心はマリー・アントワネット

見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

Nels Cline Interview / Guitar World  2021,6,26

昨年6月に訳しかけて中断していたネルスのインタビュー翻訳,完了しました。

文中でネルス愛用のギターとペダルについての発言がありますが、私ギターのこともよくわかりませんがペダルについてはもっとわかっていませんので、Huckleberry FinnのVo.& Gのサクマツトムさん(2015年のSolid Sound Festivalで知り合ったWilco友達)に助言をいただいて訳しました。最後に載せた写真もご提供いただきました。どうもありがとうございました。

 

元記事はこちらです。

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「僕は身体をくねらせてアンプをかついでギターに火をつけたいなんて決して思ってはいなかった。静かな細い道を歩いていきたかったんだ」 

 

 

ミュージシャンズ・ミュージシャン、ギタリストのギタリストが語る、音楽生活の始まり、お気に入りのギター、ウィルコと長く続いている秘密、そして驚くべきすばらしい多様性を持った2020年のソロアルバム「Share The Wealth」について。

 

多くの人々にとって、ネルス・クラインはシカゴ出身の創造力溢れるロックバンド、ウィルコで高らかにギターをかき鳴らすリードギタリストである。彼は2004年からその場所にいるが、このミュージシャン、このリードギタリストを単にウィルコのギタリストとして認識するのは、彼の膨大な音楽の履歴書のほんの上っ面をかすめるにすぎない。彼はウィルコのギタリストであると同時に自身のバンドのリーダーであり、エクスペリメンタルミュージックのミュージシャンであり、即興音楽家で、作曲家で、一卵性双生児の兄アレックスとの共作者で、そして以下の文章からもわかるとおり才能の発掘者なのだ。

 

11月にネルス・クライン・シンガーズの最新アルバム「Share The Wealth」をリリースしたクラインは、このアルバムの簡潔さと長さの両方を評価している。いくつかの曲は2~3分と短い一方、10分以上に及んでいる曲もある。だがクラインにとってそれは問題ではない。彼はこの、インプロヴィゼイションミュージックというアートの形式が許容する大きな可能性の数々を楽しんでいるのだ。

 

私たちは、彼の最初の音楽体験、長年使い続けているお気に入りのギターとペダル、2020年の「Share The Wealth」の起源、その他諸々について話を聞こうと彼にコンタクトを取った。

 

 

 

Guitar World : 音楽が重要なものとしてあなたの人生に登場したのはいつですか?

 

Nels Cline : 両親が、膨大とは言えないが少なくもない、ある程度のレコードコレクションを持っていたんだ。父は特にブロードウェイのミュージカルが好きで、よく思い出の中に入り込んでスウィング時代のビッグバンドの音楽を聞いていた。だが僕にとっては、音楽が何を見せてくれるのかわかった最初の記憶はファーディ・グローフェの「グランドキャニオン組曲」だった。とても「標題音楽」(注・音楽外の想念や心象風景を聴き手に喚起させることを意図して、情景やイメージ、気分や雰囲気といったものを描写した器楽曲のこと。Wikipediaより)的なものだったけど。

 

このアルバムのジャケット写真は、何頭かのロバがグランドキャニオン渓谷の山道を降りていくものだった。音楽を聞きながら山道を降りていくロバを想像したことを覚えているよ。音楽の中にその姿を見ることができたんだ。6歳か、それくらいの頃だ。でも、自分が実際に努力して演奏するという可能性と共に音楽がもっと真剣に僕の心をとらえたのは10歳のときだった。

 

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それはザ・バーズの「Turn!Turn!Turn!」というアルバムだった。双子の兄と、当時の悪ガキの友人たちと一緒に聞いたんだ。ザ・バーズサウンドはすっかり僕に魔法をかけてしまった。兄がストーンズに魔法をかけられたのと全く同じようにね。

 

でも同時に、僕たちは小学校の5年生で、インドについて学んでいた。1年ごとにひとつの単元があって、ある年はメキシコ、ある年は日本、という具合にね。そして5年生ではインドだったんだ。

 

担任のゴドウィン先生が、ワールド・パシフィック・レーベルから出ていたラヴィ・シャンカールのライブ盤を片面全部聞かせてくれた。アラ・ラカがタブラを演奏しているものだ。たぶんそれが人生最初の「うわあ!」という驚きを伴った強烈な音楽体験だったと思う。

 

それを聞いてシタールを演奏したいと思った。クラスメイト達はそのレコードを嫌って大騒ぎでブーイングしていたけど、僕は文字通り「心を吹き飛ばされた」。今思うに、その瞬間、音楽は単なる娯楽以上の何かだという考えが生まれたんだ。インドの古典音楽を発見して、ラヴィ・シャンカールの自伝を読んだことも併せてね。

 

G : 僕はいろんな人と話をすればするほど、音楽というものは日用品と言うより薬に近いものではないかと思うんですが、あなたも同じように感じているのではないでしょうか。

 

N : うん、音楽は魔法みたいなものだ。僕の成長期、12歳か13歳の頃はSummer Of Loveの季節だった。1967年から68年にかけてだね。ポップミュージックにとって信じられないくらい生き生きと活気があり、カラフルで酔っぱらっていたような時代だった。

 

1967年、ジミ・ヘンドリクスの「Manic Depression」を聞いたときに目覚めたんだと思う。このアルバムが「演奏する人生」という僕の道を決定した。非常に純粋な形でそういう種類の音楽と出会えたことをとても幸運だったと思っているよ。そんな音に触れたことで深く心を動かされ、触発された。単純にとても興奮したんだ。

 

G : 「Manic Depression」の何がそんなにあなたの感情を動かしたのですか? 他の音楽にはそれを感じなかった?

 

N : あれは最も独創的な曲のひとつだったんだ。8分の6拍子、ミッチ・ミッチェルの驚くべきドラム、ハイピッチと言うよりオープンチューニング。そしてヘンドリクスの若さ。

 

それ以前にジェフ・ベックヤードバーズにも注目していた。ジェフ・ベックの大ファンだったんだ。でもヘンドリクスの音は ― コントロールされたフィードバック、ソロ、ギターに合わせて歌うこと ― すべてが完璧な魔法に聞こえた。まるで優しく感電死させられたみたいな気分だった。

 

あの魔法、あの感覚、あの高揚した気分は決して色あせることはない。あの曲を聞いて、僕はヘンドリクスに取りつかれてしまった。でも彼のように演奏しようという意味ではなくて、だって僕は当時12歳で、あんな演奏は人間には不可能だと思っていたからね。あの音を再現しようとなんとか頑張って挑戦するなんて無礼だとすら思ったし、自分は特別に華麗なタイプではないと確信していたから。

 

僕は身体をくねらせてアンプをかついでギターに火をつけたいなんて決して思ってはいなかった。大勢の興味を引いて魅了するなんてことも望んでいなかった。僕はただ、静かな細い道を歩いていきたかった。そう思ったとき、もっと抑えた、メロディックなスタイルを身に着けたギタリスト達が、僕にとっておおいに興味深い存在になったんだ。当時はギターのチューニングのやりかたを見つけ出すことすら簡単じゃなかった時代だ。今とは違う。だから僕はとても原始的なプレーヤーだった。長い間コードのひとつも知らなかった。でもブルースロックの系列でブルースを演奏しているギタリスト達は僕を魅了した。のちにスティーブ・ハウロバート・フリップのような人たちに気づくようになって、ああいう風になろうと努力した。

 

でもデュアン・オールマンディッキー・ベッツ、ハンブルパイの頃のピーター・フランプトンは僕にとってとても重要だった。あの時代の全ての種類のギタリスト、デイブ・エドモンズ、ポール・コソフ、そしてジョニー・ウィンター。全員だ。彼らのうちの何人かは、ジョニー・ウィンターのようにとても派手でリック(注・リフのように特定の曲に限定されない、短いギターのフレーズ)をたくさん弾いた。他の人たちはもっと控えめだった。

 

たとえば、長い間僕のヒーローだったデュアン・オールマンみたいな人たち、彼らは熟練のブルース・ギターとスライド・ギター、大いなる根気と長いメロディックなギターソロとのコンビネーションを特徴としていた。僕が恋に落ちたのはそこだった。君も知っているように、あの頃はロックンロールが世界を支配していた。ビートルズが1曲ヒットを飛ばしたら全てが違う風景になったんだ。

 

当時はデパートやドラッグストアでギターを買えたんだよ。店頭にテスコ・デル・レイの棚があって、日本製の安価なギターが置いてあった。僕の最初の3本のギターはこのメーカーのものだった。

 

双子の兄のアレックスと僕はヒッピーになりたかった。見た目も行動もヒッピーみたいにね。音楽と、いわゆる「カウンターカルチャー」の合わせ技にどっぷり浸かっていたんだ。意識の拡大と平和行動とロックンロールに参加したかった。

 

G : 双子のお兄さんと一緒にミュージシャンとして成長していくのはどんな気持ちでしたか? その成長過程は、あなたのトレードマークである独特の雰囲気で音を小刻みに細かく揺らす演奏方法にどのように関わっていたのでしょうか?

 

N : ああ、「細かく小刻みに揺らす」のは、もっと後になってからだよ。トム・ヴァーラインを聞きこんだことに影響されたんだと思う。でも僕は常々思ってるんだけど、トム・ヴァーラインクイックシルバーメッセンジャーのジョン・チポリナに影響されたんだろうね。

 

でも60年代のジェファーソン・エアプレインのジョマ・カウコネンみたいな人たち、彼らの多くはエリック・クラプトンのスローハンドが出てきてもっとリラックスした表現力豊かなビブラートが一般的になるまでは、早いビブラートを演奏していたよね。

 

中学生の頃は僕もそういうめちゃくちゃ早いビブラートを演奏しようとしていた。アレックスと僕は、他の2人と一緒にToe Queen Loveというバンドをやっていたんだけど、このバンド名はThe Fugsのアルバムから取ったんだ。

 

兄はいつも素晴らしかったよ。彼は、そうだな、何と言うか、どんな楽器をやってもある種の明快な、首尾一貫した演奏ができる類の人間だと僕は感じていた。僕がブルー・チアーをあまり好きじゃなかった頃、彼も同じように好きじゃなくて、彼がグレイトフル・デッドを好きじゃなかった頃、僕も同じように好きじゃなかった。でも僕たちは何でも一緒に聞いて、力を合わせて二人の音楽の道を形作ってきた。

 

あえて言うけれど、僕たちは一卵性双生児だから、二人ともいわゆる「ジャズ」や「フリージャズ」「チャンバージャズ」の即興演奏家になったことや、高校生の頃に音楽を始めてそれ以降もずっと努力してきたことについては、二人の繋がりと音楽的なテレパシーが間違いなく存在するんだ。

 

僕たち自身だけがそのことに気付いているわけじゃない。僕たちの演奏を聞いたら誰にでもそれは感じ取れる。成長の過程としては全く普通ではないけれど、単純に快適だったしインスピレーションの素晴らしい源だったというだけでなく、自分一人でやるよりも二人のほうがずっといい音を出すことができたんだ。

 

G : あなたは小さい博物館を造れるくらいギターのコレクションを持っていると僕は確信しているのですが、これがなければ生きていけないと思うくらい気に入っているギターはありますか? それと、あなたの何本かのギターはすごく使い込んでいますよね。まるでそのギターに忠誠を誓っている、というレベルで!

 

N : 皆が一番よく目にするギターが、僕が持っているなかで一番気に入ってるギターだよ。1960年の、僕は何年もの間59年製だと思ってたんだけど60年代初頭のだと後に判明した、フェンダージャズマスターだ。1995年に、そのとき一緒にツアーしていたマイク・ワットから買ったんだ。以前は黒だった。僕のために公正を期して言うなら、あのギターはデリケートだし仕上げの塗装がオリジナルじゃないんだ。だからすぐにボロボロになっちゃうんだよ。

 

でも僕はギターを弾くときの動きやアクションのこととなるとあまり手加減しないところがあって(笑)、だから59年のジャズマスターがここニューヨークに1本あって、僕が「ザ・ワット」と呼んでいるもう1本はシカゴのロフト、ウィルコのスタジオにあるんだよ。

 

8月にツアーを再開する予定だから、1年ぶりに僕はあのギターと再会できるんだ。ここにある「’59」は買ったときすでにかなりボロボロだったんだよ。

 

60年代に一度真っ二つに割れて、誰かがまた貼り合わせたみたいなんだ。すごいよね。確かに買った時よりも大幅にこのギターの塗装は剥げてしまっているけど、わざとやっているわけじゃないよ。他のギターよりも僕の当たりの強さが反映しているように見える、というだけの話だ。

 

たとえばウィルコに加入したときから使っているジェリー・ジョーンズ・ネプチューンの12弦ギターが僕は大好きなんだ。ウィルコのツアー用に買ったんだけど、今でもほとんどのパーツが全くの新品に見える。痛んだ部分は見当たらない。もちろんジャズマスターと同じような弾き方はしないし、ジャズマスターほど頻繁に弾くわけでもない。でも他の気に入ってるギターは ― 困ったな、自分が何本ギターを持っているのかわからないよ。本当に、何本あるのか知らないんだ。とにかく多すぎてね!

 

でもウィルコに加入してからは、ほら、僕には大学に行かせなきゃならない子供もいないからさ、故郷のロサンゼルスで質素に暮らして、ツアーをして、それからジェフ・トゥイーディと一緒に楽しく街をそぞろ歩いてはクールなギターを見つけて ― 彼はものすごいコレクターでギターの知識も豊富だから。そうして僕は主に変わったギターに引き寄せられるようになったんだ。

 

そんなに高価なものやコレクターアイテム的なギターは持っていないんだ。でももう1本気に入ってるのは、70年代から持っている1952年製の小さいマーティンの00-17だね。ウェストウッド・ミュージック(注・ロサンゼルスのギターショップ。現在は閉店)で250ドルで買ったんだけど今でも大好きなんだ。すごくきれいな54年製のマーティン0-18も持ってるし、古いテイラーの12弦アコースティックギターも大好きだ。これは70年代後半に買ったんだけど、当時彼らの会社はまだ出来て2,3年しか経っていなかったんだよ。

 

彼らの店がまだカリフォルニアのレモングローヴにあった頃だね。今の彼らとは全然違う製法で作られたギターで、僕はずっと、とても気に入ってる。僕はラルフ・タウナーと彼の12弦ギターの演奏にすごく影響を受けてるんだ。

 

このあたりがお気に入りかな。高校生の頃から持ってるギブソン335も ― ウィルコの「Either Way」でも使ったギターだよ。これは素晴らしいことだよ。僕の両親もその頃から明らかに信じていたんだ。僕の音楽生活がこんなにも長く続くだろうということをね。

 

父がいくばくかの遺産を相続したから、僕はとてもいい新品の’71を手に入れることができた。知っての通り、当時はヴィンテージ市場なんてなかったからね。今なら皆、「71年は当たり年じゃない」って言えるけど、でも今となっては僕と同じ、所有者と同じくらいのヴィンテージギターだよ(笑) 僕は今でもそのギターを持っているよ。

 

僕はたくさんギターを持っているし、本当にその全部が大好きなんだ。サウンドチェックの時にウィルコのツアーで使うギターをしまってある部屋の前に立って、セットアップされたたくさんのギターを眺めるんだけど、ほとんど毎回ローズウッド・ドロップD・ジャズマスターに目が止まる。BilTギター(注・アイオワ州デスモイネスのハンドメイドギターショップ)のスタッフたちが僕のためにメンテナンスしてくれたギターだ。それか、ジャガーだ。

 

僕は本当に、自分のギターが大好きなんだよ! 「ザ・ワット」以前は、長い間「僕のギター」は’66年のジャガーで、僕はこのギターがとても気に入っていた。技術的には「最高のジャガー」ではなかったけれど。ボディは重いアッシュ材でブロックインレイ(注・演奏中にフレット数を確認するためネックにはめ込んだ四角形のマーク)とバインディング(注・ギターのボディ、ネック、ヘッドの外周にある縁取りの装飾)が付いている。でもこれは、僕が自分自身の音楽と同じくらいジャズスタイルの音楽を演奏してきたギターなんだ。だからすごく説得力のある音を出せて用途の広いギターなんだよ。僕はジャガーが大好きだ。

 

G : ペダルについてはどうですか?

 

N : 僕のナンバー1はエレクトロ・ハーモニクスホーリーグレイルだよ。今では修理もできないしどこに行っても見つからないから手に入らないんだけどね。僕はこれを6個持ってるけど、そのうち確か4個は壊れてるんだ。

それから古いエレクトロ・ハーモニクスの16セカンド・デジタルディレイ。1985年にビル・フリーゼルに教えてもらった時からずっと使ってる。ビルはこのペダルの達人で、でも彼のは壊れてしまって修理できる人を見つけられなかったから今はもう使っていないんだよ。これは明らかにこのペダルの大きな問題だ。これは本当はルーパー(注・演奏しているパートを録音して何度も繰り返し演奏(ループ)させる機能を持つエフェクター)で、リバース(注・逆再生)とオクターブジャンプとオクターブダウン(注・原音に対して1オクターブ上または1オクターブ下の音を作る機能)とマイクロトーナル(注・微分音。一般的な全音や半音より小さい音階)機能がある。ループを壊すことなく加えることができるんだ。だから僕は1985年からずっと使ってる。もちろん最初の1台は壊れてしまったけど。(注・ネルスがこのペダルをデモンストレーションしている動画はこちら。)

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今使ってるのは2回修理したけど、もう限界だと思う。誰かが僕の壊れたこのペダルをまとめて持って行ってちゃんと動くのを一つ作ってくれるかもしれないから、その時のために全部まだ持っているんだ。

 

ボリュームペダルも大好きだよ。僕はただのボリュームペダル・ガイなんだ(注・原文はI'm just a volume pedal guy.ジョン・レノンの「Jealous Guy」に掛けてるのでしょうきっと)。僕はこれを決まりきったバイオリン奏法(注・ギターのボリュームをゼロにしておき、ピッキングしてからボリュームを上げてバイオリンのような音を出す演奏法をペダルで自動ですること)のためだけでなく、場合によっては60ヘルツのハムノイズを消すためにも使っている。レコーディングで自分が弾いていないときもね。いつもこれを持っているから僕はノイズを出したことがないんだ。高校生の頃からボリュームペダルを使っている。僕が長年にわたって持っている唯一のペダルだよ。

 

このペダルを使おうと思ったのは、ロバート・フリップスティーブ・ハウが使っていたからなんだ。重要な理由だよ。でもファズやディストーションのような派手なものについて言うなら、たくさん種類がありすぎる。でも常にひとつ持っているものがあって、ボスの小さなコンプレッサーCS-3をずっと使っているんだ。

 

単にあの音と働きに慣れているんだよ。僕はCS-3と安価なボスのデジタル・ディレイ・ペダルDD-7が好きなんだ(注・原文にDD-7と記載はありませんでしたが、2013年の「ギターマガジン」インタビューでネルスのボードにこのペダルがあったとの指摘がありましたので機種名を入れました。「大抵のギター小僧たちが最初に手を出すディレイペダル」だそうです)。ステージが真っ暗でもツマミを回せるからね。すごく長い間使っているからセットするのに明かりは必要ないのさ。

 

G : ウィルコに加入したのはどのような経緯だったんですか? バンドの音楽スタイルやバンドそのものとの間にどのような化学反応があったからこんなに長く続いているのでしょうか?

 

N : 2004年にジェフが当時僕のパートナーだったカーラに電話してきたんだ。僕がウィルコで演奏することに興味はないだろうか、と。その頃は僕の視野にウィルコというバンドは存在しなかった。僕はその頃、18年間続けてきた生活のための(注・お金を稼ぐための音楽以外の)仕事から解放されたいと思っていた。でも、何と言うか、できなかったんだ。僕はそれまでにたくさんの人たちと一緒に好きな音楽をやって、レコードも何枚か出していたんだけどね。

 

僕がジェフの誘いに「イエス」と言ったのは、ウィルコに関するある重要な事実があったからだ。それが理由だったし今でも変わらない。ウィルコの音楽が向かおうとしているところ、行くことができるところが果てしなく広大だ、ということだよ。演奏するための「目標」みたいなものはないけどね。アルバムを作るとき、自分たちが何をしようとしているのか、僕たちには正確にはわかっていないんだ。ジェフは最高のリーダーだよ。奥深い歌をたくさん書けるソングライターである上に、すばらしいバンドリーダーだと思う。

 

僕は、バンドにはリーダーがいることが大事だと思っている。民主主義的なバンドにもいくつか参加したことがあるけど、そういうバンドでは何かひとつ決めるのにも信じられないくらい骨が折れる退屈なプロセスが必要なんだ。現在僕たちは17年間同じ6人のメンバーでやってきて、その結果、僕は本当に、うん、本当に皆のことが大好きなんだよ!(笑) 彼らとツアーに出るのはとても気が楽なんだ。もしメンバー間にドラマチックな軋轢が常に起きているようなら、僕にはそういうバンドは無理だね。きっときわめて不幸な人間になっていただろうな。

 

G : 最新のソロアルバムはどのようにして生まれたのですか? サウンドと作曲に関して、どのように考えていましたか?

 

N : 僕がネルス・クライン・シンガーズと呼んでいるこのバンドは、20年前にトリオとしてスタートしたんだ。ほとんど、ギター、ベース、ドラム、みたいな感じで。でもいつもパワフルだというわけじゃないのにパワートリオと呼ばれるのが僕にはどんどん居心地悪くなっていって、もっと多くのミュージシャンに参加してほしいと思っていた。

 

それで、僕が書いたいくつかのものがどんな感じになるか、何が起こるか見てみたくて、ブルックリンで2,3日集まって一緒にやってみたんだ。「Share The Wealth」はそこから始まったんだよ。長いインプロヴィゼイションを入れた2枚組のアルバムになるなんて思わなかったよ。

 

でもインプロヴィゼイションをたくさんレコーディングする、というアイデアはあったんだ。だから、それを切り刻んで、貼り合わせて、何か調和の取れない、万華鏡みたいにくるくる変わる、興味がそそられるようなことをやることができた。

 

レコーディングしたいろんな断片を聞き始めて、僕はとても嬉しくなった。でも、この長いインプロヴィゼイションを聞いて、元々の曲よりもそっちにのめり込んでしまった。自分たちがやったことがすごく気に入ったんだ。だからあちこちを編集して、戦略的に無音のパートを入れただけなんだよ。でも基本的には僕たちが演奏したそのままだ。(ブルーノート・レコードの)ドン・ワズに聞かせたら、「よし、これで行こう」って。

 

このアルバムは僕が高校生の頃からずっと追求して掘り起こしてきた美学を反映している。つまり、ジャズ・ロック、フュージョン、チャンバー・ジャズ、そして見ての通り、インディー・ロックやブラジリアン・ポップからの影響という側面もある。

 

最後の曲、「Passed Down」はとてもシンプルだ。フォークソングみたいに聞こえるし、まさにそれを意図したんだ。(サックスの)スケリックがこの種の曲で見せる、堂々とした表情豊かで明瞭なメロディを吹く能力は、以前Phishのコンサートの後で彼とセッションしたときに感じ取ったそのものだった。

 

あの音をこの曲に入れることができたのは素晴らしいことだし、同時にとても大事なことだったと思う。あれこそが「Share The Wealth」ということなんだ。彼らミュージシャンたちと僕との間に起こったユニークですばらしい化学反応がはっきりと現れたことと、長年にわたるある種の興味が蓄積したものだ。いつかライブをやりたいね!(笑) このメンバーでライブをやったことはまだ一度もないんだ!

 

(終わり)

 

追加その1:「ギターマガジン」2013年6月号掲載のジェフとネルスのインタビュー記事の写真。

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追加その2:ネルスがペダルの紹介をしている動画。2018年なので比較的最近。

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