心はマリー・アントワネット

見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

『HOW TO WRIGHT ONE SONG』Introduction (Jeff Tweedy)

Jeffの2冊目の本『How to Write One Song』のイントロダクションを訳しました。

 

以前Twitterにも書いたのですが、今まで訳してブログに上げてきたのはネット記事(誰でも無料で読めてAI翻訳で意味も取れるもの)に限っていました。ですが、この本を読んでいた間、ちゃんと訳せばもっと理解できるのになあ、と思っていて、なぜなら辞書引きながらさくっと読んでると、わかった気分になってても実際には理解できてないことも結構あるんじゃないかという気がするのです。で、とりあえずイントロだけ訳してみました。

本当は翻訳って勝手にやってはダメで、翻訳権というものをお金払って取らなきゃいけないんですけど。もしも「この本の翻訳権を取って日本語訳の出版準備を進めている」という方がいらしたら、ご一報いただければこの記事は削除します。

 

 

 

 歌は謎に満ちている。歌はどこからやって来るんだろう。君にはわかるかい? 俺は今までたくさんの、とてもたくさんの歌を作ってきたけれど、よくできたと思える歌を完成させたときに出てくる一番いい言葉は「どうやって俺はこれを作ったんだろう?」なんだ。未だに。何かを確かに成し遂げることができたのにどうやってそれをやったのか(そしてもう一度それをやれるのか)わからない、なんて混乱してしまう。

 そんなわけで、歌を作ることについて語るときには、本当にたくさんの神秘主義的な話題がつきものだと思う。「自分は歌が通り過ぎて出てくる単なるパイプにすぎない」とか、「俺がこの歌を作ることを宇宙が望んだんだ」みたいな言葉を聞いたことがあるだろう? どんな言い回しであれ、そういう類の言葉を。でも俺には、この歌を作ったのは”自分”だ、って確信がちゃんとある。俺の意識と無意識が何らかの形でパートナーになって結果を出したんだ。でもそんな風にうまくいったときはその二つ―意識と無意識―の境目ははっきりしないし、どちらが歌作りを受け持っていたのかも、本当に、全く、わからない。

 つまり、どうやって歌を作るかを教えるということは、どうやって考えるかを教える、ということに近いんじゃないかと思う。それとも、どうやってアイデアを出すか、とか。なぜなら俺にとっては、歌は他の芸術作品よりもずっと「個人的な考え」に近いものだからだ。歌はしっかりと掴むことができない―空気のように儚い。歌は時を駆ける。ここにいたかと思うと、去ってしまう…。持ち運ぶことができるのに、なかなか消えてくれない。まるで記憶みたいに。その上、記憶よりもクレイジーなことに、はっきりした理由もなく心の中に飛び込んでくる。絵画や書籍のような他の芸術には物理的な実体があってその形は永久不変だけれど、その中の何小節かを思わず口ずさんでしまう、なんてことができるものはどれくらいあるだろう?

 当然のことながら、皆は、歌は「作る」と言うより「生まれてくる」ものだと考えていると思う。「歌の作り方は教えることができる」という考えに懐疑的だ、ということだ。つまり、ひとつずつ段階を追った方法が、どのようにして歌を作る「工程」―音楽理論、伝統的な曲の形式、拍子など―に適用されるかは簡単に見て取れる。だけど俺の経験では、それは単なる「構成」だ。その歌を聞いた誰かが、「自分も歌を作りたい」と思うような、そんな歌を作る方法を教えることは、どうやったらできるだろう? その歌と恋に落ちてしまうような、その歌が恋に落ちた君に愛を返してくれるような、そんな歌を。それを人に教えることはできるのだろうか? 俺にはわからない。

 だが、その問題の重要な部分は、人に「幾つもの」歌の作り方をどうやって教えることができるのか、という深刻さにあると思う。「幾つもの」歌を作ることを教える唯一の方法は、「ひとつの」歌を作ってもいいんだと自分を納得させるにはどうしたらいいか、ということを通してしか見つけられない。俺はそう信じている。「ひとつの」歌を作ることから始めるんだ、ということを自分で自分に教えるにはどうしたらいいか、を教えるんだ。

 俺にとって、「ひとつの歌」と「幾つもの歌」の違いは、気の利いた、意味論的なトリックなんかじゃない。それは重要な違いだし、より正確には、実際にやることについての違いだ。「幾つもの」歌を作る人は誰もいない。まずひとつの歌を作る。それからもうひとつ、作る。そしてそうすることで、君は本当に欲しているものは何なのか思い出す。もしくは、君が「本当に」欲するべきだ、と俺が思っていること、を。消えていってしまうもの―時間の概念がなくなるのを観察し、少なくとも1回は、もう何もせず何者にもなろうとしない瞬間のうちに生きる。君が今この瞬間にいるその場所で時を過ごす。

 わかるかい? OK、以上だ…。それは「幾つもの」歌を通しては起こらない。「ひとつの」歌を作る過程に我を忘れて没頭したときにのみ起こることなんだ。