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Esquire  Jeff Tweedy Interview 2020/10/7

10月7日にアメリカのエスクワイア誌に掲載されたジェフのインタビューを訳しました。例によって拙い翻訳と誤訳もあるかと思いますがご容赦ください。

元記事はこちら。

www.esquire.com

 

僕たちはまだ解決することができる。ジェフ・トゥイーディに尋ねさえすれば。

 

新しい本とソロアルバムでインディーロックの賢明な先達が語る。政治について、ウィルコの将来について、そして僕たちは死んだらどこへ行くのかを。

 

 

ロックバンド、ウィルコの創始者にしてリードヴォーカリストのジェフ・トゥイーディは、ほとんど毎晩7時ごろ風呂に入る。それは比較的新しい習慣だ。大人になって以来の生活で、現在彼は最も長い期間家に閉じこもっている。オルタナカントリーバンドのアンクル・テュペロでベースを弾き始めた80年代の後半以降、1994年のウィルコ結成からパンデミックでほぼ世界中がシャットアウトされた現在に至るまで、トゥイーディは人生のほとんどすべてをツアーの中で過ごしてきた。「ツアーでの生活はとても規格化されている。俺みたいに不安障害を持ってる人間にとっては楽なんだよ」10月の初旬、トゥイーディはZoom越しにそう語った。「家にずっといると健康的な生活様式を構築するのは少し難しいね。エクササイズと入浴は俺が実行している有効な方法だけど。俺はセルフケアの儀式に没頭しているところなんだ」

 

3月以降トゥイーディはずっと ― 彼の経歴を説明しておこう。グラミー賞を受賞したレコードのプロデューサーにしてソングライター、ベストセラーとなった自伝の著者で現在53歳。インディーロック界の知恵に溢れる先達だ ― シカゴ北部にある自宅にいる。彼はスージー(注・奥さん)と2人の成人した息子、スペンサー、サミーと一緒にそこに25年間住んでいる。いつも午前の遅い時間に近所のレコーディングスタジオに行き、夕方早い時間に帰宅してフィットネスバイクでエクササイズして、それから風呂に入る。夜には一度手を洗ってから「The Tweedy Show」で主役を演じることも多い。これは彼の妻のインスタグラム(@stuffinourhouse)でのライブ配信で、トゥイーディ一家は3月にこのショーで配信デビューを飾った。そこではしばしばトゥイーディ、スージー、スペンサー、サミーが演奏し、軽いジョークが飛び交っている。

 

ソロアルバム「love Is The King」(配信は10月23日、アナログとCDは1月15日発売)と2冊目の本「How To Write One Song」(10月13日発売)の直前、トゥイーディは政治、新しいプロジェクト、そしてウィルコの将来についてエスクワイアに語った。だが最初に、私たちはこの会話でインタビューを始めた。2018年発行の彼の最初の本「Let' Go(So We Can Get Back)」で彼が読者に語り掛けると言うよりもむしろ問いかけようとしていた、そして話をクリアにするために軽く編集され要約されていたあの質問だ。

 

Esquire:私たちは死んだらどこへ行くと思いますか?

 

Tweedy:それは…わからないね。それは俺の人生における大きな難問だし、多くの人々にとってももがき苦しみながら越えなくてはならない、答えのわからないハードルだ。わからなくてもだいじょうぶ、という境地に至るのは、たぶん、俺たち全員が到達しなければならない最も難しいことのひとつだと思うよ。俺たちは「死んだらどうなるのか」という恐怖と戦っているけれど、本当に嫌なのは「答えがわからない」ということなんだ。このインタビューの残りの時間を全部このひとつの質問に使ってもいいくらい話ができるよ。いつもこのことについてじっくり考えているんだ。この質問に対してだけではなく、質問の答えとして何が求められているかについても。

 

E:満足のいく答えは見つかりましたか?

 

T:天国や輪廻転生や、その類のものについての特定の考えには同意しかねるね。俺にわかっているのは、俺たちがここに来る前にどこにいたのか誰も知らない、ってことだけだよ。この神秘的で興味深い事実にはいつも強く心を打たれる。俺たちの人格は、存在は、自分という意識はどこから来たんだろう? 俺たちはみんなこの世に生まれてくるけれど、その前はどこにいたんだろう?

 

E:その疑問について考えるのに多くの時間を費やしましたか?

 

T:もし誰かほかの人たちと話す機会がなければきっとそうしただろうな。スペンサーは哲学の学位を持っているし、サミーはラビ(注・ユダヤ教の指導者)の学校に行くことを検討している。だから俺たちが家でする会話はこういうものになりがちなんだ。

 

 

トゥイーディは南イリノイのベルヴィルという小さな町で生まれ育ち、スージーと一緒にいるために1994年にシカゴへ引っ越した。2000年代の中盤、彼はもうひとりのシカゴへの移住者の味方になった。バラク・オバマだ。2005年に当時上院議員だったオバマはFarm Aid(注・経営難に苦しむ小規模農場や個人農家のためのチャリティコンサート)でウィルコを紹介した(注・YouTubeに動画有り)。2008年の大統領選挙期間にはバンドはチャリティコンサートを行っている。オバマ一家がワシントンへ移った後、大統領はトゥイーディとバンドメンバーたちをホワイトハウスへ招待した。

www.youtube.com

 

E:オバマ大統領と電話で話したことはありますか?

 

T:いや、でもラーム・エマニュエル(注・55代目シカゴ市長。バラク・オバマ政権一期目で23代目大統領補佐官)からはたまにかかってくるよ。

 

E:どんな話をするんですか?

 

T:もう長いことかかってきてないけど。

 

E:電話がかかってきたときはどんな話をしていましたか?

 

T:正直言ってそんなにたくさん話はしてないんだ。純粋に事務的な話だよ。寄付をしてくれないかとか、彼のポッドキャストに出演しないかとか、そういうこと。だから彼の電話に出るのはちょっと気が進まないんだよね。[ 間 ] これ記事にならないよね? まいったな、彼に銃撃されちゃうよ。

 

 

E:私たちはこの国をどうやって癒していけばいいのでしょうか?

 

T:どうやって修復していけばいいのか俺にはわからない。ただ言えるのは、自分が大きすぎる怒りに飲み込まれることを許さないように努力している、ということだ。俺たちをこんな窮状に陥れた責任がある人たちに対して、俺は衝動的な怒りや憎しみを感じている。政治家たち ― 彼らがこの大惨事のいくつかに手を貸したんだ。彼らを許そうと思える日が来るのか、俺にはわからない。でも典型的なトランプ信者 ― 白人で、不満を感じていて、孤立していて、俺が成長するときに周囲にいた人たちととても似ている ― 彼らに対しても俺はものすごく怒っている。自分が、彼らを救済される価値がある存在だと思うことができるかわからない、という点において。こんな風に感じるのは嫌なんだけど。

息子たちにもいつもこういう話をしているんだ。こんな風に言うのが俺に思いつける最良のことだよ。「彼らトランプ支持者にもいつか俺が必要になるかもしれない。そして俺にも彼らが必要になるときがくるかもしれない」って。これは国家として道を踏み外している俺たちにとってのあるひとつの方法なんだ。一度立ち止まって自分自身に問いかける ― お互いに役に立つようになれないだろうか、と。もう亡くなったけど俺の兄は赤いキャップをかぶったトランプ支持者になっていたかもしれない。彼はかなりレイシストで、世界に対して特に好奇心がある人ではなかったけれど、誰かを助けることに関しては本能的に寛大で積極的だった。それが誰であっても。義務を求められていると感じたら ― たとえば道端で車のタイヤを替えている家族を助けるような ― 彼は相手が白人でも黒人でも気にしなかった。自分が人の役に立てるということが単純に気持ちよかったんだ。そういうことが、このすべてのものごとについて、失われている(注・互いに助け合うための)機会なんだ。仲間に対してどんなに大きな怒りを向けているかくよくよ考えている自分を俺は許せないんだよ。

 

E:うちの近所には大きなトランプの旗を掲げている家が何軒かあるんですが、彼らはこの一帯でも一番と言っていいくらいいい人たちなんです。私にはこの二つのことがどうしても両立しないんですよ。彼らは大統領の憎悪に満ちたイデオロギーに賛成なんでしょうか? 彼らはレイシストなんでしょうか?

 

T:ほとんどの場合、その疑問は厳格に純粋さを要求したいという衝動なんだよね。問題は、そういう衝動は救済への道を開かない、ということなんだ。救済への道は誰にでも開かれるべきなんだよ。悲しい事実だけど、たくさんの人が極悪非道なものを支持することが可能になっている。でも彼らは決してモンスターじゃない。断じて違う。理解するのは難しいんだけど、彼らの多くは全く注意を払っていないし、気が付いてもいない。彼らには政治的なものを無視する自然な傾向があるみたいなんだ。なぜなら彼らは政治的なものはすべて、見せかけのまやかしだと確信しているみたいだから。俺の両親は、ニクソン以降の政治家たち全員に懐疑的だった。政治家になるような人間は疑ってかかるべきだ、と思っていた。でも父は亡くなる前には完全にアンチ・トランプだったよ。トランプの性根を憎んでいた。父にとってのトランプは「上司の息子」だったんだ。

 

 

トゥイーディの3枚目のソロアルバム「Love Is The King」は彼の息子たちと共にレコーディングされた。彼らは2人ともミュージシャンだ。メロディはウィルコのファンにとってなじみがあり、カントリーからストレートで円熟したロックバンドに至るまでの音の豊かなカタログを通してウィルコの道をたどっていくようなものだろう。トゥイーディはこの悲惨な1年を、熱望、家を思う気持ち、恐れ、そして希望をこめた歌詞に反映させている。

 

E:このアルバムは私たちの現在の状況を反映しているように思います。制作中にこの2020年の出来事を思い浮かべていましたか?

 

T:「Troubled」という曲以外は全部3月以降に書いたんだよ。

 

E:「Save It For Me」は今年のために作られた曲だと感じました。特に「この世界がばらばらに壊れていくとき(When the world falls apart)」と繰り返されるフレーズや「今日誰も電話をかけないのには理由がある 君が頼りにしている人たちは何を言えばいいのかいつもわかっているわけではないんだ(There's no reason no one will call today / The people you lean on don't always know what to say)」という節も。

 

T:この曲で俺が一番誇りに思っているところは「誰もいない部屋に灯っている明かりは 愛ができることのすべて(A light left on empty room / Is all love can be)」というフレーズだよ。そういうことが、俺たちがお互いのために存在する、ということなんだ。たとえ姉と毎日話をしなくても、俺は彼女がそこにいるってわかってる。君の世界が暗闇になることは許されない。慰めは必ずどこかにある。それはほとんどの場合、他の人たちの中にあるんだ。家族や愛する人の中に。

 

 

6月に出した声明でジェフはこう書いている。「現代の音楽産業はほとんど完全に黒人音楽の土台の上に成立している。本来なら黒人アーティストたちのものであるべき富は完全に彼らから盗まれていて、今日に至るまで彼らのコミュニティの外で増え続けてきた」と。トゥイーディは作詞作曲の収益の5%をMovement For Black LivesやBlack Women's Blueprintなどの黒人運動に寄付すると約束し、他のミュージシャンたちにも同じことをするように呼び掛けた。

 

E:6月に出した声明に何か裏話はありますか?

 

T:俺は単純に、音楽業界に統一された賠償計画がないのは間違ってると思うんだ。俺たちの業界はこの議論を始めるのに最適なもののひとつだと思う。(俺が提案したことは)賠償を守るための他のいろんな議論とは違う。きわめて当然のことなんだ。どのようにしてそれ(黒人からの簒奪)が起こったか明白に説明できる。罪悪感ではなく正義で、現実なんだ。

ロックの殿堂が俺たちの文化において影響力を持ち始めたとき、俺は彼らがいつかこの問題に取り組むだろうと思った。でも彼らはそうする代わりに、シスター・ロゼッタ・サープを殿堂入りさせるのに20年もかかったんだ。BMI(世界最大の音楽に関する権利団体)のようないくつかの組織とともに俺たちはゆっくりとだけど確実に前進しているし、どんどん前に進み続けてるよ。でも正直に言って、テイラー・スウィフトのようなビッグアーティストたちが反応してくれなかったことには少しがっかりしてるんだ。俺の声はそんなに目立たなかったんだな、って。もっとたくさんの人たちが反応してくれたら、きっとすごく嬉しかったのに。でも俺が提案したみたいなプランはきっとすぐに可能になる。そう確信しているよ。

 

 

2010年、ウィルコはSolid Soundの開催を始めた。マサチューセッツ州西部のバークシャー山間地域で1年おきに行われる音楽とアートの夏のフェスティバルだ。このイベントは、彼らのファンが長く続いていることの証拠なのだ。前回は2019年に開催された。ほとんどのバンドとスタッフにとって、ツアーは最大の収入源だ。「いい1年ではなかったね」とトゥイーディは言う。彼は今までの所なんとかバンドとスタッフたちに給料を支払い続けることができている。パンデミック前の収入と、ありがたいことにいくばくかの貯金と、今年の早い時期に受け取ったPaycheck Protection Loan(注・特定企業、自営業、個人事業主に対するアメリカ政府によるコロナ対策のビジネスローンブログラム)、それから何曲かをCorona(注・あのビールの会社と思われます)とBush's beans(注・豆の缶詰の会社)のコマーシャルへの使用を許可するという決断のおかげで。「資金繰りのためには曲のライセンスとコマーシャル使用についての自分の基準を早めに捨てなくてはならなかった」と彼は語った。

 

 

E:ウィルコは次に何をやる予定ですか?

 

T:新しいアルバムのレコーディングがだいたい4分の1から3分の1くらい終わってる。メンバー全員、自分のスタジオか、少なくとも自宅にオーバーダビングできる設備を持ってるからね。たぶんこの冬のあいだはリモートで作業することになると思う。理想では来年発売の予定だよ。次のSolid Sound Festivalの準備も頑張って進めている。実現できるなら可能性としては来年の後半になりそうだけど。そうできるように祈り続けてるよ。

 

E:ウィルコはどれくらい続きそうですか?

 

T:演奏するバンドとして、ってこと?

 

E:そうです。

 

T:俺はバンドが解散するなんて信じない。だからおそらく俺たちが「できなくなるまで」だね。それからみんなが俺たちの曲を聞きたいと思っている限り、それと少なくとも俺たちが音楽を作るのにどんなことにインスパイアされたかみんなが少しでも興味を持って聞きたいと思っている限り、かな。単なるノスタルジア、懐かしいバンドとして演奏するようなことはないよ。いつでも俺たちはわくわくするような新しい素材を必要としている。幸運にも昔と同じくらいそのエネルギーを持ち続けてるんだ。

 

 

「How To Write One Song」はトゥイーディのこの2年間で2冊目の本だ。「ニューヨークタイムズ」のベストセラーになった最初の本「Let's Go(So We Can Get Back)」では、彼はミュージシャンとしての生活や痛み止めへの薬物依存症と、2004年にその治療を求め、それが効いたことなどを語っている。新刊では、ある章では曲を作るためのマニュアルについて、他の章では創造に対する人間の欲望 ― 必要性 ― についての哲学的な問いかけについて語っている。一方では読みやすく楽しい本でもある。

 

 

E:パンデミックと社会の混乱、そして歴史的な大統領選挙がすごい勢いで迫ってくるこの時代において、芸術はどんな意味を持っているでしょうか?

 

T:芸術はすばらしい慰めだ。どんな暗闇の中でも芸術は光だ。この不当に脅かされている世界で、芸術が生み出したものにどれだけ元気づけられたことか。人間の中に存在する創造したいという欲求を殺すことは、本当に想像を絶する悪になる。それはきっと創造がとても大きな癒しの力を持っているからだと思う。特に音楽は、人の気持ちを上向かせるのに他とは比べようのないくらい大きな力を持っているんだ。

先日ドライブインシアターでコンサートをやったんだけど、俺たちがステージに出る1時間くらい前にギンズバーグ判事が亡くなった。息子たちも友人たちも泣いていたよ。みんな本当に絶望していた。もちろん俺も。俺が息子たちに言えたのはこれだけだった。「ステージに出て何曲か演奏してその集中力を保ち続けることができたら、きっと気持ちが上向きになる。コンサートが終わる頃にはほとんど癒された気分になっているだろう。この心配事がなくなるわけじゃない。でもお前たちはそれが存在すること、それを取り除くのは難しいことを思い出すよ」と。わからないけどね。本当に魔法みたいなんだ。

 

E:あなたは未来について楽観的ですか?

 

T:うん、楽観的だよ。俺はいつだって揺らぐことなく楽観的だ。そうでなきゃならないんだ。もし君が勇気を奮い起こし希望を持ち続けることができるなら、それが君のなすべき仕事だ。そうすることができない人たちのために、または君よりもずっとそうするためにもがき苦しんでいる人たちのために。勇気を出して未来への希望を持つことを一生懸命にやらないなんて、子どもの親としてとても残酷なことなんだよ。俺が子どもの頃は、未来は常にいろんな問題が解決されてどんどん素晴らしくなっていくところだったんだよ。今だって多くの場合、それは真実だ。前進するための俺のスローガンは「もう一度偉大な未来を取り戻そう」(注・原文はMake the future great again。トランプのスローガン「Make America great again」に掛けていると思われます)だよ。

俺にとってパンデミックから導かれた結論は、暗闇の中で生きるために人間はどう上手く順応していくか、ってことなんだ。状況に合わせて適応し、人と繋がり続けたり助け合ったりする方法を見つける。現在すべてのことを通じて、個人もコミュニティも驚くべき方法で自らの行動を修正し続けてる、この状況をなんとか切り抜けるためにね。もちろん全員にそれができているわけじゃない。多くの人たちにとっては依然悲劇が続いているんだ。でも俺自身の経験に過ぎないけれど、俺たちは完全に恐れていて人生最悪の危機の果てに暮らしているような気分だし、実際に世界的なパンデミックと経済的打撃の中にいるんだけど、それでもこないだの夜、俺たちはピザを囲んで笑ってたんだ。こんな時でも喜びを見出すことはできるんだ。なあ、人間ってすごいだろ? だから俺たちは今もここにいるんだよ。

 

(終)