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Wilco's Cruel Country / Jeff Tweedy, Nels Cline & Pat Sansone Talk about Their New Album (by Kate Koenig, PREMIER GUITAR)

昨年の8月にPREMIER GUITARのサイトに掲載されたジェフ、ネルス、パットのインタビューを翻訳しました。訳そうと思ってから8か月もかかってしまった…。パットのインタビューはなかなかないのです。今回のアルバムではパットががんがんギターソロを弾きまくりでステージでもめちゃめちゃ楽しそうにしてるので、このインタビューは嬉しかったです。

 

元記事はこちらです。3人が新譜で使っているギター、アンプ、ペダルだけでなく弦とピックもリストアップしてあるので、興味がある方は元記事をチェックしてみてください。

 

www.premierguitar.com

 

 

ジェフ・トゥイーディ、ネルス・クライン、パット・サンソンは如何にして素晴らしい曲を書き続け、共同作業でアレンジを施し、一発録りのライブ・レコーディングを行い、カントリーギターのtwangyな伝統を駆使して、「アメリカについてのアメリカ音楽のアルバム」を作り上げたのか。(注・twangは「弦楽器がブーンと鳴る」という意味ですが、カントリーやロカビリーでtwangyなギターと言うとこんな感じだそうです。恥ずかしながら私は今までこの言葉を聞いたことがありませんでした)

www.youtube.com

 

 

ある程度の成功を収めたアーティストなら誰しも、パラソーシャル関係に対応しなければならなかった経験があるだろう。ファンが彼らの音楽を聴いているだけで彼らに実際の距離以上に親密な感情を抱いてしまう、という現象のことだ。時にはある種のファンは、その感情が大きくなるあまり、自分はアーティストと個人的なつながりがあると信じてしまうことすらある。ジェフ・トゥイーディに、そのような感情を受け取るのはどんな気分かと尋ねてみた。

 

「俺が知らない人たちが俺のことを知っている、ってことが、なんだか変な気持ちがするのは当たり前だよね」と彼は答えた。「そういう人たちはアーティストに対してかなり大きな親しみを感じている。アーティストが彼らの心を大きく動かし、親しみを感じさせる瞬間を提供したからだ。少なくとも彼らに向けた声の中に」。だが彼はそのことに不快感はなく、むしろそういう状況の中に美しいものを感じる、と言う。「そのことに対しては大いに敬意を払いたいと思っている。それは本当にすばらしいことだからだ。見知らぬ人と『仲間』になれるなんて、とても気持ちのいいことだよ。俺がやっていることのなかでもかなり美しいことだと思う。つらい状況にある人たちの心に変化をもたらす可能性があるからね」。

 

Wilcoの12枚目のスタジオ録音アルバム「Cruel Country」で、トゥイーディとバンドは「繋がりあう」ための21曲を差し出している。そしてこのアルバムタイトルが示すように、Wilcoは今まで以上にカントリーミュージックのムードに深く沈み込んでいる。トゥイーディは、彼らのファンはずっと「Wilcoは常に何らかの形でカントリーバンドだ」と思ってきた、と言う。そして彼がその考えに同意するかどうかわからないが、このアルバムで彼はさらにその方向へと向かおうと決めたのだ。

 

Wilcoのメンバー達は、ジェフが書いた最新の曲の数々についてリモートで作業を進めてきたが、最終的なアレンジの構築は彼らのスタジオ兼リハーサルの場であるLOFTに集まって完成させた。

 

「Cruel Country」の背後にはあるコンセプトがあるが、必ずしもそのコンセプトに沿ってレコーディングがなされたわけではない。トゥイーディはこのアルバムを「アメリカという国についてのアメリカの音楽」と見なしている。このソングライターは、自分は何十年かに渡って「アメリカのアイデンティティとは何か?」という問題と格闘してきた、と語る。「『Yankee Hotel Foxtrot』まで遡ると、それは俺が作る曲の多くに通底するテーマだった。俺はそれを『自分では選ぶことができない‘愛情’もしくは‘繋がり’』と呼んでいた。まるで家族やもっとよく知りたいと思う人たちに対して感じるある種の特別な感情のようなものだ。だから人々は皆、彼らに対しては通常と違う形で思いやりのようなものを示してきた。批判的な意見もあるとは思うが、人々は彼らの欠点は耐えられるものだと信じ、実際彼らはその人たち(またはそのもの)を愛している。この場合は彼らの国を、ということだね」。もちろん、このアルバムのtwangyなギターリフやチョーキングを多用したギターソロ、その他の伝統的な音のパターンや構成から、このアルバムをカントリーミュージックへの愛に溢れた賛辞として聴くことは簡単だ。とにかく、このWilcoの作品カタログに新たに入ったアルバムは、バンドにとっての次のキャリアへと向かう正しいステップのように思える。

 

このアルバムは昔からのWilcoの音と、カントリーミュージックのtwangyさと型に嵌っていない微小なアレンジの数々とをうまくミックスさせている。そしてトゥイーディの気取らない静かな悲しみと、ときとしておどけた風情を漂わせる歌詞を再認識させてくれる。「かつてほんの偶然に 僕には救急車の中で友達ができた 僕は半人前の 半分に割れたグラスだった」と彼は「Ambulance」という曲で歌っている。また、シングル曲の「Falling Apart (Right Now)」では二行連句(注・2行で1組の韻文(詩)。通常押韻され、同じ韻律を持っている。文化によっては、それぞれの文化に関連した装飾的な伝統を持っている。Wikipediaより。)の形式で現代生活に広がるストレスを映し出す。「正気を失わないで 僕が自分の正気を探している間に」と。さらにWilcoというバンドのワイルドな面を保つべく、バンドは8分近くに及ぶ曲「Many Worlds」で抽象的なエフェクトを探検し、「Birds Without Tail / Base of My Skull」の後半では延々と続くジャムに挑んでいる。

 

「Cruel Country」の製作は2020年、彼らがSleater Kinneyとのツアーをキャンセルした直後に始まった。トゥイーディはメンバー達がリモートで作業するために彼らに曲を送り始めたのだ。2021年に彼らはツアーを再開し、この2年間トゥイーディは時折彼らのレコーディング兼練習場所のLOFTで曲の詳細を詰めるために個々のメンバーと会っていたが、パンデミック以降すべてのメンバーがこの場所に同時に集まることができたのは、2022年の1月になってからだった。

 

その日を迎えるまでにトゥイーディはいつもよりたくさんの曲を書き、粗削りなデモをメンバー達に送り続けた。「曲がどんどん頭に浮かび始めて、とても急を要するものだという感じがした。それに歌うことができる新しい歌が毎日あることがとてもいいことだと思えたんだ」と彼は語る。

 

Wilcoサウンドの「秘密(でもないが)兵器」、ギタリストのネルス・クラインはこう語っている。「去年のある時点で、ジェフは僕たちに1日1曲、スマホに歌とギターだけで録音した歌を送ろうと決めたんだ。僕の記憶では、彼は52日間で51曲を書いた。そしてこれまで僕たちが経験してきた彼の多くの曲作りとは違って、今回の曲の多くは詞もコーラスもその他も全て完成していた。そのうちの何曲かは完全にクラシックなカントリーの形式に則っていて、だから僕はそれらの曲をざっくりと「カントリーソング」または「フォークソング」と呼んでいた。それらがWilcoのための曲かどうかもわからなかったんだ」。(注・2020年3月から始まったThe Tweedy Show(ジェフがパンデミック中に毎日1時間自宅居間からインスタグラムで配信していた動画)でこのアルバムの何曲かが既に演奏されていたので、正確には52日間で51曲を作ったわけではないと思われます。メンバー達に送った時点で完成度が高かったのもそのせいかと。)

 

マルチインストルメンタリストのパット・サンソンも付け加える。「でも僕たちがその作業をしている間に彼が送ってきた素材を見たとき、こういうスタイルのものはいつも僕たちの音楽の中にあったな、と思ったんだ。そして決心したんだよ。『この一連の曲たちをつぎ込んで1枚のアルバムを作らないなんてことがあるだろうか』って。僕たちにとってそういうことをやるのはとても自然だと思えたんだ。だっていつだってそれは僕たちのボキャブラリーの中にあったんだから」

 

Wilcoの全員が再び実際に対面で集まれるようになったとき、トゥイーディから出てきたばかりのアイデアにアレンジを施す作業はスムーズに進んだ。「実際この2枚組アルバムの1枚目は1月にたった2週間で作ったんだ」とトゥイーディは語る。「それから2月にまた2週間集まって、最初は1枚目のレコードに収録した曲よりもいいものが作れるだろうかと思っていた。そして俺たちは最終的に、何と言うか、曲自身が2枚組のレコードを作ろうとしているんだ、と思うようになった。曲どうしが互いに呼応しあっている、みたいに」

ほんの少しのオーバーダブを除いて、このアルバムは6人のメンバー達がスタジオに集まっての一発録りで作られている。2枚のレコードはレコーディングから発売まで実質的に5か月もかからなかったのだ。

 

「Cruel Country」の製作において彼ら3人またはバンドは何を学んだか、と聞かれたら、3人のギタリスト達は全員、表現の違いはあるにせよ、「サンソンのB-ベンダー・テレキャスターの演奏スキルを発見したこと」だと答えている。「今までパットがB-ベンダーを使うのを見たことがなかったんだ。あれには本当に驚いたよ」とトゥイーディは笑う。(注・B-ベンダーの詳細はこちら。

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パットは全く同じ形のB-ベンダーではないテレキャスターも持っているので(今までWilcoでよく使っていたもの)、B-ベンダーにはジェフ・トゥイーディ・モデルのギターストラップを付けることで区別しているようです。)

 

クラインもこう続ける。「このレコードで皆が聴いている最高にtwangyでクールなカントリースタイルのギターはほとんどがパットだよ。ある時点でジェフが彼に『B-ベンダーのテレキャスターを持ってる?』と尋ねるまで、僕は彼がこのレコードに‘もったいなくもB-ベンダーの音を加えてくださる’なんて思ってもみなかった。そしてそれは大成功だったんだ。パットは本当に、当然のようにそれをやってのけたから、ジェフは何回も何回も、この曲にもあの曲にも、と彼に頼み続けたんだ」

 

「僕は昔からずっとこういう音が大好きだったんだよ」とサンソンは言う。「それに僕は、このジャンルの偉大なギタリスト達を本当に素晴らしいと思ってるんだ。クラレンス・ホワイトは天才だった。大好きなギタリストだよ。それに僕はマーティ・スチュアートのギタープレイの大ファンなんだ。僕は自分がどんな音を演奏するのが好きなのかを彼らから学んだし、その音は明らかに、僕がもっと上手く演奏したいと思っている音なんだ」

 

このアルバムの全ての曲の中で、サンソンは一番好きな曲として「Mystery Binds」を挙げる。多彩な感触を持つドリーミーなフォークロック・バラードだ。「この曲は、僕たちがまだあの暗いパンデミックの中にいたときにジェフが送ってきたんだ。僕はあっというまにこの曲に嵌ってしまった。とてもユニークで美しい雰囲気があり、それまでジェフが僕たちに送ってきた曲とは、ほんの少しだけ、何かしら違うところがあった。「Many Worlds」も気に入っている。ネルスと僕がツインギターでソロを弾いて、互いにうまく作用しあっている。彼とこんな風に演奏できることはいつだってとてもスリリングだよ」

 

クラインとサンソンによると、「Many Worlds」はくるくると万華鏡のように変化する音の構築が非常に豊富な効果をもたらしつつ各楽器の編成を組織化して組み立てているのにもかかわらず、他の曲と同様にライブの一発録りで録音されたとのことだ。実際にサンソンは、レコーディング中に曲の途中でピアノからギターへと楽器を移動している。「ライブでそれができるかどうか知りたかったんだ」とジェフが付け加える。「だからやってみた。曲の中で俺たちがあちらからこちらへと移動しているのがわかるだろう? でもそういうことも、実際に一緒に演奏しているように偽造することはできない、という事実の一部にすぎないんだ」

 

3人のギタリストはこれまでにお互いに補い合って引き立て合う彼らなりのやり方を探り出してきた。クラインは大抵の場合リードギタリストだと考えられていて、サンソンは通常バックアップギターとキーボードの間を行き来している。トゥイーディはフロントに立って曲のトーンを整え、時にはリズムをかき鳴らし、フィンガーピッキングで音を奏でる。しかし「Cruel Country」においては、サンソンが多くの曲でB-ベンダーのギターでソロを弾いたとクラインは解説し、トゥイーディは自身の最終的なゴールはソリッドなカントリーギターを弾くことだった、と語る。

 

「その手の音を出すのが上手い人物を挙げるとしたら、ボブ・ディランだと思う。意外に思われるかもしれないけど。彼がレコードでアコースティックギターを弾いているときの疾走感が大好きなんだ」とトゥイーディは語る。「俺はバック・オーウェンズや、特に名前を挙げるまでもないような典型的なカントリーのギターが好きなんだ。ギターが、タンバリンか何かみたいにリズムセクションの一部になったような、ああいうスタイルの演奏が」。トゥイーディがこのアルバムで使用したギターは全てマーティンのものだ。1944年のD-28、1933年のOM-18、1931年のOM-28など。

クラインがこのアルバムで弾いたのは、1930年代のナショナルのスクエアネック・レゾネーター、デューゼンバーグのラップスティール、ネプチューンのエレクトリック12弦ギター、そして彼のメインギターである、1960年のジャズマスター、通称「ザ・ワット」。(注・元Minutemenのベーシスト、マイク・ワットから購入したから。)

 

エクスペリメンタル・ミュージックやアバンギャルド・ジャズ等をバックボーンに持つクラインは、ジミ・ヘンドリクスの「Electric Ladyland」、ジョン・コルトレーンの「Meditations」、ラルフ・タウナーの「Solstice」をベスト3アルバムに挙げる。また、彼は10歳の頃からインドの伝統音楽に魅了され、評論家たちには無視されがちなギタリストだがピーター・フランプトンから非常に大きな影響を受けた、と語っている。

 

クラインは、自分は「用途の広い」ギタリストであり、彼のルーツにあるジャズがWilcoでのレコーディングに影響を及ぼしているかどうかわからない、と言う。「僕はその曲が何を求めているかに応じて自分の演奏を変えるようにしている。特に、かなりの場合において、ジェフが何を求めているか、に応じてだね。ある一点に狙いを定めることができるような「声」を僕が持っているかどうかわからないけれど。僕はさまざまなタイプの「声」なんだ。僕と妻の共通の友人のあるフランス人は、以前僕のリードギターエディット・ピアフの声に例えていた。クイックシルバーメッセンジャーのジョン・チポリノやテレヴィジョンのトム・ヴァーラインに影響された早いビブラートの演奏―僕自身はそれを「wiggle(注・小刻みに動かす)」と呼んでいるんだけど―からの連想だと思う」

 

大好きなアルバムにビートルズの「Revolver」、ゾンビーズの「Odessey and Oracle」、ビッグスターの「Third」「Sister Lovers」を挙げるサンソンは、自身のWilcoへの音楽的アプローチを以下のように説明する。「僕の役割は、カウンターメロディが曲のアレンジをサポートする場所を見つけたり、曲の中の異なるパートを結び付けるギターのフレーズの小さな欠片を作ったりして、メロディーのパターンを作る手助けをすることが多いんだ。多分そこが、このバンドにおいて僕のスタイルと感性が最もユニークに出ている所だと思う」。

このアルバムで彼が使っているB-ベンダーが装備されたギターはトーカイのテレキャスターだ。1963年のエピフォンのカジノ、1988年に再発売されたロジャー・マッギン・モデルの12弦リッケンバッカーも弾いている。スタジオではスワートのスペーストーン・アトミックのアンプを好んで使っているとのこと。「本当に小さいアンプなんだ。電圧も低くて10インチのスピーカーがひとつだけ付いている。でもトーンがとても美しい。ペダルにもとてもよく反応するし。だからボリュームが低くても音の範囲を広く取ることが簡単にできるんだ」。

 

Wilcoの曲は常にトゥイーディから始まる。彼はソングライティングにおいていくつかの方法を持っている。それは彼の作品を、細い道に沿って進むように微調整していく助けとなり、その中にはバンドのメンバー達とアイデアを共有することも含まれる。「他のメンバー達に向けて曲を演奏するとき、俺は自分ではない人たちの耳でその曲を聴き始める。そうすることによって、とても小さいものではあるけれど、少なくともある種の客観性を提供してくれるんだ。自分がそれを作ったということを忘れてその曲を聴くことができるから」と彼は語る。彼のソングライティングは「曲を書いているときは自分が自分でなくなることはできない」という、シンプルな考えに定義されている。「それに、いくつかの時点においては、意識して自分自身になろうとしなきゃならない」と彼は詳しく説明してくれた。「もうこれ以上曲から自分自身を取り除くことはできない、という時点だ。それは俺が作ったものなんだし、どうしたって結局はいくばくかの『自分らしさ』は残る。いわゆる『ジェフらしさ』みたいな」

 

「俺は本を大量に読むのが好きだ。レコードを聴くのも好きだ。たいてい『もうこれ以上は無理』ってところまで読んだり聴いたりを続けて、そして『自分もやらなきゃ』って気持ちになるんだ」と彼は続ける。「読んだり聴いたりしてインプットしたものに自分の声を足すことで、俺はその『自分もやらなきゃ』って気持ちに応えなくてはならない。他の人たちの思考や意識に時間を費やすことがインスピレーションの源になるんだよ」。

 

40年近くプロのミュージシャンとして活動してきたが、トゥイーディの熱意はほとんど変わっていない。「俺が決断しようとすることは、ほとんど全て、こんな考えが中心になっている。『明日もこれをやり続けるためにはどの道を選べばいいだろう?』ってことだ。つまり、思い描くことができないことは実現し得ない。俺にとって『ソングライターになりたい』ということは『曲を作りたい』ということよりも実感が薄い。ほんの少しだけどね。曲を作ることの方がソングライターになることよりは実現が容易な目標だ。大きい夢は、そういう実現しやすいいくつかの目標の上に達成されるんだ。なぜなら、そういう実現しやすいことをひとつずつやっていかないと、その次のことは起こらないからだ」。

 

(終)