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見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

John Stirratt Interview / Bass Player / 2022,10,20

昨年10月「Bass Player」誌のサイトに掲載された、Wilcoのベーシスト、ジョン・スティラットのインタビューを訳しました。

雑誌の性格上、特に前半は音楽の技術的な話題が多いのですが、私は楽器ができないので適切な訳になっているか不安です。おかしいところがあったら訂正しますのでご指摘いただけたら幸いです。

ジョンの発言に出てきた曲やミュージシャンのビデオは、数が多かったため最後にまとめてYOU TUBEへのリンクを貼っています。

 

元の記事はこちらです。

www.guitarworld.com

 

ジョン・スティラット(ウィルコ):「ベースで曲の他の部分の音を変えることができるんだよ。メロディを支える本当にいいリズムトラックを僕は常に見つけようとしているんだ」

(ライアン・マドラ「ベース・プレイヤー」誌 2022年10月20日発行)

 

ウィルコが、メンバー全員がひとつの部屋でライブレコーディングを行い、まるでウェイロン・ジェニングスのような偉大なカントリーミュージックの宇宙を目指すに至った、熱いソングライティングとレコーディングセッションについての全てを、ジョン・スティラットが語る。

 

ジョン・スティラットは、君が未だかつて聞いたことがないような最高のベース・プレイヤーの一人だ。彼はこの30年近くに渡ってロックとオルタナカントリーとインディーミュージックの定義を方向付けてきたバンド、ウィルコの揺るぎない基盤を務めている。

 

1994年のウィルコ結成以来、彼はジェフ・トゥイーディの傍らに立ち続け、2つのグラミー賞と音楽業界からの賛辞を手にし、数々のフェスのヘッドライナーを務め、世界中をツアーしてきた。そして彼らは先日12枚目のスタジオ録音アルバム「Cruel Country」をリリースした。スティラットは、僕たちの多くがそうしたいと熱望するように、ベース・プレイヤーとしてのキャリアをロックンロール・バンドで築いてきた。

 

他のほとんどのバンド同様、彼らの最初の数年は地雷だらけだった。自分勝手なメンバー達、レーベルとの不和、ハードなツアースケジュール、何回ものメンバーチェンジ。そして2004年に彼らは現在のメンバーに落ち着いた。カオスなノイズと荒々しいギターサウンドから繊細なヴォーカルを乗せた無防備なアコースティックサウンドへと一瞬で移行できる、凄腕の6人から成るアンサンブルだ。

 

たゆまぬ努力で着実にレコードを出し続け、業界の慣習に捕らわれない強い意志を持って、彼らは常に聴衆の期待に先手を打って応えることでバンドを長く続けるという恩恵に恵まれてきた。ヒット曲もなければ売上チャートの上位に上がったアルバムもない。だがレコードを作りさえすればファンは聴き続ける。それを彼らは何回も繰り返し証明してきたのだ。

 

業界を騒然とさせ批評家たちから激賞されたアルバム「Yankee Hotel Foxtrot」が2021年に発売20周年を迎え、彼らはデラックス版をリリースし完全再現ライブを行った。だがそれは、その次に来る「Cruel Country」の発売に伴う画期的な事件、すなわちマサチューセッツ州で開催される彼ら自身のフェスティバルSolid Soundにおいて新作の2枚組アルバムをデビューさせたことの単なる「仮縫い」にすぎなかったのだ。

 

このアルバムの「創造」には、シカゴにあるThe Loftが大きな役割を果たした。クリエイティブな遊び場、音楽スタジオ、数多くの楽器や機材が置かれたワンダーランド―ウィルコの「部室」だ。バンドのメンバー全員がここに集まりライブ状態で録音したのは、この数年間なかったことだった。

 

そしてスティラットは、この昔ながらの録音方法でしっかりと力を発揮してくれる楽器を慎重に選ばなくてはならなかった。通常彼がメインで使う頼りにしているベースは、ヴィンテージのプレシジョン、65年のフェンダー・ジャズ、73年のレスポールシグネチャー等だが、このレコードにはいつもとは少しばかり違うものが必要だった。

 

「楽器編成の程度を考えて、全体を抑えたものにしたかったんだ。アコースティック・ギター、キーボードかピアノが2台、そしてドラムス。僕は「Being There」(1996年)のレコーディングのときからギルドのスターファイアを持ってるんだけど、こんなミッドテンポのアコースティックスタイルなベースが必要なときには必ずこれに帰ってくる。指で弾いたら信じられないくらいいい低音が出せるし、ピックで弾いたらとても素晴らしいウッドベースのようなサステイン(注・音が発生してから途切れるまでの余韻)が得られるんだよ。」

 

「エピフォンのエンバシーも使っていたよ。サンダーバードと同じピックアップが使われていて、でもカッタウェイがあって、とてもしっかりした低音が出せる。それから80年代のリッケンバッカーも買った。このアルバムのいくつかの曲にはぴったりだと思って。プレシジョンを使うと競合する周波数がとてもたくさんあるときはこれらのベースを使ったんだ。」

 

「今回のアルバムではバンドのメンバー6人全員が同時に演奏して録音したから、ジェフはたくさんのアコースティック・ギターを弾いた。だから僕は、できるだけ重低音が大きく響くベースを探したんだ。それに加えてB-15(注・Ampegのベースアンプ)を全曲通して使った。とても楽しかったよ。」

 

インスピレーションの源として、スティラットは伝統的なカントリーミュージックのレコーディング方法と「チクタクベース」のコンセプトを引き合いに出した。アコースティックベースの音を真似て音を倍にした演奏スタイルだ。

 

「僕の一番好きなベースのひとつは、ウェイロン・ジェニングスの「ホンキー・トンク・ヒーローズ」(1973年)でのビー・スピアーズの音だと思う。カチッという感じのpicky(注・原文は「clicky, picky base」。pickyという単語を検索しましたが「細かいことにうるさい、選り好みする」という意味しか出てこなくて正確な意味がわからず。clickyと韻を踏んでいるのだと思いますが)なベースで、チクタクベースに近づけようとしているみたいなんだ。」

 

「いくつかの曲を録音したときはピックやスポンジを使って弾いたんだよ。大きなアンサンブル(注・6人全員が一緒に演奏したということ?)なので幅の広いフルレンジな音が必要だったから、僕はギルドを手に取った。このベースの音の領域がそういう曲にはぴったりだと思ってね。それから、ジョージ・ジョーンズとタミー・ワイアットのレコードも聴いたし、イギリスのフォークシーンからダニー・トンプソンやデイヴ・ペックまで聴いていた。」

 

大好きなベーシストをあらためて思い起こして、スティラットはメロディの繊細さで知られるスタジオの巨人たちの名を挙げた。「ジョー・オズボーンが大好きなベーシストの一人なのは間違いないね。まさしく目標とすべきプレイヤーだ。サイモン&ガーファンクルの「ブックエンド」(1968年)や「明日に架ける橋」(1970年)での彼の演奏は聴いていて本当に楽しいよ。すべての対位旋律(注・同時に異なる旋律(メロディー)を2つ以上鳴らす対位法において主旋律に対応する旋律)が驚くほど素晴らしい。」

 

「それから、トミー・コグビル。まだとても若かった頃に「サン・オブ・ア・プリーチャーマン」を聴いたときのことをはっきりと覚えている。あのベースにはとても感動したね。70年代のリー・スクラーの仕事も高く評価しているよ。特にジーン・クラークのレコード「ノー・アザー」(1974年)でのスムーズで繊細な指使いの演奏を。そしてクリス・ヒルマン。そもそも僕がギルド・スターファイアのベースを買おうと思ったのは彼の演奏を聴いたからなんだ。正真正銘の初心者だった彼がいかにしてベースを手に取ってザ・バーズであんなことをやってのけたのか…。驚くべきことだよね。」

 

ポール・マッカートニーは常に金字塔であり続けるだろうね。彼はベースを使って、ひとつの曲の中にもうひとつ曲を書く。素晴らしいメロディと構成をもって。僕は今でもビートルズのベースから学ぼうとしているよ。いつでもできる限りビートルズに帰ろうとしているんだ。それは全てのベーシストにとって必要なことだと思う。」

 

スティラットは自身の有り余るほどの音楽的知識とスタジオでの豊富な経験に感謝しながら、最終的なゴールを心に決めてセッションに入っていく。

 

「グレンと一緒にいいリズムトラックを作ろうとしているんだ。彼には革新性と創造力があるし、それに加えてたくさんの引き出しを持っていて、曲が何を求めているかを感じ取ることができる。それは他の楽器が土台になって築かれるものだ。」

 

「このレコードでは僕は適切なヴァイブスをキープすることに集中した。他のメンバー達がしっかりと相互作用でき、彼らを確かな方向と感覚へと導けるように。」

 

「僕は、ベースで曲のほかの部分のトーンを変え、より華やかにしたりかすかにしたり決定できると確信している。メロディを支える本当にいいリズムトラックを常に見つけようとしているんだ。」

 

スティラットはコードインバージョン(注・コードの最低音をルート音以外のコードトーンにすること。詳しくはこちらのサイトを参照)にも長けていて、フォークミュージックのハーモニーがいかに自由自在に変化するかを十分に把握している。彼はこの密かな戦略を駆使してリスナーの耳を単なるルート音(注・コードの一番低い音の音階。詳しくはこちらのサイトを参照)以上の存在にそっと向け、親しみを持てる音を作り、音に音色を足しているのだ。

 

アルバム「A Ghost Is Born」(2004年)収録の「Handshake Drugs」に言及し、スティラットはプロデューサーのジム・オルークと仕事をしたことで「全く違うところから出てきたのに記憶に残るもの」をどうやって発見するか、という着想を得ることができた、と語る。「第5音や第3音から始めて、ルート音があるところまで下りていく方法がたくさんあるんだよ」。このアプローチ方法は「Cruel Country」収録の「Many Worlds」や「Country Song Upside Down」のトラックを作るときに大いに役立った。

 

ヴォーカリストとして、且つ楽器のプレイヤーとして、ジェフ・トゥイーディの隣でパートを作りハーモニーをつけることは、時間が経つにつれて彼には容易にできるようになっていった。

 

「ジェフのヴォイシング(注・コードの構成音を配置すること)に応えるのは、もう今では第二の天性みたいなものなんだ。あまりにも慣れすぎて自然にできてしまうんだよ。まるで生まれつきそういうことができたみたいに。このレコードでジェフと一緒にアコースティックで演奏しているパートは全て、僕にとってはとても居心地のいい場所みたいなものだった。ほとんどのパートで彼がどこへ行こうとしているのか感じ取ることができたんだよ。彼がアルペジオでギターを弾いているのに合わせて、僕がそれに相互作用し合うようにベースを弾いている興味深いパートがたくさんある。」

 

「「Being There」以来、僕たちのDNAにはたくさんのミッドテンポの曲があって、それは長い時間をかけて確立されてきた。ジェフと一緒に歌っているときでさえ、僕は自分の声をそこで要求されていることに合わせて正確に変えることができる。今ではもう、僕たちはまるで本当の兄弟のようにそういうことが自然にできるんだ。」

 

どんなことが起こるか予測できているとしても、そこにはまだ人知を越えた何かがあり、それがスティラットを再びスタジオへと向かわせる。

 

「率直に言って、他の何にも勝るレコーディングの魔法だと思うよ。最後の音が鳴り終わったときに、あるいはその音を再生して聴いたときに安らぎが訪れ、「これはとても素晴らしいものになる」と確信する。まるでドラッグだよ。僕にとってはね。空気の中に魔法を見つけ、その後を追って行こうとする。その瞬間があるからこそ、全てに価値があると僕には思える。特にメンバー全員が同じ部屋で同時に演奏してレコーディングするときはその魔法はいつだって瞬く間に降りてくるんだ。」

 

「ウィルコとのレコーディングでは、そういうことの全てがライブで起きる。そしてほとんどの場合、最初のテイクが最良のテイクになる。僕たちはこのことについて、ナッシュビルのセッションと同じだねと話した。このアルバムが全体的にカントリーミュージックへの方向へと舵を切り始めたときすぐに、僕たちは大好きなカントリーのレコードの多くがこういうふうに、とてもスピーディに作られたんだと悟ったよ。僕は、バック・オーウェンや70年代のウェイロン・ジェニングスのレコードもこんな感じで出来上がったんだろうな、と思ったね。」

 

「それに、ジェフのライブレコーディングでのヴォーカルがとても素晴らしいものだったんだ。そのヴォーカルがスピーディなレコーディングにとても役に立った。今考えてみると、早く録れば録るほど作品がいいものになったと思えるんだ。」

 

彼らは本当に長い間一緒にプレイしている。ウィルコというバンドで生涯にわたるキャリアを築いてきたことは決して平坦な道のりではなかった。他のバンド同様、彼らの成功はまっすぐな一本道ではなかった。現在の最高のメンバーが揃うまでにほとんど10年かかったのだ。

 

「90年代は、バンドをやっている若者たちには何でもありだったよね。ドラッグも、違法すれすれの巧妙な遊びも。でも2005年頃に僕たちはそんなところから抜け出したんだ。結成して2,3年の若いバンドに皆が持つイメージ、つまりバンド内での権力争いやマキャベリズム(注・マキャベリが「君主論」で述べた、政治目的のためにはいかなる反道徳的な手段も許されるという思想。権謀術策主義)みたいなものは僕たちにはなかった。これは本当に信じられないことだよ。」

 

「僕たちは今、この「第3幕」(注・第1幕が「A.M.」から「YHF」レコーディング後のジェイ・ベネット脱退まで、第2幕が「YHF」発売から「A Ghost Is Born」の4人編成の時期、第3幕が2004年以降の現メンバー時代、という区分か?)を18年間続けている。僕はこのメンバー達と一緒に成長してきたんだと思う。彼らと共に友情を育み、楽器を演奏して作品を作るのは、本当に素晴らしいことだよ。僕たちはそれをとてもうまくやっていると思う。もっと上の世代の、もっと伝統的なロックンロールの精神でやっているんだよ。」

 

バンドがツアーに出ていないときには、メンバー達は各々の音楽的な可能性を追求し続けている。それは成長と創造を続けるために極めて大切なことだ。そして再び結集したときに、彼らはその経験をスタジオとステージに持ち込むのだ。

 

「パット・サンソンはナッシュビル・セッションに参加し、ネルス・クラインはジャズの世界にいる。彼らはその世界の明晰さと鮮明さをバンドに持ち帰ってくる。すべてが学びであり、経験なんだ。それは僕が常に最も愛していることだよ。違うリズムセクションと演奏することによって感覚が研ぎ澄まされ、新しいアイデアが湧いてくる。往々にして、僕が一番息苦しくなるのは、他の人たちと意見を交わしたり音楽についての会話ができないときなんだ。」

 

彼らは現在またツアーに出ている。フェスとツアーのシーズンに向けて大量の曲を習得しなければならないタスクにはひるんでしまうこともあるだろう。ウィルコの曲に加え、スティラットはオータム・ディフェンスの曲とも改めて向き合っている。マルチ・インストルメンタリストのパット・サンソンとのサイド・プロジェクトだ。

 

「曲のリストは膨大な量だよ。でも僕はどんな種類の演奏をするにせよ、身体が記憶していることや古いレパートリーとの関連が助けになると発見した。曲を覚えている最中は、ただひたすら大量に演奏しているんだ。今は21曲を練習している。新しいレコードの全曲をね。覚える曲がたくさんありすぎて、ツアーの準備をしているときはいつも怖気づいちゃうんだ。それに練習しないといけないカバー曲も結構あるしね。」

 

「僕は早朝に仕事をするのが好きなんだ。朝起きて、曲を2回弾く。朝が一番記憶が定着しやすいから。僕たちはヴォーカルのパートも作らなくてはならないから、車で走り回りながらヴォーカルも覚える。以前の僕たちにはできなかった。今はそれができるようになったのは、とても贅沢なことだと思うよ。」

 

ツアーに向かうために必要な時間や準備の大変さにかかわらず、スティラットは今も「やるべきことリスト」を作っているし、バンドのメンバーやスタッフ、会場に姿を見せてくれるファンに幾度となく心から感謝している。

 

アイスランドではまだライブをやったことがないし(注・このインタビューの後、2023年4月に初のアイスランド公演が行われた)、アフリカにもいつかは行ってみたいな。僕はほとんどの所にはツアーで行くのがとても楽しいし、今でもすごく魅力的だよ。たとえアメリカの中西部(注・ウィルコの地元シカゴがある地域)や100万回も行ったような所でもね。ファンやスタッフのサポートも素晴らしい。昔からこの文化はツアー自体の中にあったんだよ。」

 

「社会的な密接な関係がそこにはあり、ファンもそこに加わるんだ。それはとても美しいことだ。スタッフについても同じだよ。つまり僕が言いたいのは、それはバンドの在り方がファンやスタッフに反映しているってことなんだ。いや、それ以上のことなんだよね。」

 

「そういうことが今でも起こっているのが僕には信じられないし、僕たちはどれだけ幸運かってことは言っておかなくてはいけないね。」と彼は言う。「これ以上のことは何も望めないよ。」

 

(終)

 

 

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