心はマリー・アントワネット

見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

ジョン・スティラットさんのインタビューを訳しながら思ったこと

ときどきTwitterで言ってますが、なぜ私がジョンさんにはさんづけするのか。ジョンさんはね、本当にジェントルマンなんです!

2019年のSolid Sound Festivalに行ったとき、友人たちと前日に現地入りして街をぶらぶらして、夕方「ビール飲もうぜ~」と会場のMASS MOCA敷地内にあるクラフトビール・バーに入ったら、カウンターでグレンとジョンさんがビール飲んでたんです。他のファンの人たちも気軽に話しかけていたので、私たちもジョンさんに「一緒に写真撮ってください。日本から来たんです!」と声を掛けたら、「本当? 遠くから来てくれてどうもありがとう。日本のどこから来たの?」とにこやかに答えてくれて、神戸だと言ったら「コウベ…ってどこだっけ?」、私「大阪の隣です」「ああ、大阪! そうか~大阪だね! うんうん、わかった! 1日早く来てくれてありがとうね」と。その後ろをグレンが「子どもたちが待ってるからもうホテルに戻るよ」と通り過ぎようとしたら、「あ、ちょっと待って。日本からのファンと一緒に写真撮るよ!」と引き留めてくれたのです。私たちと話すときは終始ゆっくりはっきりした聞き取りやすい話し方をしてくれたし。しかも翌日、ライブ終わってまた私たちがこのバーの外でビール飲みながら「すごくよかったよね~、楽しかったね」としゃべってたら、通りかかったジョンさんが私たちを見つけて話しかけてくれたんですよ。フレンドリー!

 

そう言えば森脇真末味さんの漫画「おんなのこ物語」に「ベーシストの性格」というセリフがあったのを思い出しました。曰く「人の後ろで黙々とリズムをきざみつつ 他人のことはよく見ている しかしその見方がひねくれている 自分はエンの下 力持ちでいいと言いながら そのじつ自分がいなければこのバンドはなりたたないと思っている」だそうで、まあジョンさんがそう思っているかはわかりませんけど、実際もし彼がいなかったらWilcoはとっくの昔に空中分解していたんじゃないかなあとは思います。

 

余談ですが、「おんなのこ物語」は40年以上前の作品だけど、当時パンク・ニューウェイブにはまっていた人間にとってこんなにしっくりくるバンド漫画は他になかったです。今もない。当時ならではの描写もありますが、今読んでもすごく「わかる…」という実感が。グレンを見ていて「この感じどこかで…あー、八角みたいだなあ」(八角京介は主人公のドラマー)と思ったこともあります。特にステッカーのライブシーン、「おちつけ よく聞くんだ 曲をリードしているのはだれだ 妙なビートで全体をひっぱっているのは?」のくだり。Wilcoのライブでも、中心はジェフなのに明らかにグレンが曲全体を独特のグルーヴで引っ張っているなと思うことがよくある。作中で八角を指して「向きあってるヤツはだませても 背後にいるヤツはごまかせない」というせりふもあったりして、ドラムというのはそういうポジションだなあ、と。

John Stirratt Interview / Bass Player / 2022,10,20

昨年10月「Bass Player」誌のサイトに掲載された、Wilcoのベーシスト、ジョン・スティラットのインタビューを訳しました。

雑誌の性格上、特に前半は音楽の技術的な話題が多いのですが、私は楽器ができないので適切な訳になっているか不安です。おかしいところがあったら訂正しますのでご指摘いただけたら幸いです。

ジョンの発言に出てきた曲やミュージシャンのビデオは、数が多かったため最後にまとめてYOU TUBEへのリンクを貼っています。

 

元の記事はこちらです。

www.guitarworld.com

 

ジョン・スティラット(ウィルコ):「ベースで曲の他の部分の音を変えることができるんだよ。メロディを支える本当にいいリズムトラックを僕は常に見つけようとしているんだ」

(ライアン・マドラ「ベース・プレイヤー」誌 2022年10月20日発行)

 

ウィルコが、メンバー全員がひとつの部屋でライブレコーディングを行い、まるでウェイロン・ジェニングスのような偉大なカントリーミュージックの宇宙を目指すに至った、熱いソングライティングとレコーディングセッションについての全てを、ジョン・スティラットが語る。

 

ジョン・スティラットは、君が未だかつて聞いたことがないような最高のベース・プレイヤーの一人だ。彼はこの30年近くに渡ってロックとオルタナカントリーとインディーミュージックの定義を方向付けてきたバンド、ウィルコの揺るぎない基盤を務めている。

 

1994年のウィルコ結成以来、彼はジェフ・トゥイーディの傍らに立ち続け、2つのグラミー賞と音楽業界からの賛辞を手にし、数々のフェスのヘッドライナーを務め、世界中をツアーしてきた。そして彼らは先日12枚目のスタジオ録音アルバム「Cruel Country」をリリースした。スティラットは、僕たちの多くがそうしたいと熱望するように、ベース・プレイヤーとしてのキャリアをロックンロール・バンドで築いてきた。

 

他のほとんどのバンド同様、彼らの最初の数年は地雷だらけだった。自分勝手なメンバー達、レーベルとの不和、ハードなツアースケジュール、何回ものメンバーチェンジ。そして2004年に彼らは現在のメンバーに落ち着いた。カオスなノイズと荒々しいギターサウンドから繊細なヴォーカルを乗せた無防備なアコースティックサウンドへと一瞬で移行できる、凄腕の6人から成るアンサンブルだ。

 

たゆまぬ努力で着実にレコードを出し続け、業界の慣習に捕らわれない強い意志を持って、彼らは常に聴衆の期待に先手を打って応えることでバンドを長く続けるという恩恵に恵まれてきた。ヒット曲もなければ売上チャートの上位に上がったアルバムもない。だがレコードを作りさえすればファンは聴き続ける。それを彼らは何回も繰り返し証明してきたのだ。

 

業界を騒然とさせ批評家たちから激賞されたアルバム「Yankee Hotel Foxtrot」が2021年に発売20周年を迎え、彼らはデラックス版をリリースし完全再現ライブを行った。だがそれは、その次に来る「Cruel Country」の発売に伴う画期的な事件、すなわちマサチューセッツ州で開催される彼ら自身のフェスティバルSolid Soundにおいて新作の2枚組アルバムをデビューさせたことの単なる「仮縫い」にすぎなかったのだ。

 

このアルバムの「創造」には、シカゴにあるThe Loftが大きな役割を果たした。クリエイティブな遊び場、音楽スタジオ、数多くの楽器や機材が置かれたワンダーランド―ウィルコの「部室」だ。バンドのメンバー全員がここに集まりライブ状態で録音したのは、この数年間なかったことだった。

 

そしてスティラットは、この昔ながらの録音方法でしっかりと力を発揮してくれる楽器を慎重に選ばなくてはならなかった。通常彼がメインで使う頼りにしているベースは、ヴィンテージのプレシジョン、65年のフェンダー・ジャズ、73年のレスポールシグネチャー等だが、このレコードにはいつもとは少しばかり違うものが必要だった。

 

「楽器編成の程度を考えて、全体を抑えたものにしたかったんだ。アコースティック・ギター、キーボードかピアノが2台、そしてドラムス。僕は「Being There」(1996年)のレコーディングのときからギルドのスターファイアを持ってるんだけど、こんなミッドテンポのアコースティックスタイルなベースが必要なときには必ずこれに帰ってくる。指で弾いたら信じられないくらいいい低音が出せるし、ピックで弾いたらとても素晴らしいウッドベースのようなサステイン(注・音が発生してから途切れるまでの余韻)が得られるんだよ。」

 

「エピフォンのエンバシーも使っていたよ。サンダーバードと同じピックアップが使われていて、でもカッタウェイがあって、とてもしっかりした低音が出せる。それから80年代のリッケンバッカーも買った。このアルバムのいくつかの曲にはぴったりだと思って。プレシジョンを使うと競合する周波数がとてもたくさんあるときはこれらのベースを使ったんだ。」

 

「今回のアルバムではバンドのメンバー6人全員が同時に演奏して録音したから、ジェフはたくさんのアコースティック・ギターを弾いた。だから僕は、できるだけ重低音が大きく響くベースを探したんだ。それに加えてB-15(注・Ampegのベースアンプ)を全曲通して使った。とても楽しかったよ。」

 

インスピレーションの源として、スティラットは伝統的なカントリーミュージックのレコーディング方法と「チクタクベース」のコンセプトを引き合いに出した。アコースティックベースの音を真似て音を倍にした演奏スタイルだ。

 

「僕の一番好きなベースのひとつは、ウェイロン・ジェニングスの「ホンキー・トンク・ヒーローズ」(1973年)でのビー・スピアーズの音だと思う。カチッという感じのpicky(注・原文は「clicky, picky base」。pickyという単語を検索しましたが「細かいことにうるさい、選り好みする」という意味しか出てこなくて正確な意味がわからず。clickyと韻を踏んでいるのだと思いますが)なベースで、チクタクベースに近づけようとしているみたいなんだ。」

 

「いくつかの曲を録音したときはピックやスポンジを使って弾いたんだよ。大きなアンサンブル(注・6人全員が一緒に演奏したということ?)なので幅の広いフルレンジな音が必要だったから、僕はギルドを手に取った。このベースの音の領域がそういう曲にはぴったりだと思ってね。それから、ジョージ・ジョーンズとタミー・ワイアットのレコードも聴いたし、イギリスのフォークシーンからダニー・トンプソンやデイヴ・ペックまで聴いていた。」

 

大好きなベーシストをあらためて思い起こして、スティラットはメロディの繊細さで知られるスタジオの巨人たちの名を挙げた。「ジョー・オズボーンが大好きなベーシストの一人なのは間違いないね。まさしく目標とすべきプレイヤーだ。サイモン&ガーファンクルの「ブックエンド」(1968年)や「明日に架ける橋」(1970年)での彼の演奏は聴いていて本当に楽しいよ。すべての対位旋律(注・同時に異なる旋律(メロディー)を2つ以上鳴らす対位法において主旋律に対応する旋律)が驚くほど素晴らしい。」

 

「それから、トミー・コグビル。まだとても若かった頃に「サン・オブ・ア・プリーチャーマン」を聴いたときのことをはっきりと覚えている。あのベースにはとても感動したね。70年代のリー・スクラーの仕事も高く評価しているよ。特にジーン・クラークのレコード「ノー・アザー」(1974年)でのスムーズで繊細な指使いの演奏を。そしてクリス・ヒルマン。そもそも僕がギルド・スターファイアのベースを買おうと思ったのは彼の演奏を聴いたからなんだ。正真正銘の初心者だった彼がいかにしてベースを手に取ってザ・バーズであんなことをやってのけたのか…。驚くべきことだよね。」

 

ポール・マッカートニーは常に金字塔であり続けるだろうね。彼はベースを使って、ひとつの曲の中にもうひとつ曲を書く。素晴らしいメロディと構成をもって。僕は今でもビートルズのベースから学ぼうとしているよ。いつでもできる限りビートルズに帰ろうとしているんだ。それは全てのベーシストにとって必要なことだと思う。」

 

スティラットは自身の有り余るほどの音楽的知識とスタジオでの豊富な経験に感謝しながら、最終的なゴールを心に決めてセッションに入っていく。

 

「グレンと一緒にいいリズムトラックを作ろうとしているんだ。彼には革新性と創造力があるし、それに加えてたくさんの引き出しを持っていて、曲が何を求めているかを感じ取ることができる。それは他の楽器が土台になって築かれるものだ。」

 

「このレコードでは僕は適切なヴァイブスをキープすることに集中した。他のメンバー達がしっかりと相互作用でき、彼らを確かな方向と感覚へと導けるように。」

 

「僕は、ベースで曲のほかの部分のトーンを変え、より華やかにしたりかすかにしたり決定できると確信している。メロディを支える本当にいいリズムトラックを常に見つけようとしているんだ。」

 

スティラットはコードインバージョン(注・コードの最低音をルート音以外のコードトーンにすること。詳しくはこちらのサイトを参照)にも長けていて、フォークミュージックのハーモニーがいかに自由自在に変化するかを十分に把握している。彼はこの密かな戦略を駆使してリスナーの耳を単なるルート音(注・コードの一番低い音の音階。詳しくはこちらのサイトを参照)以上の存在にそっと向け、親しみを持てる音を作り、音に音色を足しているのだ。

 

アルバム「A Ghost Is Born」(2004年)収録の「Handshake Drugs」に言及し、スティラットはプロデューサーのジム・オルークと仕事をしたことで「全く違うところから出てきたのに記憶に残るもの」をどうやって発見するか、という着想を得ることができた、と語る。「第5音や第3音から始めて、ルート音があるところまで下りていく方法がたくさんあるんだよ」。このアプローチ方法は「Cruel Country」収録の「Many Worlds」や「Country Song Upside Down」のトラックを作るときに大いに役立った。

 

ヴォーカリストとして、且つ楽器のプレイヤーとして、ジェフ・トゥイーディの隣でパートを作りハーモニーをつけることは、時間が経つにつれて彼には容易にできるようになっていった。

 

「ジェフのヴォイシング(注・コードの構成音を配置すること)に応えるのは、もう今では第二の天性みたいなものなんだ。あまりにも慣れすぎて自然にできてしまうんだよ。まるで生まれつきそういうことができたみたいに。このレコードでジェフと一緒にアコースティックで演奏しているパートは全て、僕にとってはとても居心地のいい場所みたいなものだった。ほとんどのパートで彼がどこへ行こうとしているのか感じ取ることができたんだよ。彼がアルペジオでギターを弾いているのに合わせて、僕がそれに相互作用し合うようにベースを弾いている興味深いパートがたくさんある。」

 

「「Being There」以来、僕たちのDNAにはたくさんのミッドテンポの曲があって、それは長い時間をかけて確立されてきた。ジェフと一緒に歌っているときでさえ、僕は自分の声をそこで要求されていることに合わせて正確に変えることができる。今ではもう、僕たちはまるで本当の兄弟のようにそういうことが自然にできるんだ。」

 

どんなことが起こるか予測できているとしても、そこにはまだ人知を越えた何かがあり、それがスティラットを再びスタジオへと向かわせる。

 

「率直に言って、他の何にも勝るレコーディングの魔法だと思うよ。最後の音が鳴り終わったときに、あるいはその音を再生して聴いたときに安らぎが訪れ、「これはとても素晴らしいものになる」と確信する。まるでドラッグだよ。僕にとってはね。空気の中に魔法を見つけ、その後を追って行こうとする。その瞬間があるからこそ、全てに価値があると僕には思える。特にメンバー全員が同じ部屋で同時に演奏してレコーディングするときはその魔法はいつだって瞬く間に降りてくるんだ。」

 

「ウィルコとのレコーディングでは、そういうことの全てがライブで起きる。そしてほとんどの場合、最初のテイクが最良のテイクになる。僕たちはこのことについて、ナッシュビルのセッションと同じだねと話した。このアルバムが全体的にカントリーミュージックへの方向へと舵を切り始めたときすぐに、僕たちは大好きなカントリーのレコードの多くがこういうふうに、とてもスピーディに作られたんだと悟ったよ。僕は、バック・オーウェンや70年代のウェイロン・ジェニングスのレコードもこんな感じで出来上がったんだろうな、と思ったね。」

 

「それに、ジェフのライブレコーディングでのヴォーカルがとても素晴らしいものだったんだ。そのヴォーカルがスピーディなレコーディングにとても役に立った。今考えてみると、早く録れば録るほど作品がいいものになったと思えるんだ。」

 

彼らは本当に長い間一緒にプレイしている。ウィルコというバンドで生涯にわたるキャリアを築いてきたことは決して平坦な道のりではなかった。他のバンド同様、彼らの成功はまっすぐな一本道ではなかった。現在の最高のメンバーが揃うまでにほとんど10年かかったのだ。

 

「90年代は、バンドをやっている若者たちには何でもありだったよね。ドラッグも、違法すれすれの巧妙な遊びも。でも2005年頃に僕たちはそんなところから抜け出したんだ。結成して2,3年の若いバンドに皆が持つイメージ、つまりバンド内での権力争いやマキャベリズム(注・マキャベリが「君主論」で述べた、政治目的のためにはいかなる反道徳的な手段も許されるという思想。権謀術策主義)みたいなものは僕たちにはなかった。これは本当に信じられないことだよ。」

 

「僕たちは今、この「第3幕」(注・第1幕が「A.M.」から「YHF」レコーディング後のジェイ・ベネット脱退まで、第2幕が「YHF」発売から「A Ghost Is Born」の4人編成の時期、第3幕が2004年以降の現メンバー時代、という区分か?)を18年間続けている。僕はこのメンバー達と一緒に成長してきたんだと思う。彼らと共に友情を育み、楽器を演奏して作品を作るのは、本当に素晴らしいことだよ。僕たちはそれをとてもうまくやっていると思う。もっと上の世代の、もっと伝統的なロックンロールの精神でやっているんだよ。」

 

バンドがツアーに出ていないときには、メンバー達は各々の音楽的な可能性を追求し続けている。それは成長と創造を続けるために極めて大切なことだ。そして再び結集したときに、彼らはその経験をスタジオとステージに持ち込むのだ。

 

「パット・サンソンはナッシュビル・セッションに参加し、ネルス・クラインはジャズの世界にいる。彼らはその世界の明晰さと鮮明さをバンドに持ち帰ってくる。すべてが学びであり、経験なんだ。それは僕が常に最も愛していることだよ。違うリズムセクションと演奏することによって感覚が研ぎ澄まされ、新しいアイデアが湧いてくる。往々にして、僕が一番息苦しくなるのは、他の人たちと意見を交わしたり音楽についての会話ができないときなんだ。」

 

彼らは現在またツアーに出ている。フェスとツアーのシーズンに向けて大量の曲を習得しなければならないタスクにはひるんでしまうこともあるだろう。ウィルコの曲に加え、スティラットはオータム・ディフェンスの曲とも改めて向き合っている。マルチ・インストルメンタリストのパット・サンソンとのサイド・プロジェクトだ。

 

「曲のリストは膨大な量だよ。でも僕はどんな種類の演奏をするにせよ、身体が記憶していることや古いレパートリーとの関連が助けになると発見した。曲を覚えている最中は、ただひたすら大量に演奏しているんだ。今は21曲を練習している。新しいレコードの全曲をね。覚える曲がたくさんありすぎて、ツアーの準備をしているときはいつも怖気づいちゃうんだ。それに練習しないといけないカバー曲も結構あるしね。」

 

「僕は早朝に仕事をするのが好きなんだ。朝起きて、曲を2回弾く。朝が一番記憶が定着しやすいから。僕たちはヴォーカルのパートも作らなくてはならないから、車で走り回りながらヴォーカルも覚える。以前の僕たちにはできなかった。今はそれができるようになったのは、とても贅沢なことだと思うよ。」

 

ツアーに向かうために必要な時間や準備の大変さにかかわらず、スティラットは今も「やるべきことリスト」を作っているし、バンドのメンバーやスタッフ、会場に姿を見せてくれるファンに幾度となく心から感謝している。

 

アイスランドではまだライブをやったことがないし(注・このインタビューの後、2023年4月に初のアイスランド公演が行われた)、アフリカにもいつかは行ってみたいな。僕はほとんどの所にはツアーで行くのがとても楽しいし、今でもすごく魅力的だよ。たとえアメリカの中西部(注・ウィルコの地元シカゴがある地域)や100万回も行ったような所でもね。ファンやスタッフのサポートも素晴らしい。昔からこの文化はツアー自体の中にあったんだよ。」

 

「社会的な密接な関係がそこにはあり、ファンもそこに加わるんだ。それはとても美しいことだ。スタッフについても同じだよ。つまり僕が言いたいのは、それはバンドの在り方がファンやスタッフに反映しているってことなんだ。いや、それ以上のことなんだよね。」

 

「そういうことが今でも起こっているのが僕には信じられないし、僕たちはどれだけ幸運かってことは言っておかなくてはいけないね。」と彼は言う。「これ以上のことは何も望めないよ。」

 

(終)

 

 

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Wilco's Cruel Country / Jeff Tweedy, Nels Cline & Pat Sansone Talk about Their New Album (by Kate Koenig, PREMIER GUITAR)

昨年の8月にPREMIER GUITARのサイトに掲載されたジェフ、ネルス、パットのインタビューを翻訳しました。訳そうと思ってから8か月もかかってしまった…。パットのインタビューはなかなかないのです。今回のアルバムではパットががんがんギターソロを弾きまくりでステージでもめちゃめちゃ楽しそうにしてるので、このインタビューは嬉しかったです。

 

元記事はこちらです。3人が新譜で使っているギター、アンプ、ペダルだけでなく弦とピックもリストアップしてあるので、興味がある方は元記事をチェックしてみてください。

 

www.premierguitar.com

 

 

ジェフ・トゥイーディ、ネルス・クライン、パット・サンソンは如何にして素晴らしい曲を書き続け、共同作業でアレンジを施し、一発録りのライブ・レコーディングを行い、カントリーギターのtwangyな伝統を駆使して、「アメリカについてのアメリカ音楽のアルバム」を作り上げたのか。(注・twangは「弦楽器がブーンと鳴る」という意味ですが、カントリーやロカビリーでtwangyなギターと言うとこんな感じだそうです。恥ずかしながら私は今までこの言葉を聞いたことがありませんでした)

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ある程度の成功を収めたアーティストなら誰しも、パラソーシャル関係に対応しなければならなかった経験があるだろう。ファンが彼らの音楽を聴いているだけで彼らに実際の距離以上に親密な感情を抱いてしまう、という現象のことだ。時にはある種のファンは、その感情が大きくなるあまり、自分はアーティストと個人的なつながりがあると信じてしまうことすらある。ジェフ・トゥイーディに、そのような感情を受け取るのはどんな気分かと尋ねてみた。

 

「俺が知らない人たちが俺のことを知っている、ってことが、なんだか変な気持ちがするのは当たり前だよね」と彼は答えた。「そういう人たちはアーティストに対してかなり大きな親しみを感じている。アーティストが彼らの心を大きく動かし、親しみを感じさせる瞬間を提供したからだ。少なくとも彼らに向けた声の中に」。だが彼はそのことに不快感はなく、むしろそういう状況の中に美しいものを感じる、と言う。「そのことに対しては大いに敬意を払いたいと思っている。それは本当にすばらしいことだからだ。見知らぬ人と『仲間』になれるなんて、とても気持ちのいいことだよ。俺がやっていることのなかでもかなり美しいことだと思う。つらい状況にある人たちの心に変化をもたらす可能性があるからね」。

 

Wilcoの12枚目のスタジオ録音アルバム「Cruel Country」で、トゥイーディとバンドは「繋がりあう」ための21曲を差し出している。そしてこのアルバムタイトルが示すように、Wilcoは今まで以上にカントリーミュージックのムードに深く沈み込んでいる。トゥイーディは、彼らのファンはずっと「Wilcoは常に何らかの形でカントリーバンドだ」と思ってきた、と言う。そして彼がその考えに同意するかどうかわからないが、このアルバムで彼はさらにその方向へと向かおうと決めたのだ。

 

Wilcoのメンバー達は、ジェフが書いた最新の曲の数々についてリモートで作業を進めてきたが、最終的なアレンジの構築は彼らのスタジオ兼リハーサルの場であるLOFTに集まって完成させた。

 

「Cruel Country」の背後にはあるコンセプトがあるが、必ずしもそのコンセプトに沿ってレコーディングがなされたわけではない。トゥイーディはこのアルバムを「アメリカという国についてのアメリカの音楽」と見なしている。このソングライターは、自分は何十年かに渡って「アメリカのアイデンティティとは何か?」という問題と格闘してきた、と語る。「『Yankee Hotel Foxtrot』まで遡ると、それは俺が作る曲の多くに通底するテーマだった。俺はそれを『自分では選ぶことができない‘愛情’もしくは‘繋がり’』と呼んでいた。まるで家族やもっとよく知りたいと思う人たちに対して感じるある種の特別な感情のようなものだ。だから人々は皆、彼らに対しては通常と違う形で思いやりのようなものを示してきた。批判的な意見もあるとは思うが、人々は彼らの欠点は耐えられるものだと信じ、実際彼らはその人たち(またはそのもの)を愛している。この場合は彼らの国を、ということだね」。もちろん、このアルバムのtwangyなギターリフやチョーキングを多用したギターソロ、その他の伝統的な音のパターンや構成から、このアルバムをカントリーミュージックへの愛に溢れた賛辞として聴くことは簡単だ。とにかく、このWilcoの作品カタログに新たに入ったアルバムは、バンドにとっての次のキャリアへと向かう正しいステップのように思える。

 

このアルバムは昔からのWilcoの音と、カントリーミュージックのtwangyさと型に嵌っていない微小なアレンジの数々とをうまくミックスさせている。そしてトゥイーディの気取らない静かな悲しみと、ときとしておどけた風情を漂わせる歌詞を再認識させてくれる。「かつてほんの偶然に 僕には救急車の中で友達ができた 僕は半人前の 半分に割れたグラスだった」と彼は「Ambulance」という曲で歌っている。また、シングル曲の「Falling Apart (Right Now)」では二行連句(注・2行で1組の韻文(詩)。通常押韻され、同じ韻律を持っている。文化によっては、それぞれの文化に関連した装飾的な伝統を持っている。Wikipediaより。)の形式で現代生活に広がるストレスを映し出す。「正気を失わないで 僕が自分の正気を探している間に」と。さらにWilcoというバンドのワイルドな面を保つべく、バンドは8分近くに及ぶ曲「Many Worlds」で抽象的なエフェクトを探検し、「Birds Without Tail / Base of My Skull」の後半では延々と続くジャムに挑んでいる。

 

「Cruel Country」の製作は2020年、彼らがSleater Kinneyとのツアーをキャンセルした直後に始まった。トゥイーディはメンバー達がリモートで作業するために彼らに曲を送り始めたのだ。2021年に彼らはツアーを再開し、この2年間トゥイーディは時折彼らのレコーディング兼練習場所のLOFTで曲の詳細を詰めるために個々のメンバーと会っていたが、パンデミック以降すべてのメンバーがこの場所に同時に集まることができたのは、2022年の1月になってからだった。

 

その日を迎えるまでにトゥイーディはいつもよりたくさんの曲を書き、粗削りなデモをメンバー達に送り続けた。「曲がどんどん頭に浮かび始めて、とても急を要するものだという感じがした。それに歌うことができる新しい歌が毎日あることがとてもいいことだと思えたんだ」と彼は語る。

 

Wilcoサウンドの「秘密(でもないが)兵器」、ギタリストのネルス・クラインはこう語っている。「去年のある時点で、ジェフは僕たちに1日1曲、スマホに歌とギターだけで録音した歌を送ろうと決めたんだ。僕の記憶では、彼は52日間で51曲を書いた。そしてこれまで僕たちが経験してきた彼の多くの曲作りとは違って、今回の曲の多くは詞もコーラスもその他も全て完成していた。そのうちの何曲かは完全にクラシックなカントリーの形式に則っていて、だから僕はそれらの曲をざっくりと「カントリーソング」または「フォークソング」と呼んでいた。それらがWilcoのための曲かどうかもわからなかったんだ」。(注・2020年3月から始まったThe Tweedy Show(ジェフがパンデミック中に毎日1時間自宅居間からインスタグラムで配信していた動画)でこのアルバムの何曲かが既に演奏されていたので、正確には52日間で51曲を作ったわけではないと思われます。メンバー達に送った時点で完成度が高かったのもそのせいかと。)

 

マルチインストルメンタリストのパット・サンソンも付け加える。「でも僕たちがその作業をしている間に彼が送ってきた素材を見たとき、こういうスタイルのものはいつも僕たちの音楽の中にあったな、と思ったんだ。そして決心したんだよ。『この一連の曲たちをつぎ込んで1枚のアルバムを作らないなんてことがあるだろうか』って。僕たちにとってそういうことをやるのはとても自然だと思えたんだ。だっていつだってそれは僕たちのボキャブラリーの中にあったんだから」

 

Wilcoの全員が再び実際に対面で集まれるようになったとき、トゥイーディから出てきたばかりのアイデアにアレンジを施す作業はスムーズに進んだ。「実際この2枚組アルバムの1枚目は1月にたった2週間で作ったんだ」とトゥイーディは語る。「それから2月にまた2週間集まって、最初は1枚目のレコードに収録した曲よりもいいものが作れるだろうかと思っていた。そして俺たちは最終的に、何と言うか、曲自身が2枚組のレコードを作ろうとしているんだ、と思うようになった。曲どうしが互いに呼応しあっている、みたいに」

ほんの少しのオーバーダブを除いて、このアルバムは6人のメンバー達がスタジオに集まっての一発録りで作られている。2枚のレコードはレコーディングから発売まで実質的に5か月もかからなかったのだ。

 

「Cruel Country」の製作において彼ら3人またはバンドは何を学んだか、と聞かれたら、3人のギタリスト達は全員、表現の違いはあるにせよ、「サンソンのB-ベンダー・テレキャスターの演奏スキルを発見したこと」だと答えている。「今までパットがB-ベンダーを使うのを見たことがなかったんだ。あれには本当に驚いたよ」とトゥイーディは笑う。(注・B-ベンダーの詳細はこちら。

www.fender.com

パットは全く同じ形のB-ベンダーではないテレキャスターも持っているので(今までWilcoでよく使っていたもの)、B-ベンダーにはジェフ・トゥイーディ・モデルのギターストラップを付けることで区別しているようです。)

 

クラインもこう続ける。「このレコードで皆が聴いている最高にtwangyでクールなカントリースタイルのギターはほとんどがパットだよ。ある時点でジェフが彼に『B-ベンダーのテレキャスターを持ってる?』と尋ねるまで、僕は彼がこのレコードに‘もったいなくもB-ベンダーの音を加えてくださる’なんて思ってもみなかった。そしてそれは大成功だったんだ。パットは本当に、当然のようにそれをやってのけたから、ジェフは何回も何回も、この曲にもあの曲にも、と彼に頼み続けたんだ」

 

「僕は昔からずっとこういう音が大好きだったんだよ」とサンソンは言う。「それに僕は、このジャンルの偉大なギタリスト達を本当に素晴らしいと思ってるんだ。クラレンス・ホワイトは天才だった。大好きなギタリストだよ。それに僕はマーティ・スチュアートのギタープレイの大ファンなんだ。僕は自分がどんな音を演奏するのが好きなのかを彼らから学んだし、その音は明らかに、僕がもっと上手く演奏したいと思っている音なんだ」

 

このアルバムの全ての曲の中で、サンソンは一番好きな曲として「Mystery Binds」を挙げる。多彩な感触を持つドリーミーなフォークロック・バラードだ。「この曲は、僕たちがまだあの暗いパンデミックの中にいたときにジェフが送ってきたんだ。僕はあっというまにこの曲に嵌ってしまった。とてもユニークで美しい雰囲気があり、それまでジェフが僕たちに送ってきた曲とは、ほんの少しだけ、何かしら違うところがあった。「Many Worlds」も気に入っている。ネルスと僕がツインギターでソロを弾いて、互いにうまく作用しあっている。彼とこんな風に演奏できることはいつだってとてもスリリングだよ」

 

クラインとサンソンによると、「Many Worlds」はくるくると万華鏡のように変化する音の構築が非常に豊富な効果をもたらしつつ各楽器の編成を組織化して組み立てているのにもかかわらず、他の曲と同様にライブの一発録りで録音されたとのことだ。実際にサンソンは、レコーディング中に曲の途中でピアノからギターへと楽器を移動している。「ライブでそれができるかどうか知りたかったんだ」とジェフが付け加える。「だからやってみた。曲の中で俺たちがあちらからこちらへと移動しているのがわかるだろう? でもそういうことも、実際に一緒に演奏しているように偽造することはできない、という事実の一部にすぎないんだ」

 

3人のギタリストはこれまでにお互いに補い合って引き立て合う彼らなりのやり方を探り出してきた。クラインは大抵の場合リードギタリストだと考えられていて、サンソンは通常バックアップギターとキーボードの間を行き来している。トゥイーディはフロントに立って曲のトーンを整え、時にはリズムをかき鳴らし、フィンガーピッキングで音を奏でる。しかし「Cruel Country」においては、サンソンが多くの曲でB-ベンダーのギターでソロを弾いたとクラインは解説し、トゥイーディは自身の最終的なゴールはソリッドなカントリーギターを弾くことだった、と語る。

 

「その手の音を出すのが上手い人物を挙げるとしたら、ボブ・ディランだと思う。意外に思われるかもしれないけど。彼がレコードでアコースティックギターを弾いているときの疾走感が大好きなんだ」とトゥイーディは語る。「俺はバック・オーウェンズや、特に名前を挙げるまでもないような典型的なカントリーのギターが好きなんだ。ギターが、タンバリンか何かみたいにリズムセクションの一部になったような、ああいうスタイルの演奏が」。トゥイーディがこのアルバムで使用したギターは全てマーティンのものだ。1944年のD-28、1933年のOM-18、1931年のOM-28など。

クラインがこのアルバムで弾いたのは、1930年代のナショナルのスクエアネック・レゾネーター、デューゼンバーグのラップスティール、ネプチューンのエレクトリック12弦ギター、そして彼のメインギターである、1960年のジャズマスター、通称「ザ・ワット」。(注・元Minutemenのベーシスト、マイク・ワットから購入したから。)

 

エクスペリメンタル・ミュージックやアバンギャルド・ジャズ等をバックボーンに持つクラインは、ジミ・ヘンドリクスの「Electric Ladyland」、ジョン・コルトレーンの「Meditations」、ラルフ・タウナーの「Solstice」をベスト3アルバムに挙げる。また、彼は10歳の頃からインドの伝統音楽に魅了され、評論家たちには無視されがちなギタリストだがピーター・フランプトンから非常に大きな影響を受けた、と語っている。

 

クラインは、自分は「用途の広い」ギタリストであり、彼のルーツにあるジャズがWilcoでのレコーディングに影響を及ぼしているかどうかわからない、と言う。「僕はその曲が何を求めているかに応じて自分の演奏を変えるようにしている。特に、かなりの場合において、ジェフが何を求めているか、に応じてだね。ある一点に狙いを定めることができるような「声」を僕が持っているかどうかわからないけれど。僕はさまざまなタイプの「声」なんだ。僕と妻の共通の友人のあるフランス人は、以前僕のリードギターエディット・ピアフの声に例えていた。クイックシルバーメッセンジャーのジョン・チポリノやテレヴィジョンのトム・ヴァーラインに影響された早いビブラートの演奏―僕自身はそれを「wiggle(注・小刻みに動かす)」と呼んでいるんだけど―からの連想だと思う」

 

大好きなアルバムにビートルズの「Revolver」、ゾンビーズの「Odessey and Oracle」、ビッグスターの「Third」「Sister Lovers」を挙げるサンソンは、自身のWilcoへの音楽的アプローチを以下のように説明する。「僕の役割は、カウンターメロディが曲のアレンジをサポートする場所を見つけたり、曲の中の異なるパートを結び付けるギターのフレーズの小さな欠片を作ったりして、メロディーのパターンを作る手助けをすることが多いんだ。多分そこが、このバンドにおいて僕のスタイルと感性が最もユニークに出ている所だと思う」。

このアルバムで彼が使っているB-ベンダーが装備されたギターはトーカイのテレキャスターだ。1963年のエピフォンのカジノ、1988年に再発売されたロジャー・マッギン・モデルの12弦リッケンバッカーも弾いている。スタジオではスワートのスペーストーン・アトミックのアンプを好んで使っているとのこと。「本当に小さいアンプなんだ。電圧も低くて10インチのスピーカーがひとつだけ付いている。でもトーンがとても美しい。ペダルにもとてもよく反応するし。だからボリュームが低くても音の範囲を広く取ることが簡単にできるんだ」。

 

Wilcoの曲は常にトゥイーディから始まる。彼はソングライティングにおいていくつかの方法を持っている。それは彼の作品を、細い道に沿って進むように微調整していく助けとなり、その中にはバンドのメンバー達とアイデアを共有することも含まれる。「他のメンバー達に向けて曲を演奏するとき、俺は自分ではない人たちの耳でその曲を聴き始める。そうすることによって、とても小さいものではあるけれど、少なくともある種の客観性を提供してくれるんだ。自分がそれを作ったということを忘れてその曲を聴くことができるから」と彼は語る。彼のソングライティングは「曲を書いているときは自分が自分でなくなることはできない」という、シンプルな考えに定義されている。「それに、いくつかの時点においては、意識して自分自身になろうとしなきゃならない」と彼は詳しく説明してくれた。「もうこれ以上曲から自分自身を取り除くことはできない、という時点だ。それは俺が作ったものなんだし、どうしたって結局はいくばくかの『自分らしさ』は残る。いわゆる『ジェフらしさ』みたいな」

 

「俺は本を大量に読むのが好きだ。レコードを聴くのも好きだ。たいてい『もうこれ以上は無理』ってところまで読んだり聴いたりを続けて、そして『自分もやらなきゃ』って気持ちになるんだ」と彼は続ける。「読んだり聴いたりしてインプットしたものに自分の声を足すことで、俺はその『自分もやらなきゃ』って気持ちに応えなくてはならない。他の人たちの思考や意識に時間を費やすことがインスピレーションの源になるんだよ」。

 

40年近くプロのミュージシャンとして活動してきたが、トゥイーディの熱意はほとんど変わっていない。「俺が決断しようとすることは、ほとんど全て、こんな考えが中心になっている。『明日もこれをやり続けるためにはどの道を選べばいいだろう?』ってことだ。つまり、思い描くことができないことは実現し得ない。俺にとって『ソングライターになりたい』ということは『曲を作りたい』ということよりも実感が薄い。ほんの少しだけどね。曲を作ることの方がソングライターになることよりは実現が容易な目標だ。大きい夢は、そういう実現しやすいいくつかの目標の上に達成されるんだ。なぜなら、そういう実現しやすいことをひとつずつやっていかないと、その次のことは起こらないからだ」。

 

(終)

Wilco’s Closet Picks! @Criterion Collection

クライテリオン・コレクション社とは、

「(The_Criterion_Collection,Inc)は、アメリカ合衆国の家庭用ビデオ配給会社。「重要な古典および現代映画」のライセンス供与、修復、配給に重点を置いている。」(Wikipediaより引用)とのことで、この「Closet Picks!」はいろいろなゲストを会社のクローゼットに招いてお気に入りの映画を紹介してもらう、というシリーズのようです。

会社のウェブサイトはこちら。

www.criterion.com

 

YOUTUBEに上がっていたWilcoの回を訳してみました。聞いただけでは7、8割程度しかわからなかったのでYOUTUBEの字幕機能を使いました。彼らがおすすめしている映画の簡単な紹介も付けています。(主にYOUTUBEで探した予告編とAmazon等のソフト販売ページへのリンクですがアフィリエイトではありません。日本でソフトが販売されていない作品はレビューサイトへのリンクを貼っています。)

ではどうぞ。

 

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ジェフ:やあ! Wilcoのジェフ・トゥイーディです。

パット:僕はパット・サンソン。

ネルス:ネルス・クライン。

ジョン:ジョン・スティラット

グレン:グレン・コッチェ。

ジェフ:俺たちはこのクローゼットに集まってます。なぜなら、映画が大好きだから。

グレン:今夜僕たちが無事ステージで演奏できるように祈っててね。

ジェフ:うん、遅刻しちゃいそうだな。

パット:今すごく圧倒されてる気分だよ。つまり、僕はこのクローゼットに来ることが夢だったんだ。今まさにその中にいるんだ!

 

 

「Being There」(1979) 邦題「チャンス」 監督:ハル・アシュビー 出演:ピーター・セラーズシャーリー・マクレーン

 

ジェフ:アルバム「Being There」のタイトルはこの映画から取ったんだ。俺はいつも、チャンス・ガーデナーのキャラクターは、ロックと言う音楽の多くが世の中でどんな風に受け取られているかを象徴していると思っていたからね。元はシンプルだった格言が、発展して分析されていくみたいなものだ。音楽の中にある何かが、皆が望むものよりももっとナチュラルな単純さと深く結びついたようなときにね。だからこのアルバムは俺にとって大きな意味があるんだよ。

 

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「Leon Russel  A Poem Is Naked Person」(1979) 日本未公開。監督:レス・ブランク 出演:レオン・ラッセル

 

ネルス:10代の初めの頃、レオン・ラッセルになりたいと思ってたのはそんなに悪い考えじゃなかったと思う。ここにいるパットが教えてくれるまでこの映画のことは知らなかったんだけど、本当に素晴らしい作品だ。

パット:僕もこれ持ってるよ。

ネルス:ものすごく夢中になって、繰り返し何回も見たよ。

 

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「Rumble Fish」(1983) 邦題「ランブルフィッシュ」 監督:フランシス・フォ-ド・コッポラ 出演:マット・ディロンミッキー・ロークダイアン・レインデニス・ホッパー

 

パット:僕はこの映画を13歳か14歳のときに見たんだけど、フランシス・コッポラがこの作品について話しているのを聞いたことがあって、彼の目的はティーンエイジャーのためのアートフィルムを作ることだったんだそうだ。公開されたときちょうど僕はまさにその目的にぴったりの年齢だったわけで。音楽も含めてこの映画のすべてに魅了されて夢中になった。この映画のサウンドトラックは大好きな音楽のうちのひとつだよ。スチュワート・コープランドが手がけたんだ。

 

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「Heart Of A Dog」(2015) 邦題「ハート・オブ・ドッグ 犬が教えてくれた人生の練習」 監督:ローリー・アンダーソン 出演:ロラベル(犬)、ルー・リード

 

グレン:実はこの映画、まだ見てないんだけど、僕は基本的にローリー・アンダーソンがやることすべての熱狂的なファンなんだ。それにネルスが「これは素晴らしい映画だよ」って言うから。

ネルス:僕の妻(注・元チボマットの本田ゆかさん)のオールタイム・フェイバリット・ムービーなんだ。僕たちふたりとも大好きな映画なんだよ。(注・昨年ご夫妻は愛犬バタカップちゃんを亡くしているので思うところがいっそう大きいのだと思います。)

 

dog-piano.j

 

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「The Parallax View」(1974) 邦題「パララックス・ビュー」 監督:アラン・J・パクラ 出演:ウォーレン・ベイティ、ヒューム・クローニン

 

ジョン:本当に偉大な、すばらしい映画だ。舞台になっている太平洋岸北西部、ウォーレン・ベイティ、政治的な陰謀、暗殺― まちがいなく傑作だよ。

 

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「My Winnipeg」(2007) 日本未公開 監督:ガイ・マディン 出演:アン・サヴェージ、ルイス・ネギン

「Rolling Thunder Review」(2019) 日本未公開 (Netflixオリジナル作品) 監督:マーティン・スコセッシ 出演:ボブ・ディラン

 

ジェフ:どちらも「現実の不鮮明バージョン」って感じ。俺はフィクションがちょっと苦手なところがあって、もう長い間、ドキュメンタリーやノンフィクションの本のほうに気に入ってるものがたくさんある。フィクションよりも現実の方が奇妙で予測不可能だって気がついたんだ。この2本の映画はドキュメンタリーとストーリーテリング(物語)の境目を絶妙にぼかして作っていて、それが完璧に決まってるんだよ。そこがすごく面白い。

 

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https://www.netflix.com/jp/title/80221016

Netflixの「Rolling Thunder Revue」ページへのリンクです。予告編もここにあります。)

 

 

「Le Deuxieme Souffle」(1966) 邦題「ギャング」 監督:ジャン・ピエール・メルヴィル 出演:リノ・ヴァンチュラ、ポール・ムーリス

 

ネルス:メルヴィル! この作品はまだ見てないけど、彼の映画は個人的に大好きで、フィルムノワール史上最高の作品群だと思う。この作品を見るのが待ちきれないね。メルヴィルの映画の表情やざらついた質感が大好きなんだ。実際のところ、「Le Doulos」(邦題「いぬ」(1963)、出演:ジャン・ポール・ベルモンド)のような作品ですら完璧に納得できるわけじゃない。でもそういうところに心を奪われてしまうんだ。

 

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「America Lost And Found  The BBS Story」(The MonkeesをプロデュースしたBBSプロダクションが製作した7本の映画を収めたボックスセット)

1「HEAD」(1968) 邦題「ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!」監督:ボブ・ラファエルソン 出演:ザ・モンキーズ

2「Easy Rider」(1969) 邦題「イージーライダー」 監督:デニス・ホッパー 出演:デニス・ホッパーピーター・フォンダ

3「Five Easy Pieces」(1970) 邦題「ファイブ・イージー・ピーセス」 監督:ボブ・ラファエルソン 出演:ジャック・ニコルソン、カレン・ブラック

4「Drive, He said」(1971) 日本未公開 監督:ジャック・ニコルソン 出演:ウィリアム・テッパー

5「A Safe Place」(1971) 日本未公開 監督:ヘンリー・ジャグロム 出演:チューズディ・ウェルド、オーソン・ウェルズ

6「The Last Picture Show」(1971) 邦題「ラストショー」 監督:ピーター・ボグダノビッチ 出演:ジェフ・ブリッジズ、シビル・シェパード

7「The King of Marvin Gardens」(1972) 邦題「キング・オブ・マーヴィン・ガーデン 儚き夢の果て」 監督:ボブ・ラファエルソン 出演:ジャック・ニコルソンエレン・バースティン

 

パット:ジョンと僕がガシッとつかんだのはこのボックスセット。「The King of Marvin Gardens」は本当に大好きな映画なんだ。映像がとても素晴らしくて、撮影技師はLazio Kovacsで間違いなかったはず。信じられないくらいゴージャスなんだよ。とても淋しい映画で。少しシュールレアリスティックで、70年代初頭の衰退しているアトランティックシティでの話なんだけど、中盤にとても魅力的なシーンがある。アトランティックシティのもう使われていない展示場でのシーンで、僕が今までに見た映画の中でも一、二を争うくらい好きなシーンなんだ。このボックスセットには興奮しちゃうね。

 

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(ジェフが棚からDVDを落とす)

ジェフ:おっと、ごめんよ。俺が落としたのかな? 俺が~落としたのかな~?(歌っている)

 

 

「The Delirious Fictions of William Klein」(ファッションカメラマンのウィリアム・クラインが監督した3本の映画を収めたボックスセット)

1「Who Are You, Polly Maggoo ?」(1966) 邦題「ポリー・マグー、お前は誰だ?」出演:ドロシー・マクゴヴァン、ジャン・ロシュフォール

2「Mr. Freedom」(1968) 邦題「ミスター・フリーダム」 出演:ジョン・アビー、デルフィーヌ・セリグ

3「The Model Couple」(1976) 邦題「モデルカップル」 出演:アネモーネ、アンドレ・デュソリエ

 

ジェフ:「ウィリアム・クライン・ボックスセット」がある! 一番に取り上げたいのが「Mr. Freedom」。友達のジム・オルークがこの映画を「今まで見た中で最もワイルドで自由な精神を持った映画」だって教えてくれたんだ。色彩がゴージャスで、マジでクレイジーな映画だよ。セルジュ・ゲンズブールが出演してる。完全に予測不可能でワイルドな映画で、この作品のビジュアルセンスが大好きなんだ。他の2本を見るのが楽しみだね。

 

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(了)

 

Jeff Tweedy Interview / Esquire May 3, 2022 / By Dan Sinker

Esquire誌のウェブサイトに掲載されたジェフのインタビューを訳しました。本当は「Cruel Country」が配信される前にアップしたかったのですが、5月末のSolid Sound Festivalに行くことになってその準備でばたばたしていたので間に合わず、帰国してから作業再開したので遅くなりました。

今年2月以来の更新です。もう少し頻繁に更新したいのですが向こうのインタビューは長い! 私の英語力ではこのペースが精一杯です…。

ではどうぞ。

 

元記事はこちらです。

 

www.esquire.com

 

 

ジェフ・トゥイーディは良い日々を知っている

 

 

ウィルコの新譜「Cruel Country」制作についての最初のインタビューで、54歳のジェフが人生、家族、受け継いできたレガシー、そして「希望」について語る。

 

 

今日はいい天気だ。そして僕はウィルコの「Darkness is Cheap」を聴いて泣いている。彼らのニューアルバム「Cruel Country」収録の曲で、僕のダイニングテーブル兼仕事用デスクの上にある安っぽいブルートゥース・スピーカーから流れてくるのだ。窓の外では小鳥たちが餌台の上で争っている。何日も続く雨と終わりのない曇り空、今年のシカゴの春はずっとそんな天気だった。だけどそんな日々も終わり、今日は青空が広がっている。フロントマンであるジェフ・トゥイーディの高い声が、音数の少ない演奏の隙間を埋めている。シンプルなホーン、ピアノ、ギター。今、多くのものがそうであるように美しく、そして悲しい。気づかないうちに涙が頬を伝って落ちていった。

 

この数年は長かった。僕にとっても、君にとっても、そしてジェフ・トゥイーディにとっても。パンデミックと、政治的分断と、それらすべてにゆっくりと忍び寄る無力感からくる圧倒的な孤独の中で、僕たちはいつも道に迷いひとりぼっちだと感じていた。このアルバムの他の曲でも彼が歌っているように、「何も変わらないのを見ているのはつらい」。トゥイーディにとって、あてもなく彷徨っているように感じたのはこれが初めてのことではない。そして多分、最後でもないだろう。だが今回は今までとは違う新しい感覚があったと彼は言う。「この喪失の期間に考えついたんだ。音楽を作ることは、すべての人々にとって、クソみたいな日々よりもっといい日々を過ごすための方法を見つけ出そうとすることなんだ、って」。

 

トゥイーディは悪い日々を知っている。筋金入りのインディー・ロックバンド、ウィルコの中心にあって、彼は薬物中毒と不安と落胆、消耗性片頭痛に苦しんでいることを公にしてきた。片頭痛がとてもひどかったため、子どもの頃はしばしば痛みのために一晩に何回も嘔吐し、脱水症状で病院に担ぎ込まれていた。襲ってくる不快感を麻痺させるためにヴァイコデインを常用していたので、2004年にはツアー中にホテルのバスタブで気を失った―もう二度と目が覚めないかもしれないと思いながら。リハビリで薬とは手を切ることができたが、ひどい片頭痛は今も続いている。今朝も彼の片頭痛のためにこのインタビューは予定から数時間遅れて始まった。

 

だが彼は良い日々も知っている。「俺がみんなのために世界中をツアーして、レコードを出して、音楽を作っていられるのは、神に祝福されていると思う」と彼は語る。「まさに奇跡だよ」。ウィルコは、かつてグレイトフル・デッドのようなバンドが持っていた、熱狂的なこだわりを持つファンを魅了している。そのことは、ほとんどのインディーバンドには持てないレベルの成功を彼らにもたらした。ウィルコは全ての深夜トーク番組(君が見たことがある番組と、それ以上のたくさんの見たことがない番組)に出演し、トゥイーディは「パークス・アンド・リクリエイション」(注・NBCテレビジョン・ネットワークで放送されたアメリのコメディ番組)で伝説のミニホース、リトル・セバスチャンのために歌った(注・この動画は見つけられなかったので同じ番組に出たときの別の動画を貼ります)。また、テッド・ラッソでは最近のエピソードの主題歌も歌っている。

 

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しかしほとんどの場合、彼は良い日々と悪い日々のバランスの取り方を知っている。それがどのようにうまく均等に割り振られて人生を形作っていくのかを。「たまにとても、ほんとうにとても絶望的な気持ちになるんだ。でも同時に、ほとんどすべての瞬間に、ささやかな、シンプルな喜びも存在している。角を曲がったらひょっこり出くわすんだと学んできたよ」と彼はシカゴの自宅から電話越しに語った―洗濯物を畳みながら、いささかきまり悪そうに。

 

トゥイーディがこの奇妙な数年の間に体験したささやかでシンプルな喜びのおかげで、4月の末に行われたこのインタビューは活気のあるものになった。この数年、ウィルコはバンドの歴史上最も長期間にわたってツアーを中止し、その結果トゥイーディは大人になってから最も長い時間を家で家族と一緒に過ごしていた。これはウィルコがきっかり4か月間(バンドの歴史においてはほんの一瞬だ)、メンバー全員が揃ってレコーディングしたアルバム「Cruel Country」の制作についての初めてのインタビューであり、そして、このレコードのシンプルで余計なものをそぎ落とした曲の数々が、いかにして彼をウィルコの最も影響力の大きいアルバム「Yankee Hotel Foxtrot」20周年を記念してこの春に行われたコンサートで再びそのアルバムと対峙したことによる「落ち込み」から救ったか、という話でもある。だがそれ以上に、このインタビューは、家族、レガシー、そして何よりも、希望、といった広範囲に及ぶ会話となった。

 

その前に、彼は僕に文句を言いたいことがあるらしい。10年前、僕はラーム・エマニュエルがシカゴ市長に立候補したことを風刺した本を書いた(注・ラーム・イスラエル・エマニュエルは、アメリカ合衆国の政治家。第55代シカゴ市長、バラク・オバマ政権にて第23代大統領首席補佐官などを歴任した。2021年8月20日ジョー・バイデン大統領により駐日アメリカ合衆国大使に指名され、12月18日に上院本会議にて承認された。2021年12月22日、就任の宣誓を行った。/Wikipediaより引用)。そしてその件でシカゴという大都市がまるで小さな町みたいに感じられた奇妙なできごとのひとつに、その本の出版記念パーティーである歌手に本の中のワンシーンを再現してもらった、ということがあった。そのシーンとは、架空のジェフ・トゥイーディがエマニュエルの資金調達パーティーブラック・アイド・ピーズの曲を歌う、というものだった。その結果、その夜以来彼はそのビデオから逃れられなくなったのだ。以下の記述は事情をはっきりさせるために少々編集して要約している。

 

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トゥイーディ:君のせいで一時期俺はとても、ものすごく大変だったと言っておかなくちゃならない。

 

エスクワイア:10年以上前のことじゃないか!

 

T:大急ぎでさっと話すから気にしないでくれ。かなり前にチポトレ(注・Chipotle Mexican Grill。アメリカのメキシコ料理ファストフードチェーン)が俺にブリトーの無料カードをくれたんだ。店頭でそのカードを見せるとチポトレの従業員たちはいつもすごくざわざわしてた。彼らがカードをスキャンしたら「セレブリティのため無料」になったからね。もし可能だったら俺は毎日チポトレでブリト―を買ったと思うよ。だって全部タダだったんだから。なぜ彼らがそのカードを俺に送ってきたのかわからなかったんだけど、結局は取り上げられちゃったんだけどね。でもそのカードを持っている間、店のスタッフは誰も俺がセレブだとは思ってなかったみたいだ。あるとき店内で座ってブリト―を食べていたら、バックヤードのキッチンでスタッフたちが俺の名前を検索したらしいんだ。レシートに名前が印字されていたからね。こいつはいったい誰なんだ?って。そして俺がちょうど食べ終えようとしているときに彼らが駆け寄ってきて、俺をキッチンに連れて行ってみんなで写真を撮った。彼らは俺が「I Gotta Feeling」(注・ジェフが前述のパーティーで歌ったブラック・アイド・ピーズの2009年の大ヒット曲)を作曲したと思ったんだよ。

 

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E:Oh,No.

 

T:彼らは俺がハイドアウトであの歌を歌っている動画を見ていたんだ。

 

E:だから無料カードを取り上げられちゃったんだ!

 

T:たぶんね。よく知らないけど。でも今日に至るまで、俺が体験したことの中であれが一番ウィルスに感染したのに近いことだったよ。わざわざあんな手間をかけてあのバンド(ブラック・アイド・ピーズ)をからかうなんて、と俺を非難した人たちもいた。未だにソロツアーをすると必ずあの曲をリクエストされるんだ。君の本のために親切でやったことで、思ってもみなかったいざこざに巻き込まれちゃったってわけだ。

 

E:あー、うん、このインタビューで埋め合わせさせてもらいます。

 

T:いや、あれは楽しかったよ。あの件に参加できて嬉しかった。とても素晴らしい本だったし、楽しい体験だったよ。

 

E:おお、ありがとう。今話しても本当にあったことだって誰も信じてくれないんだよね。

 

T:みんな、俺を信じてくれ。証拠もある。

 

E:そのとおり。でも過去のことはもういいよ。もうすぐウィルコのニューアルバム「Cruel Country」が発売されるよね。アメリカについてのレコードを作るにあたってはひどい時期を選んでしまったね。

 

T:だって今、それ以外に考えなきゃいけないことなんてあるかい?

 

E:この国が抱えている問題と未来についてのレコードを―ウィルコなりのやりかたではあるけれど―作ることは、最初からの意図があったの? それともむしろ、レコーディングが終わってから腰を落ち着けて全体を見渡したところで自分たちが何を作ったのかわかった、みたいな感じだった?

 

T:その両方が少しずつ、ってところかな。パンデミックの初期には、フォークやカントリーの曲を作ることで俺は心がとても落ち着いて穏やかになれたんだ。それは今までの人生のほとんどすべての時間にやってきたことだったんだけどね。そういう、より狭い領域の曲作りに集中することって、ソウルフードみたいなものなんだよ。食べ慣れてて、元気が出て、気持ちが落ち着くんだ。状況が劇的にどんどん変わっていく中で新しい音楽の形を考えることはとても難しい。だから、こういうカントリーとフォークの曲ばかりがたくさんできて積み重なっていったんだ。その中の何曲かは俺のソロアルバムになったけど、大量の曲がまだ残っていて、それは一旦脇によけられていた、ってわけだ。

 

ウィルコはパンデミックの前からニューアルバムのレコーディングを始めていて、それは形としては「アートポップ」だったんだ。新しいアイディアを形にしようとずっと作業を進めていて、とてもエキサイティングなものになるはずだった。20~30年、いやもっと長い間バンドをやってレコードを出し続けるのはとても楽しいことだ。新しいものを作りたい、みんなを驚かせたい、ってね。俺たちはパンデミックが起きるずっと前から、メンバー間でテイクを送り合って作業を進めてきた。今、パンデミック下ですべてのレコードがそうやって作られているみたいに。

 

だけどその後、やっと全員が実際に集まれるようになって、スタジオに腰を落ち着けて一緒に演奏してみたら、そうやって作ってきたテイクがしっかりと地に足の着いたものとは感じられなかったんだ。全員がね。だから俺はそれまで一旦脇によけていたフォークやカントリーの曲を全部引っ張り出してきた。最初から俺はその一群の曲をまとめて「Cruel Country」と呼んでいたんだよ。もう一枚の、当初作っていたアートポップのレコードにも既にタイトルはついていた。つまり俺たちは2つのレコードを作ったんだ。そして、いざ全員で集まって、ロフトに落ち着いて一緒に演奏することで、メンバー全員の結びつきが改めて強く確かなものになっていったんだ。

 

E:スタジオに全員が揃ってそれっと一斉にライブでレコーディングするのはずいぶん久しぶりだったんだろう? 2022年に同じ空間で一緒に音楽を作るのはとても奥が深いことのように僕には思えるよ。きっと心が大きく動かされたに違いない、と。

 

T:イエス! そのとおりだよ。歌える歌を作ることが、差し迫っての切実な俺の望みだった。「みんなで一緒に」歌える歌を作ることがね。ここ最近の何枚かのレコードを作ったときのやり方に戻るのはばかげていると思った。つまり、俺が最初の基本的なトラックをほとんど全部作って、他のメンバーがその上に練り上げてアレンジした自分のパートを入れる、みたいなやり方だ。もう長い間、レコーディングで全員が同じ部屋で一緒に演奏する、なんてことはなかったんだ。俺たちはパンデミックの前からパンデミックのやり方でレコードを作っていたのさ。だけど、友達と一緒に音楽をやるって、とても気が許せる、くつろいだ気持ちになれることだろう? 言葉のいらないコミュニケーションだ。俺たちが最終的に採用した曲のすべてに、このこと、言葉では正確に言い表せないことが詰まっている。まるで、みんなが誰かと分かち合いたいと感じる瞬間のような音なんだ。

 

E:「誰かと一緒に歌いたい歌を見つける」ってすごく美しいことだと思う。

 

T:そうだろ? シンプルで、根源的なことだ。俺は、自分がすごく祝福されてると感じるんだ。レコードを作って、みんなのために演奏する立場にいられる、ということがね。まさに奇跡だと思う。だけど俺の人生のほんの小さな状況においても、ささいなくだらない言い争いはいくつもあったんだ。本物であることについての争い、スタイルについての争い、批評されるべき何ものかであるような音楽を作るためにはどうすべきか、という争い…。でも俺は、この喪失の時代に音楽を作るということは、クソみたいな最低の日々ではなく素晴らしい良い日々を過ごすためにはどうしたらいいのかを見つけ出すための方法なんだと思うようになったんだよ。

 

E:最低な日々の中にあるそこそこ良い日々について話をしようか。君はパンデミック中に家族と一緒に何回もストリーミングをしてくれた。何が君たち家族に、みんなをあんなに自分たちの生活に近いところまで引き込もうと思わせたの?

 

T:君も見てくれたんだ?

 

E:うん、何回も。特に最初の頃にね。

 

T:なんてこった。そうだな…、パンデミックの前からスージーは軽い気持ちでストリーミングをしようかと思っていたんだよ。うちにあるいろんなガラクタを紹介して、それについて話そうか、と。でも彼女はカメラの前でしゃべるには少しシャイだから、俺と一緒にやれたら面白いんじゃないかなと思っていたんだ。でもその後、ウィルコのツアーがパンデミックのせいでキャンセルになって、彼女は毎日オンラインでファンの人たちががっかりしているコメントを全部読んでたんだけど、その数がどんどん増えていって。そのコメントを読むと、ある種のファンの人生においてバンドがどれだけ重要な役割を果たしているのか、とても強く感じられたんだ。俺が思うには、彼女はただその人たちに安心してほしかったんだよね。だいじょうぶだよ、って。少なくとも、彼らに手を差し伸べて、なんとかしてみんなが繋がれるようにしたかったんだと思う。でもあのストリーミングはあっというまにそれ以上の存在へと成長してしまった。

 

俺自身は、あのストリーミングはステージもなくヒエラルキーが徐々に解体されていったあの時期にあって、信じられない瞬間だったと感じたよ。残念ながら一時的なものではあったけれど、あの瞬間はスターも、アマチュアも、プロもいなかった。俺たちはみんな、ああいう繋がりを求めていたんだ。今はもうなくなってしまったけどね。そしてみんな少し怯えていた。だから、始める前にはほとんど何も考えてなかったんだけど、俺たち自身にとってもあの配信は家族が集まって毎晩いくつかの歌を練習して歌うことで結びつけられていく手段になっていったんだ。それだけで俺たちは正気でいることができた。そのうえ、その体験をみんなと共有して、みんなとも繋がっていく手段になっていったんだ。やってよかったと思うよ。

 

E:息子さん達もあのときは家にいたんだよね。今も一緒に住んでるの?

 

T:うん、だいたいはね。スペンサーは近所で彼女と一緒に暮らしてる。サミーはパンデミックが始まったときは大学に行っていて、それ以来基本的には自分の部屋にいるよ。

 

E:僕は今でも、あの1年半の間うちの子たちが家にいたことを思い出すと頭がクラクラするよ。いろんな点で素晴らしい体験だったけど、ちょっと視点を引いて客観的に見てみると、当時は正気じゃなかったな、とも思う。君はあのとき家族と一緒にいることで自分自身について、または家族についてなにか学んだことはあった?

 

T:うん、もちろん。俺は大きく変わったよ。コロナでたくさんの人の命が奪われたことを考えると、ポジティブな側面を表明しにくいけどね。でもあの経験は俺にポジティブな変化をもたらした。その変化をもたらすのに違う方法があるかはわからない。俺は、大人になってからは、あんなにまとまった時間をひとつの場所で過ごすことはなかった。だからいつも、自分はそういう状況に適応できないんじゃないかと心配してたんだ。たぶん家族は俺が家にいない方がいいこともあるんじゃないか、とか、結婚生活だって俺がいないことで何かいいことがあるんじゃないか、とか。俺たちはあの大変だった時期にちゃんと一緒にいることができて、なかよくやっていけて、協力しあうことができるんだ、って知ることができた。とても健全なことだよ。

 

同じように、音楽的にも芸術的にも、この痛みを無駄にしたくないと思ってる。あらためて強く断言したいんだけど、俺の人生において自分を解放して背負っている重荷から自由になるための最も効果的な方法は、曲を書いたり創造したりすることなんだ。単に自分で曲を書くだけじゃなく、他の人が書いた曲を学ぶこともだ。俺たちはたくさんの、1000かそこらの曲を練習して、自宅から200回以上配信した。だいたい毎晩7時ごろにスペンサーとサミーが今日はどの曲を歌いたいか、俺にアイディアを投げ始める。おかげで俺はギターを弾くのもコード進行を分析して習得するのも上手くなったよ。今までの人生でもずっと考えてきたんだけど、つまりその種の集中する努力が俺を進歩させてきたんだな。今ステージで演奏してるときもそれを実感しているよ。すべてが上手くいった。いいことだったんだ。同時にすべてがとても恐ろしいことでもあったけれど。

 

E:ニューアルバムはそういう、いいことと恐ろしいこと、両方の経験をうまく捉えていると思う。今現在の悲しみもとてもうまく捉えている。そこにはたくさんの死がある。僕たちの人生の中にあるのと同じように。でも希望もある。君はこのレコードを、暗闇から光へと向かうものとして描いている。僕は、君がどうやって希望と慰めを悲しみと両立させたのか知りたいんだ。

 

T:それは、今までの音楽においていつも起きてきたのと同じように起きたんだと俺は確信している。つまり、問題や死や恐怖について歌うことでそれらを消滅させることはできない。でも、束の間その重みを軽くすることはできるんだ。ときにはそれだけで十分なんだよ。

 

死について、自分が死ぬという運命については何も心配しなくていい、と思わせるような歌を書くことができるとは思わない。誰かを一日中落ち込ませるような歌を書くことはできる。明らかに。でも俺はそんな歌を書こうとは思わない。おおむねこういうことじゃないのかな。自分を脅かすようなものに出会ったときに、その恐怖を少しでもましなものにするために想像力を働かせてなにかをやってみる。その瞬間をなんとかやり過ごすために、メロディーで恐怖を克服する。それが暗闇から光へと向かうのにうまく働いたんじゃないかな。俺の考えだけどね。

 

E:ニューアルバムの「Story to Tell」という曲に、「地獄へと向かう道のりで 地獄を通り抜けてきた」と君は歌っているよね。実際、僕たちはつい最近「地獄を通り抜けてきた」。しかも僕たちは今でもそこを通り抜けているし、なんならそこにまだいるような感覚がある。

 

T:俺に言わせれば、カントリーミュージックの典型的なフレーズだけどね。一行ですべてを伝えることができるような。こういうフレーズに出くわしたらすごくラッキーだと思うんだ。こういうものをみんないつも探しているだろう?

 

俺はたぶん、以前からこのことについて考えていたと思うんだけど、人々が主張することの多くが、みんなを地獄を通らせて最終的に地獄へと追いやるんだ、みたいな。でもまあ、広い意味で言えば、人生ってそういうものだと思うんだよ。恐ろしいときを通り抜けていく、でも、その恐ろしいときはちゃんと過ぎていくんだ。恐ろしいときを生き延びたことに気がついて、人は自分で思っていたよりも強くなっていく。でも同時に、そのことは、近い将来また似たようなことがやってくる、と気づかせることでもあるんだ。

 

E:誰が言ってたか忘れたけど、僕はよく以前読んだ引用文について考える。カントリーミュージック―良質なものに限るが―は、ささやかな人生を送っている人たちのための音楽だ、と。君はこのバンドを長いあいだやってきて、人生の多くの時間をそこで過ごしてきた。「Yankee Hotel Foxtrot」20周年記念の直後に「Cruel Country」発売の告知をして、この2週間はあの昔のアルバムの全曲完全再現ライブをやった。あの偉大なレガシーの過去を振り返ることと、未来へ進むことを同時にやるのはどんな感じだった?

 

T:ニューアルバムを発売するにあたって、すべてのことがどんどん加速していった理由の一つがそれだったと思う。新しいレコードを配信して、その収録曲を歌いたいという気持ちがなかったら、「Yankee Hotel Foxtrot」の再現ライブに関わる作業のなにもかもが俺を落ち込ませただろうね。

 

まず第一に、「Yankee Hotel Foxtrot」の中で、現在ステージで演奏していない曲はひとつもない。でもそれらの曲がライブで他の時代の曲の間にねじ込まれるときは、現在の俺たちの音や感覚に合わせて姿を変えているんだ。通常のセットでその曲を演奏するとき、それはもう当時俺が街を歩き回って感じた悲しい風景を再現してはくれない。でもこの数週間、メンバー全員で集まって、あのスタジオで演奏したのと同じようなアレンジを作り上げるために一生懸命演奏していたときは、正直言ってめちゃくちゃしんどかったよ。完全再現ライブの最初の夜、実際やってみたら疲労困憊して、そのことに俺はすごく驚いた。とてもパワフルな演奏ができたし、あのパフォーマンスを誇りに思っている。でもあの夜、完全再現ライブを20回ブッキングしなくて本当によかったと思ったね。わかるだろ? 質問の答えになってるかわからないけど、集中できる新しいことがあってすごく幸せだったと思ってるよ。

 

それが、俺がある種の楽観主義を拭い去れない理由のひとつなんだ。なぜなら俺は自分の人生については本当に、まったく、希望を持てないんだけど、でも明らかに人生で与えられたほとんどすべての瞬間に、角を曲がると、ごく小さな、シンプルな喜びがある、と学んできたからね。それを前もって知ることはできない。でも待つ価値はある。もし受け入れようとする意志があるなら、それは必ずやってくる。そういう信念をある程度持っていることはできる。ニューエイジ自己啓発系の何かみたいに受け取られたくはないんだけど、それが真実だと思う。俺の人生が最悪だったときですら、世界はクレイジーな喜びの日々に向かって開かれていたし、俺はそれが例外的な状況だとは思わないよ。

 

(終)

ネルスのインタビュー感想

・いや~なんつっても一番驚いたのは、ジャズマスターは2本あった! ってことですね。ひょっとして皆知ってたのかしら? 私だけが知らなかったの? あと、買った時からかなり塗装が剥げてダメージひどかった、というのも。あのボロボロ加減が「歴戦の相棒」て感じでかっこいいなあと思ってたんですが。鮎川誠さんの黒いレスポールといい勝負ですよね。あのギターもかなり年期入ってて素敵です。

 

・「カーマイン・ストリート・ギター」というドキュメンタリー映画で、ネルスがジェフのことを「恩人」と言ってたのはなぜなのかなと思ってましたが、ジェフがウィルコに誘ってくれたから生活のための仕事を辞めて音楽だけで食えるようになった、ということだったのかな。ネルスとジェフが一緒にギターを探して街をうろうろしてるのを想像して楽しくなりました。ツアーに出るとホテルと会場の往復しかしない、というバンドも多いようですが、ウィルコの皆さんは街を散歩したり楽器屋さんに行ったり美術館に行ったりとかなり現地を楽しんでいらっしゃるようでなんか余裕があっていいなあと思います。マイクも2013年の来日の時、2週間早く来て京都などを観光していたそうです。

 

・以前SPINのインタビューを訳したとき、ネルスの一人称を「私」にしたんですけど、このインタビューも最初そうしてたのですが、なんとなく途中でしっくりこなくなって「僕」にしました。Guitar Worldというギター専門のメディアでギターの話をする、という状況のため、なんだか以前のインタビューよりラフに喋っているような気がしたのです。少し話は違いますが、翻訳口調ってよく話題になりますけど(過剰な女性言葉になっちゃうとか。ビリー・アイリッシュが「~だわ」「~よね」なんて言わん!みたいな)難しいですね。村上春樹さんはあえて(日本語としては不自然な)「翻訳の文体」にしているそうですが。

Nels Cline Interview / Guitar World  2021,6,26

昨年6月に訳しかけて中断していたネルスのインタビュー翻訳,完了しました。

文中でネルス愛用のギターとペダルについての発言がありますが、私ギターのこともよくわかりませんがペダルについてはもっとわかっていませんので、Huckleberry FinnのVo.& Gのサクマツトムさん(2015年のSolid Sound Festivalで知り合ったWilco友達)に助言をいただいて訳しました。最後に載せた写真もご提供いただきました。どうもありがとうございました。

 

元記事はこちらです。

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「僕は身体をくねらせてアンプをかついでギターに火をつけたいなんて決して思ってはいなかった。静かな細い道を歩いていきたかったんだ」 

 

 

ミュージシャンズ・ミュージシャン、ギタリストのギタリストが語る、音楽生活の始まり、お気に入りのギター、ウィルコと長く続いている秘密、そして驚くべきすばらしい多様性を持った2020年のソロアルバム「Share The Wealth」について。

 

多くの人々にとって、ネルス・クラインはシカゴ出身の創造力溢れるロックバンド、ウィルコで高らかにギターをかき鳴らすリードギタリストである。彼は2004年からその場所にいるが、このミュージシャン、このリードギタリストを単にウィルコのギタリストとして認識するのは、彼の膨大な音楽の履歴書のほんの上っ面をかすめるにすぎない。彼はウィルコのギタリストであると同時に自身のバンドのリーダーであり、エクスペリメンタルミュージックのミュージシャンであり、即興音楽家で、作曲家で、一卵性双生児の兄アレックスとの共作者で、そして以下の文章からもわかるとおり才能の発掘者なのだ。

 

11月にネルス・クライン・シンガーズの最新アルバム「Share The Wealth」をリリースしたクラインは、このアルバムの簡潔さと長さの両方を評価している。いくつかの曲は2~3分と短い一方、10分以上に及んでいる曲もある。だがクラインにとってそれは問題ではない。彼はこの、インプロヴィゼイションミュージックというアートの形式が許容する大きな可能性の数々を楽しんでいるのだ。

 

私たちは、彼の最初の音楽体験、長年使い続けているお気に入りのギターとペダル、2020年の「Share The Wealth」の起源、その他諸々について話を聞こうと彼にコンタクトを取った。

 

 

 

Guitar World : 音楽が重要なものとしてあなたの人生に登場したのはいつですか?

 

Nels Cline : 両親が、膨大とは言えないが少なくもない、ある程度のレコードコレクションを持っていたんだ。父は特にブロードウェイのミュージカルが好きで、よく思い出の中に入り込んでスウィング時代のビッグバンドの音楽を聞いていた。だが僕にとっては、音楽が何を見せてくれるのかわかった最初の記憶はファーディ・グローフェの「グランドキャニオン組曲」だった。とても「標題音楽」(注・音楽外の想念や心象風景を聴き手に喚起させることを意図して、情景やイメージ、気分や雰囲気といったものを描写した器楽曲のこと。Wikipediaより)的なものだったけど。

 

このアルバムのジャケット写真は、何頭かのロバがグランドキャニオン渓谷の山道を降りていくものだった。音楽を聞きながら山道を降りていくロバを想像したことを覚えているよ。音楽の中にその姿を見ることができたんだ。6歳か、それくらいの頃だ。でも、自分が実際に努力して演奏するという可能性と共に音楽がもっと真剣に僕の心をとらえたのは10歳のときだった。

 

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それはザ・バーズの「Turn!Turn!Turn!」というアルバムだった。双子の兄と、当時の悪ガキの友人たちと一緒に聞いたんだ。ザ・バーズサウンドはすっかり僕に魔法をかけてしまった。兄がストーンズに魔法をかけられたのと全く同じようにね。

 

でも同時に、僕たちは小学校の5年生で、インドについて学んでいた。1年ごとにひとつの単元があって、ある年はメキシコ、ある年は日本、という具合にね。そして5年生ではインドだったんだ。

 

担任のゴドウィン先生が、ワールド・パシフィック・レーベルから出ていたラヴィ・シャンカールのライブ盤を片面全部聞かせてくれた。アラ・ラカがタブラを演奏しているものだ。たぶんそれが人生最初の「うわあ!」という驚きを伴った強烈な音楽体験だったと思う。

 

それを聞いてシタールを演奏したいと思った。クラスメイト達はそのレコードを嫌って大騒ぎでブーイングしていたけど、僕は文字通り「心を吹き飛ばされた」。今思うに、その瞬間、音楽は単なる娯楽以上の何かだという考えが生まれたんだ。インドの古典音楽を発見して、ラヴィ・シャンカールの自伝を読んだことも併せてね。

 

G : 僕はいろんな人と話をすればするほど、音楽というものは日用品と言うより薬に近いものではないかと思うんですが、あなたも同じように感じているのではないでしょうか。

 

N : うん、音楽は魔法みたいなものだ。僕の成長期、12歳か13歳の頃はSummer Of Loveの季節だった。1967年から68年にかけてだね。ポップミュージックにとって信じられないくらい生き生きと活気があり、カラフルで酔っぱらっていたような時代だった。

 

1967年、ジミ・ヘンドリクスの「Manic Depression」を聞いたときに目覚めたんだと思う。このアルバムが「演奏する人生」という僕の道を決定した。非常に純粋な形でそういう種類の音楽と出会えたことをとても幸運だったと思っているよ。そんな音に触れたことで深く心を動かされ、触発された。単純にとても興奮したんだ。

 

G : 「Manic Depression」の何がそんなにあなたの感情を動かしたのですか? 他の音楽にはそれを感じなかった?

 

N : あれは最も独創的な曲のひとつだったんだ。8分の6拍子、ミッチ・ミッチェルの驚くべきドラム、ハイピッチと言うよりオープンチューニング。そしてヘンドリクスの若さ。

 

それ以前にジェフ・ベックヤードバーズにも注目していた。ジェフ・ベックの大ファンだったんだ。でもヘンドリクスの音は ― コントロールされたフィードバック、ソロ、ギターに合わせて歌うこと ― すべてが完璧な魔法に聞こえた。まるで優しく感電死させられたみたいな気分だった。

 

あの魔法、あの感覚、あの高揚した気分は決して色あせることはない。あの曲を聞いて、僕はヘンドリクスに取りつかれてしまった。でも彼のように演奏しようという意味ではなくて、だって僕は当時12歳で、あんな演奏は人間には不可能だと思っていたからね。あの音を再現しようとなんとか頑張って挑戦するなんて無礼だとすら思ったし、自分は特別に華麗なタイプではないと確信していたから。

 

僕は身体をくねらせてアンプをかついでギターに火をつけたいなんて決して思ってはいなかった。大勢の興味を引いて魅了するなんてことも望んでいなかった。僕はただ、静かな細い道を歩いていきたかった。そう思ったとき、もっと抑えた、メロディックなスタイルを身に着けたギタリスト達が、僕にとっておおいに興味深い存在になったんだ。当時はギターのチューニングのやりかたを見つけ出すことすら簡単じゃなかった時代だ。今とは違う。だから僕はとても原始的なプレーヤーだった。長い間コードのひとつも知らなかった。でもブルースロックの系列でブルースを演奏しているギタリスト達は僕を魅了した。のちにスティーブ・ハウロバート・フリップのような人たちに気づくようになって、ああいう風になろうと努力した。

 

でもデュアン・オールマンディッキー・ベッツ、ハンブルパイの頃のピーター・フランプトンは僕にとってとても重要だった。あの時代の全ての種類のギタリスト、デイブ・エドモンズ、ポール・コソフ、そしてジョニー・ウィンター。全員だ。彼らのうちの何人かは、ジョニー・ウィンターのようにとても派手でリック(注・リフのように特定の曲に限定されない、短いギターのフレーズ)をたくさん弾いた。他の人たちはもっと控えめだった。

 

たとえば、長い間僕のヒーローだったデュアン・オールマンみたいな人たち、彼らは熟練のブルース・ギターとスライド・ギター、大いなる根気と長いメロディックなギターソロとのコンビネーションを特徴としていた。僕が恋に落ちたのはそこだった。君も知っているように、あの頃はロックンロールが世界を支配していた。ビートルズが1曲ヒットを飛ばしたら全てが違う風景になったんだ。

 

当時はデパートやドラッグストアでギターを買えたんだよ。店頭にテスコ・デル・レイの棚があって、日本製の安価なギターが置いてあった。僕の最初の3本のギターはこのメーカーのものだった。

 

双子の兄のアレックスと僕はヒッピーになりたかった。見た目も行動もヒッピーみたいにね。音楽と、いわゆる「カウンターカルチャー」の合わせ技にどっぷり浸かっていたんだ。意識の拡大と平和行動とロックンロールに参加したかった。

 

G : 双子のお兄さんと一緒にミュージシャンとして成長していくのはどんな気持ちでしたか? その成長過程は、あなたのトレードマークである独特の雰囲気で音を小刻みに細かく揺らす演奏方法にどのように関わっていたのでしょうか?

 

N : ああ、「細かく小刻みに揺らす」のは、もっと後になってからだよ。トム・ヴァーラインを聞きこんだことに影響されたんだと思う。でも僕は常々思ってるんだけど、トム・ヴァーラインクイックシルバーメッセンジャーのジョン・チポリナに影響されたんだろうね。

 

でも60年代のジェファーソン・エアプレインのジョマ・カウコネンみたいな人たち、彼らの多くはエリック・クラプトンのスローハンドが出てきてもっとリラックスした表現力豊かなビブラートが一般的になるまでは、早いビブラートを演奏していたよね。

 

中学生の頃は僕もそういうめちゃくちゃ早いビブラートを演奏しようとしていた。アレックスと僕は、他の2人と一緒にToe Queen Loveというバンドをやっていたんだけど、このバンド名はThe Fugsのアルバムから取ったんだ。

 

兄はいつも素晴らしかったよ。彼は、そうだな、何と言うか、どんな楽器をやってもある種の明快な、首尾一貫した演奏ができる類の人間だと僕は感じていた。僕がブルー・チアーをあまり好きじゃなかった頃、彼も同じように好きじゃなくて、彼がグレイトフル・デッドを好きじゃなかった頃、僕も同じように好きじゃなかった。でも僕たちは何でも一緒に聞いて、力を合わせて二人の音楽の道を形作ってきた。

 

あえて言うけれど、僕たちは一卵性双生児だから、二人ともいわゆる「ジャズ」や「フリージャズ」「チャンバージャズ」の即興演奏家になったことや、高校生の頃に音楽を始めてそれ以降もずっと努力してきたことについては、二人の繋がりと音楽的なテレパシーが間違いなく存在するんだ。

 

僕たち自身だけがそのことに気付いているわけじゃない。僕たちの演奏を聞いたら誰にでもそれは感じ取れる。成長の過程としては全く普通ではないけれど、単純に快適だったしインスピレーションの素晴らしい源だったというだけでなく、自分一人でやるよりも二人のほうがずっといい音を出すことができたんだ。

 

G : あなたは小さい博物館を造れるくらいギターのコレクションを持っていると僕は確信しているのですが、これがなければ生きていけないと思うくらい気に入っているギターはありますか? それと、あなたの何本かのギターはすごく使い込んでいますよね。まるでそのギターに忠誠を誓っている、というレベルで!

 

N : 皆が一番よく目にするギターが、僕が持っているなかで一番気に入ってるギターだよ。1960年の、僕は何年もの間59年製だと思ってたんだけど60年代初頭のだと後に判明した、フェンダージャズマスターだ。1995年に、そのとき一緒にツアーしていたマイク・ワットから買ったんだ。以前は黒だった。僕のために公正を期して言うなら、あのギターはデリケートだし仕上げの塗装がオリジナルじゃないんだ。だからすぐにボロボロになっちゃうんだよ。

 

でも僕はギターを弾くときの動きやアクションのこととなるとあまり手加減しないところがあって(笑)、だから59年のジャズマスターがここニューヨークに1本あって、僕が「ザ・ワット」と呼んでいるもう1本はシカゴのロフト、ウィルコのスタジオにあるんだよ。

 

8月にツアーを再開する予定だから、1年ぶりに僕はあのギターと再会できるんだ。ここにある「’59」は買ったときすでにかなりボロボロだったんだよ。

 

60年代に一度真っ二つに割れて、誰かがまた貼り合わせたみたいなんだ。すごいよね。確かに買った時よりも大幅にこのギターの塗装は剥げてしまっているけど、わざとやっているわけじゃないよ。他のギターよりも僕の当たりの強さが反映しているように見える、というだけの話だ。

 

たとえばウィルコに加入したときから使っているジェリー・ジョーンズ・ネプチューンの12弦ギターが僕は大好きなんだ。ウィルコのツアー用に買ったんだけど、今でもほとんどのパーツが全くの新品に見える。痛んだ部分は見当たらない。もちろんジャズマスターと同じような弾き方はしないし、ジャズマスターほど頻繁に弾くわけでもない。でも他の気に入ってるギターは ― 困ったな、自分が何本ギターを持っているのかわからないよ。本当に、何本あるのか知らないんだ。とにかく多すぎてね!

 

でもウィルコに加入してからは、ほら、僕には大学に行かせなきゃならない子供もいないからさ、故郷のロサンゼルスで質素に暮らして、ツアーをして、それからジェフ・トゥイーディと一緒に楽しく街をそぞろ歩いてはクールなギターを見つけて ― 彼はものすごいコレクターでギターの知識も豊富だから。そうして僕は主に変わったギターに引き寄せられるようになったんだ。

 

そんなに高価なものやコレクターアイテム的なギターは持っていないんだ。でももう1本気に入ってるのは、70年代から持っている1952年製の小さいマーティンの00-17だね。ウェストウッド・ミュージック(注・ロサンゼルスのギターショップ。現在は閉店)で250ドルで買ったんだけど今でも大好きなんだ。すごくきれいな54年製のマーティン0-18も持ってるし、古いテイラーの12弦アコースティックギターも大好きだ。これは70年代後半に買ったんだけど、当時彼らの会社はまだ出来て2,3年しか経っていなかったんだよ。

 

彼らの店がまだカリフォルニアのレモングローヴにあった頃だね。今の彼らとは全然違う製法で作られたギターで、僕はずっと、とても気に入ってる。僕はラルフ・タウナーと彼の12弦ギターの演奏にすごく影響を受けてるんだ。

 

このあたりがお気に入りかな。高校生の頃から持ってるギブソン335も ― ウィルコの「Either Way」でも使ったギターだよ。これは素晴らしいことだよ。僕の両親もその頃から明らかに信じていたんだ。僕の音楽生活がこんなにも長く続くだろうということをね。

 

父がいくばくかの遺産を相続したから、僕はとてもいい新品の’71を手に入れることができた。知っての通り、当時はヴィンテージ市場なんてなかったからね。今なら皆、「71年は当たり年じゃない」って言えるけど、でも今となっては僕と同じ、所有者と同じくらいのヴィンテージギターだよ(笑) 僕は今でもそのギターを持っているよ。

 

僕はたくさんギターを持っているし、本当にその全部が大好きなんだ。サウンドチェックの時にウィルコのツアーで使うギターをしまってある部屋の前に立って、セットアップされたたくさんのギターを眺めるんだけど、ほとんど毎回ローズウッド・ドロップD・ジャズマスターに目が止まる。BilTギター(注・アイオワ州デスモイネスのハンドメイドギターショップ)のスタッフたちが僕のためにメンテナンスしてくれたギターだ。それか、ジャガーだ。

 

僕は本当に、自分のギターが大好きなんだよ! 「ザ・ワット」以前は、長い間「僕のギター」は’66年のジャガーで、僕はこのギターがとても気に入っていた。技術的には「最高のジャガー」ではなかったけれど。ボディは重いアッシュ材でブロックインレイ(注・演奏中にフレット数を確認するためネックにはめ込んだ四角形のマーク)とバインディング(注・ギターのボディ、ネック、ヘッドの外周にある縁取りの装飾)が付いている。でもこれは、僕が自分自身の音楽と同じくらいジャズスタイルの音楽を演奏してきたギターなんだ。だからすごく説得力のある音を出せて用途の広いギターなんだよ。僕はジャガーが大好きだ。

 

G : ペダルについてはどうですか?

 

N : 僕のナンバー1はエレクトロ・ハーモニクスホーリーグレイルだよ。今では修理もできないしどこに行っても見つからないから手に入らないんだけどね。僕はこれを6個持ってるけど、そのうち確か4個は壊れてるんだ。

それから古いエレクトロ・ハーモニクスの16セカンド・デジタルディレイ。1985年にビル・フリーゼルに教えてもらった時からずっと使ってる。ビルはこのペダルの達人で、でも彼のは壊れてしまって修理できる人を見つけられなかったから今はもう使っていないんだよ。これは明らかにこのペダルの大きな問題だ。これは本当はルーパー(注・演奏しているパートを録音して何度も繰り返し演奏(ループ)させる機能を持つエフェクター)で、リバース(注・逆再生)とオクターブジャンプとオクターブダウン(注・原音に対して1オクターブ上または1オクターブ下の音を作る機能)とマイクロトーナル(注・微分音。一般的な全音や半音より小さい音階)機能がある。ループを壊すことなく加えることができるんだ。だから僕は1985年からずっと使ってる。もちろん最初の1台は壊れてしまったけど。(注・ネルスがこのペダルをデモンストレーションしている動画はこちら。)

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今使ってるのは2回修理したけど、もう限界だと思う。誰かが僕の壊れたこのペダルをまとめて持って行ってちゃんと動くのを一つ作ってくれるかもしれないから、その時のために全部まだ持っているんだ。

 

ボリュームペダルも大好きだよ。僕はただのボリュームペダル・ガイなんだ(注・原文はI'm just a volume pedal guy.ジョン・レノンの「Jealous Guy」に掛けてるのでしょうきっと)。僕はこれを決まりきったバイオリン奏法(注・ギターのボリュームをゼロにしておき、ピッキングしてからボリュームを上げてバイオリンのような音を出す演奏法をペダルで自動ですること)のためだけでなく、場合によっては60ヘルツのハムノイズを消すためにも使っている。レコーディングで自分が弾いていないときもね。いつもこれを持っているから僕はノイズを出したことがないんだ。高校生の頃からボリュームペダルを使っている。僕が長年にわたって持っている唯一のペダルだよ。

 

このペダルを使おうと思ったのは、ロバート・フリップスティーブ・ハウが使っていたからなんだ。重要な理由だよ。でもファズやディストーションのような派手なものについて言うなら、たくさん種類がありすぎる。でも常にひとつ持っているものがあって、ボスの小さなコンプレッサーCS-3をずっと使っているんだ。

 

単にあの音と働きに慣れているんだよ。僕はCS-3と安価なボスのデジタル・ディレイ・ペダルDD-7が好きなんだ(注・原文にDD-7と記載はありませんでしたが、2013年の「ギターマガジン」インタビューでネルスのボードにこのペダルがあったとの指摘がありましたので機種名を入れました。「大抵のギター小僧たちが最初に手を出すディレイペダル」だそうです)。ステージが真っ暗でもツマミを回せるからね。すごく長い間使っているからセットするのに明かりは必要ないのさ。

 

G : ウィルコに加入したのはどのような経緯だったんですか? バンドの音楽スタイルやバンドそのものとの間にどのような化学反応があったからこんなに長く続いているのでしょうか?

 

N : 2004年にジェフが当時僕のパートナーだったカーラに電話してきたんだ。僕がウィルコで演奏することに興味はないだろうか、と。その頃は僕の視野にウィルコというバンドは存在しなかった。僕はその頃、18年間続けてきた生活のための(注・お金を稼ぐための音楽以外の)仕事から解放されたいと思っていた。でも、何と言うか、できなかったんだ。僕はそれまでにたくさんの人たちと一緒に好きな音楽をやって、レコードも何枚か出していたんだけどね。

 

僕がジェフの誘いに「イエス」と言ったのは、ウィルコに関するある重要な事実があったからだ。それが理由だったし今でも変わらない。ウィルコの音楽が向かおうとしているところ、行くことができるところが果てしなく広大だ、ということだよ。演奏するための「目標」みたいなものはないけどね。アルバムを作るとき、自分たちが何をしようとしているのか、僕たちには正確にはわかっていないんだ。ジェフは最高のリーダーだよ。奥深い歌をたくさん書けるソングライターである上に、すばらしいバンドリーダーだと思う。

 

僕は、バンドにはリーダーがいることが大事だと思っている。民主主義的なバンドにもいくつか参加したことがあるけど、そういうバンドでは何かひとつ決めるのにも信じられないくらい骨が折れる退屈なプロセスが必要なんだ。現在僕たちは17年間同じ6人のメンバーでやってきて、その結果、僕は本当に、うん、本当に皆のことが大好きなんだよ!(笑) 彼らとツアーに出るのはとても気が楽なんだ。もしメンバー間にドラマチックな軋轢が常に起きているようなら、僕にはそういうバンドは無理だね。きっときわめて不幸な人間になっていただろうな。

 

G : 最新のソロアルバムはどのようにして生まれたのですか? サウンドと作曲に関して、どのように考えていましたか?

 

N : 僕がネルス・クライン・シンガーズと呼んでいるこのバンドは、20年前にトリオとしてスタートしたんだ。ほとんど、ギター、ベース、ドラム、みたいな感じで。でもいつもパワフルだというわけじゃないのにパワートリオと呼ばれるのが僕にはどんどん居心地悪くなっていって、もっと多くのミュージシャンに参加してほしいと思っていた。

 

それで、僕が書いたいくつかのものがどんな感じになるか、何が起こるか見てみたくて、ブルックリンで2,3日集まって一緒にやってみたんだ。「Share The Wealth」はそこから始まったんだよ。長いインプロヴィゼイションを入れた2枚組のアルバムになるなんて思わなかったよ。

 

でもインプロヴィゼイションをたくさんレコーディングする、というアイデアはあったんだ。だから、それを切り刻んで、貼り合わせて、何か調和の取れない、万華鏡みたいにくるくる変わる、興味がそそられるようなことをやることができた。

 

レコーディングしたいろんな断片を聞き始めて、僕はとても嬉しくなった。でも、この長いインプロヴィゼイションを聞いて、元々の曲よりもそっちにのめり込んでしまった。自分たちがやったことがすごく気に入ったんだ。だからあちこちを編集して、戦略的に無音のパートを入れただけなんだよ。でも基本的には僕たちが演奏したそのままだ。(ブルーノート・レコードの)ドン・ワズに聞かせたら、「よし、これで行こう」って。

 

このアルバムは僕が高校生の頃からずっと追求して掘り起こしてきた美学を反映している。つまり、ジャズ・ロック、フュージョン、チャンバー・ジャズ、そして見ての通り、インディー・ロックやブラジリアン・ポップからの影響という側面もある。

 

最後の曲、「Passed Down」はとてもシンプルだ。フォークソングみたいに聞こえるし、まさにそれを意図したんだ。(サックスの)スケリックがこの種の曲で見せる、堂々とした表情豊かで明瞭なメロディを吹く能力は、以前Phishのコンサートの後で彼とセッションしたときに感じ取ったそのものだった。

 

あの音をこの曲に入れることができたのは素晴らしいことだし、同時にとても大事なことだったと思う。あれこそが「Share The Wealth」ということなんだ。彼らミュージシャンたちと僕との間に起こったユニークですばらしい化学反応がはっきりと現れたことと、長年にわたるある種の興味が蓄積したものだ。いつかライブをやりたいね!(笑) このメンバーでライブをやったことはまだ一度もないんだ!

 

(終わり)

 

追加その1:「ギターマガジン」2013年6月号掲載のジェフとネルスのインタビュー記事の写真。

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追加その2:ネルスがペダルの紹介をしている動画。2018年なので比較的最近。

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