心はマリー・アントワネット

見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

Jeff Tweedy Interview / Esquire May 3, 2022 / By Dan Sinker

Esquire誌のウェブサイトに掲載されたジェフのインタビューを訳しました。本当は「Cruel Country」が配信される前にアップしたかったのですが、5月末のSolid Sound Festivalに行くことになってその準備でばたばたしていたので間に合わず、帰国してから作業再開したので遅くなりました。

今年2月以来の更新です。もう少し頻繁に更新したいのですが向こうのインタビューは長い! 私の英語力ではこのペースが精一杯です…。

ではどうぞ。

 

元記事はこちらです。

 

www.esquire.com

 

 

ジェフ・トゥイーディは良い日々を知っている

 

 

ウィルコの新譜「Cruel Country」制作についての最初のインタビューで、54歳のジェフが人生、家族、受け継いできたレガシー、そして「希望」について語る。

 

 

今日はいい天気だ。そして僕はウィルコの「Darkness is Cheap」を聴いて泣いている。彼らのニューアルバム「Cruel Country」収録の曲で、僕のダイニングテーブル兼仕事用デスクの上にある安っぽいブルートゥース・スピーカーから流れてくるのだ。窓の外では小鳥たちが餌台の上で争っている。何日も続く雨と終わりのない曇り空、今年のシカゴの春はずっとそんな天気だった。だけどそんな日々も終わり、今日は青空が広がっている。フロントマンであるジェフ・トゥイーディの高い声が、音数の少ない演奏の隙間を埋めている。シンプルなホーン、ピアノ、ギター。今、多くのものがそうであるように美しく、そして悲しい。気づかないうちに涙が頬を伝って落ちていった。

 

この数年は長かった。僕にとっても、君にとっても、そしてジェフ・トゥイーディにとっても。パンデミックと、政治的分断と、それらすべてにゆっくりと忍び寄る無力感からくる圧倒的な孤独の中で、僕たちはいつも道に迷いひとりぼっちだと感じていた。このアルバムの他の曲でも彼が歌っているように、「何も変わらないのを見ているのはつらい」。トゥイーディにとって、あてもなく彷徨っているように感じたのはこれが初めてのことではない。そして多分、最後でもないだろう。だが今回は今までとは違う新しい感覚があったと彼は言う。「この喪失の期間に考えついたんだ。音楽を作ることは、すべての人々にとって、クソみたいな日々よりもっといい日々を過ごすための方法を見つけ出そうとすることなんだ、って」。

 

トゥイーディは悪い日々を知っている。筋金入りのインディー・ロックバンド、ウィルコの中心にあって、彼は薬物中毒と不安と落胆、消耗性片頭痛に苦しんでいることを公にしてきた。片頭痛がとてもひどかったため、子どもの頃はしばしば痛みのために一晩に何回も嘔吐し、脱水症状で病院に担ぎ込まれていた。襲ってくる不快感を麻痺させるためにヴァイコデインを常用していたので、2004年にはツアー中にホテルのバスタブで気を失った―もう二度と目が覚めないかもしれないと思いながら。リハビリで薬とは手を切ることができたが、ひどい片頭痛は今も続いている。今朝も彼の片頭痛のためにこのインタビューは予定から数時間遅れて始まった。

 

だが彼は良い日々も知っている。「俺がみんなのために世界中をツアーして、レコードを出して、音楽を作っていられるのは、神に祝福されていると思う」と彼は語る。「まさに奇跡だよ」。ウィルコは、かつてグレイトフル・デッドのようなバンドが持っていた、熱狂的なこだわりを持つファンを魅了している。そのことは、ほとんどのインディーバンドには持てないレベルの成功を彼らにもたらした。ウィルコは全ての深夜トーク番組(君が見たことがある番組と、それ以上のたくさんの見たことがない番組)に出演し、トゥイーディは「パークス・アンド・リクリエイション」(注・NBCテレビジョン・ネットワークで放送されたアメリのコメディ番組)で伝説のミニホース、リトル・セバスチャンのために歌った(注・この動画は見つけられなかったので同じ番組に出たときの別の動画を貼ります)。また、テッド・ラッソでは最近のエピソードの主題歌も歌っている。

 

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しかしほとんどの場合、彼は良い日々と悪い日々のバランスの取り方を知っている。それがどのようにうまく均等に割り振られて人生を形作っていくのかを。「たまにとても、ほんとうにとても絶望的な気持ちになるんだ。でも同時に、ほとんどすべての瞬間に、ささやかな、シンプルな喜びも存在している。角を曲がったらひょっこり出くわすんだと学んできたよ」と彼はシカゴの自宅から電話越しに語った―洗濯物を畳みながら、いささかきまり悪そうに。

 

トゥイーディがこの奇妙な数年の間に体験したささやかでシンプルな喜びのおかげで、4月の末に行われたこのインタビューは活気のあるものになった。この数年、ウィルコはバンドの歴史上最も長期間にわたってツアーを中止し、その結果トゥイーディは大人になってから最も長い時間を家で家族と一緒に過ごしていた。これはウィルコがきっかり4か月間(バンドの歴史においてはほんの一瞬だ)、メンバー全員が揃ってレコーディングしたアルバム「Cruel Country」の制作についての初めてのインタビューであり、そして、このレコードのシンプルで余計なものをそぎ落とした曲の数々が、いかにして彼をウィルコの最も影響力の大きいアルバム「Yankee Hotel Foxtrot」20周年を記念してこの春に行われたコンサートで再びそのアルバムと対峙したことによる「落ち込み」から救ったか、という話でもある。だがそれ以上に、このインタビューは、家族、レガシー、そして何よりも、希望、といった広範囲に及ぶ会話となった。

 

その前に、彼は僕に文句を言いたいことがあるらしい。10年前、僕はラーム・エマニュエルがシカゴ市長に立候補したことを風刺した本を書いた(注・ラーム・イスラエル・エマニュエルは、アメリカ合衆国の政治家。第55代シカゴ市長、バラク・オバマ政権にて第23代大統領首席補佐官などを歴任した。2021年8月20日ジョー・バイデン大統領により駐日アメリカ合衆国大使に指名され、12月18日に上院本会議にて承認された。2021年12月22日、就任の宣誓を行った。/Wikipediaより引用)。そしてその件でシカゴという大都市がまるで小さな町みたいに感じられた奇妙なできごとのひとつに、その本の出版記念パーティーである歌手に本の中のワンシーンを再現してもらった、ということがあった。そのシーンとは、架空のジェフ・トゥイーディがエマニュエルの資金調達パーティーブラック・アイド・ピーズの曲を歌う、というものだった。その結果、その夜以来彼はそのビデオから逃れられなくなったのだ。以下の記述は事情をはっきりさせるために少々編集して要約している。

 

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トゥイーディ:君のせいで一時期俺はとても、ものすごく大変だったと言っておかなくちゃならない。

 

エスクワイア:10年以上前のことじゃないか!

 

T:大急ぎでさっと話すから気にしないでくれ。かなり前にチポトレ(注・Chipotle Mexican Grill。アメリカのメキシコ料理ファストフードチェーン)が俺にブリトーの無料カードをくれたんだ。店頭でそのカードを見せるとチポトレの従業員たちはいつもすごくざわざわしてた。彼らがカードをスキャンしたら「セレブリティのため無料」になったからね。もし可能だったら俺は毎日チポトレでブリト―を買ったと思うよ。だって全部タダだったんだから。なぜ彼らがそのカードを俺に送ってきたのかわからなかったんだけど、結局は取り上げられちゃったんだけどね。でもそのカードを持っている間、店のスタッフは誰も俺がセレブだとは思ってなかったみたいだ。あるとき店内で座ってブリト―を食べていたら、バックヤードのキッチンでスタッフたちが俺の名前を検索したらしいんだ。レシートに名前が印字されていたからね。こいつはいったい誰なんだ?って。そして俺がちょうど食べ終えようとしているときに彼らが駆け寄ってきて、俺をキッチンに連れて行ってみんなで写真を撮った。彼らは俺が「I Gotta Feeling」(注・ジェフが前述のパーティーで歌ったブラック・アイド・ピーズの2009年の大ヒット曲)を作曲したと思ったんだよ。

 

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E:Oh,No.

 

T:彼らは俺がハイドアウトであの歌を歌っている動画を見ていたんだ。

 

E:だから無料カードを取り上げられちゃったんだ!

 

T:たぶんね。よく知らないけど。でも今日に至るまで、俺が体験したことの中であれが一番ウィルスに感染したのに近いことだったよ。わざわざあんな手間をかけてあのバンド(ブラック・アイド・ピーズ)をからかうなんて、と俺を非難した人たちもいた。未だにソロツアーをすると必ずあの曲をリクエストされるんだ。君の本のために親切でやったことで、思ってもみなかったいざこざに巻き込まれちゃったってわけだ。

 

E:あー、うん、このインタビューで埋め合わせさせてもらいます。

 

T:いや、あれは楽しかったよ。あの件に参加できて嬉しかった。とても素晴らしい本だったし、楽しい体験だったよ。

 

E:おお、ありがとう。今話しても本当にあったことだって誰も信じてくれないんだよね。

 

T:みんな、俺を信じてくれ。証拠もある。

 

E:そのとおり。でも過去のことはもういいよ。もうすぐウィルコのニューアルバム「Cruel Country」が発売されるよね。アメリカについてのレコードを作るにあたってはひどい時期を選んでしまったね。

 

T:だって今、それ以外に考えなきゃいけないことなんてあるかい?

 

E:この国が抱えている問題と未来についてのレコードを―ウィルコなりのやりかたではあるけれど―作ることは、最初からの意図があったの? それともむしろ、レコーディングが終わってから腰を落ち着けて全体を見渡したところで自分たちが何を作ったのかわかった、みたいな感じだった?

 

T:その両方が少しずつ、ってところかな。パンデミックの初期には、フォークやカントリーの曲を作ることで俺は心がとても落ち着いて穏やかになれたんだ。それは今までの人生のほとんどすべての時間にやってきたことだったんだけどね。そういう、より狭い領域の曲作りに集中することって、ソウルフードみたいなものなんだよ。食べ慣れてて、元気が出て、気持ちが落ち着くんだ。状況が劇的にどんどん変わっていく中で新しい音楽の形を考えることはとても難しい。だから、こういうカントリーとフォークの曲ばかりがたくさんできて積み重なっていったんだ。その中の何曲かは俺のソロアルバムになったけど、大量の曲がまだ残っていて、それは一旦脇によけられていた、ってわけだ。

 

ウィルコはパンデミックの前からニューアルバムのレコーディングを始めていて、それは形としては「アートポップ」だったんだ。新しいアイディアを形にしようとずっと作業を進めていて、とてもエキサイティングなものになるはずだった。20~30年、いやもっと長い間バンドをやってレコードを出し続けるのはとても楽しいことだ。新しいものを作りたい、みんなを驚かせたい、ってね。俺たちはパンデミックが起きるずっと前から、メンバー間でテイクを送り合って作業を進めてきた。今、パンデミック下ですべてのレコードがそうやって作られているみたいに。

 

だけどその後、やっと全員が実際に集まれるようになって、スタジオに腰を落ち着けて一緒に演奏してみたら、そうやって作ってきたテイクがしっかりと地に足の着いたものとは感じられなかったんだ。全員がね。だから俺はそれまで一旦脇によけていたフォークやカントリーの曲を全部引っ張り出してきた。最初から俺はその一群の曲をまとめて「Cruel Country」と呼んでいたんだよ。もう一枚の、当初作っていたアートポップのレコードにも既にタイトルはついていた。つまり俺たちは2つのレコードを作ったんだ。そして、いざ全員で集まって、ロフトに落ち着いて一緒に演奏することで、メンバー全員の結びつきが改めて強く確かなものになっていったんだ。

 

E:スタジオに全員が揃ってそれっと一斉にライブでレコーディングするのはずいぶん久しぶりだったんだろう? 2022年に同じ空間で一緒に音楽を作るのはとても奥が深いことのように僕には思えるよ。きっと心が大きく動かされたに違いない、と。

 

T:イエス! そのとおりだよ。歌える歌を作ることが、差し迫っての切実な俺の望みだった。「みんなで一緒に」歌える歌を作ることがね。ここ最近の何枚かのレコードを作ったときのやり方に戻るのはばかげていると思った。つまり、俺が最初の基本的なトラックをほとんど全部作って、他のメンバーがその上に練り上げてアレンジした自分のパートを入れる、みたいなやり方だ。もう長い間、レコーディングで全員が同じ部屋で一緒に演奏する、なんてことはなかったんだ。俺たちはパンデミックの前からパンデミックのやり方でレコードを作っていたのさ。だけど、友達と一緒に音楽をやるって、とても気が許せる、くつろいだ気持ちになれることだろう? 言葉のいらないコミュニケーションだ。俺たちが最終的に採用した曲のすべてに、このこと、言葉では正確に言い表せないことが詰まっている。まるで、みんなが誰かと分かち合いたいと感じる瞬間のような音なんだ。

 

E:「誰かと一緒に歌いたい歌を見つける」ってすごく美しいことだと思う。

 

T:そうだろ? シンプルで、根源的なことだ。俺は、自分がすごく祝福されてると感じるんだ。レコードを作って、みんなのために演奏する立場にいられる、ということがね。まさに奇跡だと思う。だけど俺の人生のほんの小さな状況においても、ささいなくだらない言い争いはいくつもあったんだ。本物であることについての争い、スタイルについての争い、批評されるべき何ものかであるような音楽を作るためにはどうすべきか、という争い…。でも俺は、この喪失の時代に音楽を作るということは、クソみたいな最低の日々ではなく素晴らしい良い日々を過ごすためにはどうしたらいいのかを見つけ出すための方法なんだと思うようになったんだよ。

 

E:最低な日々の中にあるそこそこ良い日々について話をしようか。君はパンデミック中に家族と一緒に何回もストリーミングをしてくれた。何が君たち家族に、みんなをあんなに自分たちの生活に近いところまで引き込もうと思わせたの?

 

T:君も見てくれたんだ?

 

E:うん、何回も。特に最初の頃にね。

 

T:なんてこった。そうだな…、パンデミックの前からスージーは軽い気持ちでストリーミングをしようかと思っていたんだよ。うちにあるいろんなガラクタを紹介して、それについて話そうか、と。でも彼女はカメラの前でしゃべるには少しシャイだから、俺と一緒にやれたら面白いんじゃないかなと思っていたんだ。でもその後、ウィルコのツアーがパンデミックのせいでキャンセルになって、彼女は毎日オンラインでファンの人たちががっかりしているコメントを全部読んでたんだけど、その数がどんどん増えていって。そのコメントを読むと、ある種のファンの人生においてバンドがどれだけ重要な役割を果たしているのか、とても強く感じられたんだ。俺が思うには、彼女はただその人たちに安心してほしかったんだよね。だいじょうぶだよ、って。少なくとも、彼らに手を差し伸べて、なんとかしてみんなが繋がれるようにしたかったんだと思う。でもあのストリーミングはあっというまにそれ以上の存在へと成長してしまった。

 

俺自身は、あのストリーミングはステージもなくヒエラルキーが徐々に解体されていったあの時期にあって、信じられない瞬間だったと感じたよ。残念ながら一時的なものではあったけれど、あの瞬間はスターも、アマチュアも、プロもいなかった。俺たちはみんな、ああいう繋がりを求めていたんだ。今はもうなくなってしまったけどね。そしてみんな少し怯えていた。だから、始める前にはほとんど何も考えてなかったんだけど、俺たち自身にとってもあの配信は家族が集まって毎晩いくつかの歌を練習して歌うことで結びつけられていく手段になっていったんだ。それだけで俺たちは正気でいることができた。そのうえ、その体験をみんなと共有して、みんなとも繋がっていく手段になっていったんだ。やってよかったと思うよ。

 

E:息子さん達もあのときは家にいたんだよね。今も一緒に住んでるの?

 

T:うん、だいたいはね。スペンサーは近所で彼女と一緒に暮らしてる。サミーはパンデミックが始まったときは大学に行っていて、それ以来基本的には自分の部屋にいるよ。

 

E:僕は今でも、あの1年半の間うちの子たちが家にいたことを思い出すと頭がクラクラするよ。いろんな点で素晴らしい体験だったけど、ちょっと視点を引いて客観的に見てみると、当時は正気じゃなかったな、とも思う。君はあのとき家族と一緒にいることで自分自身について、または家族についてなにか学んだことはあった?

 

T:うん、もちろん。俺は大きく変わったよ。コロナでたくさんの人の命が奪われたことを考えると、ポジティブな側面を表明しにくいけどね。でもあの経験は俺にポジティブな変化をもたらした。その変化をもたらすのに違う方法があるかはわからない。俺は、大人になってからは、あんなにまとまった時間をひとつの場所で過ごすことはなかった。だからいつも、自分はそういう状況に適応できないんじゃないかと心配してたんだ。たぶん家族は俺が家にいない方がいいこともあるんじゃないか、とか、結婚生活だって俺がいないことで何かいいことがあるんじゃないか、とか。俺たちはあの大変だった時期にちゃんと一緒にいることができて、なかよくやっていけて、協力しあうことができるんだ、って知ることができた。とても健全なことだよ。

 

同じように、音楽的にも芸術的にも、この痛みを無駄にしたくないと思ってる。あらためて強く断言したいんだけど、俺の人生において自分を解放して背負っている重荷から自由になるための最も効果的な方法は、曲を書いたり創造したりすることなんだ。単に自分で曲を書くだけじゃなく、他の人が書いた曲を学ぶこともだ。俺たちはたくさんの、1000かそこらの曲を練習して、自宅から200回以上配信した。だいたい毎晩7時ごろにスペンサーとサミーが今日はどの曲を歌いたいか、俺にアイディアを投げ始める。おかげで俺はギターを弾くのもコード進行を分析して習得するのも上手くなったよ。今までの人生でもずっと考えてきたんだけど、つまりその種の集中する努力が俺を進歩させてきたんだな。今ステージで演奏してるときもそれを実感しているよ。すべてが上手くいった。いいことだったんだ。同時にすべてがとても恐ろしいことでもあったけれど。

 

E:ニューアルバムはそういう、いいことと恐ろしいこと、両方の経験をうまく捉えていると思う。今現在の悲しみもとてもうまく捉えている。そこにはたくさんの死がある。僕たちの人生の中にあるのと同じように。でも希望もある。君はこのレコードを、暗闇から光へと向かうものとして描いている。僕は、君がどうやって希望と慰めを悲しみと両立させたのか知りたいんだ。

 

T:それは、今までの音楽においていつも起きてきたのと同じように起きたんだと俺は確信している。つまり、問題や死や恐怖について歌うことでそれらを消滅させることはできない。でも、束の間その重みを軽くすることはできるんだ。ときにはそれだけで十分なんだよ。

 

死について、自分が死ぬという運命については何も心配しなくていい、と思わせるような歌を書くことができるとは思わない。誰かを一日中落ち込ませるような歌を書くことはできる。明らかに。でも俺はそんな歌を書こうとは思わない。おおむねこういうことじゃないのかな。自分を脅かすようなものに出会ったときに、その恐怖を少しでもましなものにするために想像力を働かせてなにかをやってみる。その瞬間をなんとかやり過ごすために、メロディーで恐怖を克服する。それが暗闇から光へと向かうのにうまく働いたんじゃないかな。俺の考えだけどね。

 

E:ニューアルバムの「Story to Tell」という曲に、「地獄へと向かう道のりで 地獄を通り抜けてきた」と君は歌っているよね。実際、僕たちはつい最近「地獄を通り抜けてきた」。しかも僕たちは今でもそこを通り抜けているし、なんならそこにまだいるような感覚がある。

 

T:俺に言わせれば、カントリーミュージックの典型的なフレーズだけどね。一行ですべてを伝えることができるような。こういうフレーズに出くわしたらすごくラッキーだと思うんだ。こういうものをみんないつも探しているだろう?

 

俺はたぶん、以前からこのことについて考えていたと思うんだけど、人々が主張することの多くが、みんなを地獄を通らせて最終的に地獄へと追いやるんだ、みたいな。でもまあ、広い意味で言えば、人生ってそういうものだと思うんだよ。恐ろしいときを通り抜けていく、でも、その恐ろしいときはちゃんと過ぎていくんだ。恐ろしいときを生き延びたことに気がついて、人は自分で思っていたよりも強くなっていく。でも同時に、そのことは、近い将来また似たようなことがやってくる、と気づかせることでもあるんだ。

 

E:誰が言ってたか忘れたけど、僕はよく以前読んだ引用文について考える。カントリーミュージック―良質なものに限るが―は、ささやかな人生を送っている人たちのための音楽だ、と。君はこのバンドを長いあいだやってきて、人生の多くの時間をそこで過ごしてきた。「Yankee Hotel Foxtrot」20周年記念の直後に「Cruel Country」発売の告知をして、この2週間はあの昔のアルバムの全曲完全再現ライブをやった。あの偉大なレガシーの過去を振り返ることと、未来へ進むことを同時にやるのはどんな感じだった?

 

T:ニューアルバムを発売するにあたって、すべてのことがどんどん加速していった理由の一つがそれだったと思う。新しいレコードを配信して、その収録曲を歌いたいという気持ちがなかったら、「Yankee Hotel Foxtrot」の再現ライブに関わる作業のなにもかもが俺を落ち込ませただろうね。

 

まず第一に、「Yankee Hotel Foxtrot」の中で、現在ステージで演奏していない曲はひとつもない。でもそれらの曲がライブで他の時代の曲の間にねじ込まれるときは、現在の俺たちの音や感覚に合わせて姿を変えているんだ。通常のセットでその曲を演奏するとき、それはもう当時俺が街を歩き回って感じた悲しい風景を再現してはくれない。でもこの数週間、メンバー全員で集まって、あのスタジオで演奏したのと同じようなアレンジを作り上げるために一生懸命演奏していたときは、正直言ってめちゃくちゃしんどかったよ。完全再現ライブの最初の夜、実際やってみたら疲労困憊して、そのことに俺はすごく驚いた。とてもパワフルな演奏ができたし、あのパフォーマンスを誇りに思っている。でもあの夜、完全再現ライブを20回ブッキングしなくて本当によかったと思ったね。わかるだろ? 質問の答えになってるかわからないけど、集中できる新しいことがあってすごく幸せだったと思ってるよ。

 

それが、俺がある種の楽観主義を拭い去れない理由のひとつなんだ。なぜなら俺は自分の人生については本当に、まったく、希望を持てないんだけど、でも明らかに人生で与えられたほとんどすべての瞬間に、角を曲がると、ごく小さな、シンプルな喜びがある、と学んできたからね。それを前もって知ることはできない。でも待つ価値はある。もし受け入れようとする意志があるなら、それは必ずやってくる。そういう信念をある程度持っていることはできる。ニューエイジ自己啓発系の何かみたいに受け取られたくはないんだけど、それが真実だと思う。俺の人生が最悪だったときですら、世界はクレイジーな喜びの日々に向かって開かれていたし、俺はそれが例外的な状況だとは思わないよ。

 

(終)