて、ソロプレイヤーとして彼らと一緒に演奏した。

 

だから僕は、膨大な準備が必要とされるこれらの大仕事を終えて、家族と一緒にブーンとフィンランドへ飛んで行ったんだ。僕は予定していたすべての仕事から解放されて、ウィルコも休みを取って、音楽に関しては何の責任もなく、子どもたちの世話だけをしていた。僕たちはヘルシンキの外れの、海のすぐ傍の白樺の林の中にある美しい家を借りた。パーフェクトだ。僕がそこでしていたのは、本を読んで、音楽を聴いて、練習することだけだった。

 

(続く)