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Berklee Online Glenn Kotche Interview (2016)

バークリー・オンライン(バークリー音楽院ポッドキャスト)で放送されたグレン・コッチェのインタビューの翻訳です。媒体の性質上、グレンが受けた大学での音楽教育と、それを現在の仕事にどのように活かしているかがメインの話題になっています。少し長いですが、キリがいい形で二分割できなかったので一気にUPしました。

 

元記事に日付が入っていませんが、文中に「もうすぐ『Schmilco』が発売予定」とあるので2016年の夏ではないかと思います。音声と文字起こししたものが同時に見れるのは嬉しい。リスニング教材にも使えそうです。

 

online.berklee.edu

 

 バークリー・オンラインのポッドキャスト、最初のゲストはグレン・コッチェ。ウィルコのドラマーとしておなじみの彼が、最初のドラムセットを破壊した3歳のときに始まり、エクスペリメンタルのソロ作品を発表しジェフ・トゥイーディと共に演奏するようになった現在まで、その全てを語ります。

 

(ホスト:パット・ヒーリー)バークリー・オンラインがお送りする新しいポッドキャスト「ミュージック・イズ・マイライフ」へ、ようこそ。ホストのパット・ヒーリーです。番組を聞いてくれてありがとう。この番組では、ミュージシャンがどのようにして自身が演奏する楽器を選んだか、から始めて、音楽が毎日の生活となった現在に至るまでの彼らの音楽的変遷をたどっていきます。今日のゲストはグレン・コッチェ。皆さんはきっと彼のことを本職であるウィルコのドラマーとしてご存じかと思いますが、彼は現代音楽の作曲家でもあります。ボストンでのソロコンサートの前に彼にインタビューしました。グレン・コッチェが皆さんを彼の音楽的キャリアへとご案内する前に、いくつか説明しておきましょう。2001年に彼はケン・クーマーに代わってウィルコのドラマーになりました。それ以前はウィルコのリーダーであるジェフ・トゥイーディ、プロデューサーのジム・オルークと共にルース・ファーというプロジェクトに参加していました。ルシファーじゃなくてルース・ファーですよ!…すみません、オヤジギャグが好きなもので、

 

さて、コッチェが誰と演奏していたかを聞いて、思わず「ウィルコ・シュミルコ」とつぶやいた方、あなたは、「A:とても無作法かつ冷淡で、時代遅れな表現を好む人である」もしくは「B:ウィルコが9月9日に『ウィルコ シュミルコ』というニューアルバムを出すことにちゃんと気がついている」のどちらかですね。これは彼らの10枚目のスタジオ録音アルバムで、コッチェが加入してからは7枚目のアルバムになります。しかしこの「ウィルコ・シュミルコ」ビジネスに巻き込まれる前、彼はケンタッキー大学で音楽を専攻し、その前はイリノイ州ロゼールの高校でマーチングバンドのドラムライン(注・パーカッションによるアンサンブルセクション)に所属していました。でもそれよりもっと前、グレン・コッチェの音楽生活はこのように始まったのです。

 

コッチェ:初めてのドラムをめちゃめちゃに壊した3歳の時からずっと、「僕はドラマーだ」と確信している。その後10歳でドラムのレッスンを始めた。でも実際のところ、家で練習して通りを行ったり来たり行進する高校のマーチングバンドをやりながら、僕が最初に大きな影響を受けたのはジーン・クルーパだった。うちの家族はよくウィスコンシンで休暇を過ごしていて、シカゴから車でドライブして行ったんだけど、途中のドライブインで古いジーン・クルーパのカセットを売っていたんだ。そう、彼は「ドラムソロの父」なんだよ。ベニー・グッドマン楽団の「シング・シング・シング」のドラムソロが有名で、僕はよく聞いていた。そこから始まって、僕には5歳上の兄がいたから、ビートルズもよく聞いていたし、エルトン・ジョンも聞いていた。当時ラジオでかかっていた音楽は何でも聞いたよ。グレン・キャンベルとかね。そうやってたくさんのいろんなドラマーの演奏を聞いて、その後すぐにジョン・ボーナムブラック・サバス、もっとたくさんのメタル系のドラマーに夢中になった。高校生の頃は80年代だったから、ラッシュのニール・パートやスチュアート・コープランド、それからリヴィング・カラーや、もちろん大学ではジャズドラマー全般も。大学卒業後は世界中のもっと知られていないドラマーも聞いてきた。

 

ヒーリー:コッチェは学校で音楽を学んだことで「耳を開いた」と語っています。そしていくつかの扉も開くことになったのです。大学で打楽器演奏の学位を取得したことは、現在彼がいる場所にたどり着くためには不可欠でした。たとえウィルコが、彼以外に楽譜の読めるメンバーが一人もいない、そんなバンドだったとしても。

 

コッチェ:僕が受けた音楽教育、幼い頃からの学校の授業の成果を思い出してみると、マーチングバンドや中学でのオーケストラもだけど、それだけじゃなくて、10歳の頃に初めてのロックバンドを組んだんだ。だから僕はずっと何らかの形でロックバンドをやってきたわけだけど、クラシックのパーカッションの学位も持ってるし、バンドと並行してもっとアカデミックな環境でもずっと演奏していたんだ。これは、特に今やっていることにすごく役に立っているし、ある種の影響を与えている。今まで学んできたパーカッションの全ての分野が、ドラムセットに対する僕のアプローチを決定づけているんだ。なぜなら、パーカッションというものは、他の伝統的な楽器とは違って、「ひとつの」楽器ではないんだ。「パーカッション」は、あるカテゴリーのたくさんの楽器の総称で、進む方向はとても多様だし、一つ一つの楽器の演奏についても本当に様々なスタイルがある。いろんな種類のことを大量に学ばなければならないんだよ! 僕は大学で4本のマレットを使うクラシックのマリンバを学んでいた。オペラの伴奏をするオーケストラのティンパニも学んだ。アフリカの太鼓やスティールドラム、バンドドラミング、つまりビッグバンドジャズのドラムもやった。ラグタイムのドラムもね。ありとあらゆるものを。20世紀の音楽の、多種多様な、世界中のパーカッションを! これらすべてを学んだことが、現在のドラムセットに対するアプローチを決定した。大学を卒業したとき、こんな風に思ったんだ。「うーん、そうだな…、僕はジャズの、ビッグバンドのドラマーとしてはベストではないな。でもロックをやるのは大好きだ。だけど他にも…。でもオーケストラではもうやりたくないかな」って。だから僕は、学んだ分野を全部取り入れて、そのすべてのテクニックと楽器とコンセプトを使い始めた。リズムやグルーヴに関することだけじゃなく、ドラムセットの演奏に関しても。それは音色や音の感触に関することでもあった。そして僕は、マレットで音階のあるパーカッションを演奏することができる、デジタル・パーカッションも演奏できる、ちょっとした小細工的な装飾音を入れてアクセントをつけたりもできるし、シンプルなビートをキープして叩き続けることもできる。そういうわけで、その頃僕はそれまでのレッスンやアイデアやコンセプトをすべてドラムセットに適用して、ロック以外の分野で学んだパーカッションをドラムに取り入れてみた。そうすることで自分の個性や自分なりの表現方法を持ち始めていたんだ。ジム・オルークやジェフが僕に興味をもったのはその頃で、ジェフが僕をウィルコに誘ったのはそういうところが大きな理由だったんだと思う。ちょうど彼らは「ヤンキー・ホテル・フォックストロット」のレコーディングに入っていて、今までとは違う方向へ進む岐路に立っていたからね。それに僕は、当時ギターのエフェクターやコンタクトマイク(注・楽器に直接取り付けて使う小型マイク)を使ってリズムの全くないフリー・インプロヴィゼイションをやっていたから、少なくともあのアルバムにはそういう音が必要だったんだと思う。だから、そういうことが僕にとってはすごく役に立ったから、学生たちに教えるときは、今までもたくさんの学生にそう言ってきたんだけど、楽譜を読むスキルを身につけるよう勧めている。僕にとっては本当に素晴らしく大きな「道具」だからね。

 

僕は何か演奏を聞いたらそれを記憶にとどめておくことができるし、もしそうしろと言われたら10分後にその通りに演奏することもできる。それができない人がいるということは知っている。彼らは音を聞いたらそれをその場ですぐに演奏するしかない。僕は自分のその能力をとても素晴らしい「道具」だと思うし、同時に、今やっている多くのこと、室内楽やオーケストラやパーカッションアンサンブルのための作曲みたいなことにおいては明らかに重要な「鍵」なんだ。他の多くの人にとってはそんなに重大なことではないだろうね。僕はたくさんの素晴らしいミュージシャンを知っている。彼らは本当に、信じられないくらいクリエイティブだ。楽譜は全く読めないし演奏法を正式に学んだこともなく独学で覚えたのに、熟練の境地に達している。往々にして彼らはある種の音楽的な個性の持ち主で、それは本当にオリジナルなものなんだ。真実すごいと思うよ。それは彼らの「声」なんだ。でもさっき言ったように、僕はものすごく勉強して、彼らとは違うやり方でその地点にたどり着いた。だから、何かを学び、習い、教師に教わっても、学んだことと全く同じことをやる必要はない。それは自分が何者なのかを発見するための「道具」にすぎない。どちらのやり方でもかまわないんだ。

僕が人に、特に若い人たちに(楽譜を読むスキルを持つことを)勧めるのは、現在自分が学んだことを実際に仕事に役立てているからだよ。現実問題として、多くの若いパーカッショニスト、若いミュージシャンにとって、楽譜を読む能力があればより多くの仕事を受けることができて、希望する仕事を取ることができて、大きな成功を収められる。だから僕にとっては重要なことだった。でも、そうだな、僕は教育を受けられるチャンスがあったのを貴重なことだったと思っている。誰にでもその道があるわけじゃない。それは理解している。

 

ヒーリー:「一緒に仕事をする相手に求めるのは、必ずしも音楽的な技術というわけではない」とコッチェは語っています。

 

コッチェ:一緒に仕事をする相手に関して言えば、僕が一番に求めるのは創造性だ。好奇心や創造への渇望を持ち合わせていることだ。楽器が上手でなくても大した問題じゃないけど、もし彼らが面白いアイデアを出してくれるなら、そういう人が、一緒に演奏したい、この人に曲を書きたいと思える相手だ。それが一番重要だと思ってる。半端なく凄い演奏をするミュージシャンはたくさん見てきたし、それは素晴らしいと思う。大好きだし、まじまじと凝視してしまう。ときには自分でもそういう演奏に熱中する。でも、今まで誰もやらなかったことをやる、それこそが僕が一番エキサイトすることなんだ。文学でも、アートでも、視覚芸術でも、演劇でも、ダンスでもね。それから料理も。「彼ら、シェフたちは、食べ物のことをどういう風に考えているんだろう? 人類は300年以上この料理はこう、ってやってきたのに、どうやって突然こんな新しいやり方を考えだしちゃうわけ?」って。音楽も同じだよ。そういうときは、何というか、僕は俄然オタクモードに入っちゃうんだ。つまり僕は「音楽オタク」って言うより「クリエイティブオタク」みたいな、そういう人をこそプロとして求めてるんだ。

 

ヒーリー:コッチェが大学を卒業してプロになり、初めて出会ったドラマーの一人がヴェルヴェット・アンダーグラウンドのモーリーン・タッカーでした。技巧よりも、何と言うか、シンプルさで有名なミュージシャンで彼女以上の人を見つけるのは難しいでしょう。そう、燦然ときらめくシンプルさ、本当に。

 

コッチェ:大学を出てすぐにモーリーン・タッカーがプロデュースするレコードで演奏できたことは、本当にとてもラッキーだった。彼女とツインドラムでプレイして、大局的な視点から大学で学んだことの全てを眺めることができたパーフェクトな経験だった。彼女は音楽の専門教育を全く受けていない人で、それでもやはり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの全てのレコードである種の「完璧ではない」演奏をしていたから。彼女は、ときにはドラムを叩き、ときには2拍目と4拍目でタンバリンを叩くだけ。その演奏が全てをコントロールする。素晴らしいレッスンだったよ。最初に大局的な視点で音楽全体を見渡すんだ。単に「何を付け加えていくか」ではなくて。

僕が何に影響を受けるかは常に移り変わっている。そのことについて語ろうと思ったら優に15分間は立て続けに名前を挙げてしゃべり続けちゃうよ! ドラマー以外、音楽以外の影響についてもね。いろんなアイデア、マネしたいと思うような影響を受けた視覚芸術もたくさんある。彼らはどうやってこれをやってるんだろう? 僕がやっていることに応用するためにはどうすればいいだろう? 凄いと感じるものに出会ったら、彼らはどんなふうに発想を飛躍させたのか、どうにかして僕がやっていることに応用できないだろうか、ってあれこれと考えて自分に問いかけるんだ。

 

ヒーリー:実際にコッチェのドラム演奏にはかなり「発想の飛躍」があります。彼のドラムセットを見たら、ラジエーターやホイールキャップ、水道の蛇口などと格闘する羽目になるかもしれません。私はある細長いものを発見し、それが何だかわかったので彼に尋ねざるを得ませんでした。

 

コッチェ:あれは果物かごだよ。

 

ヒーリー:…OK。

 

コッチェ:結婚祝いにもらったんだ。

 

ヒーリー:本当に?

 

コッチェ:うん。ゴムバンドでコンタクトマイクの上に吊るしてなければつまらない音しかしないけどね。パーカッションのクールなところは、他の楽器、木管金管、弦楽器や声と違って、どんなものでも「パーカッション」に含まれてしまうってことだよ。そうだろ? つまり、それらの「定義された」楽器以外のすべてのものが「パーカッション」なんだ。少なくとも僕はそう定義している。オーケストラでは昔からこんな感じだよ。「OK、この作曲家はこの音を大砲の音として描いてるんだな。この音は教会の鐘、こっちはピストル、いや風車かな? 誰にこれを演奏させようか…。パーカッションのパートに放り込んどけ」みたいな。

 

そして、ジョン・ケージみたいな人たちも、ハーモニーとメロディをベースとしない音楽的アイデアを探求するのと同じくらい、パーカッションを完全に自由なものにしたんだ。彼はブレーキドラム (注・自動車のブレーキに使われている部品を楽器に転用したもの。YouTubeの演奏動画にリンクしています)やブリキ缶を音楽に取り入れた。ほとんど80年前だよ。すごく革新的なことだったんだ。それ以降は、ドラマーは皆こんなふうに感じたと思う。「うん、この辺のものって、どこの音楽学校や大学のパーカッションスタジオにもあるよね」って。そして、どんなものでもパーカッションとして使えるんだ、って。こういうものに関しては、僕はすごく、バカみたいに熱中しちゃうんだ。僕の妻はすごく寛大だと思うんだけど、僕は今でも、いつも何かをじっと見つめては、それが何かを知ることができるんだ。つまり、僕は、どんな材質のものがどんな音を出すのか、十分すぎるくらい知ってるんだけど、それは今までの人生ずっと、何かを叩いて、どんな音がするのか、それが何で出来てるのかを確かめ続けてきたからだよ。そうやってたくさんのものを探求してきたんだ。

 

ウィルコの「アイム・トライング・トゥ・ブレイク・ユア・ハート」という曲があるんだけど、僕がこの曲で使ったものを挙げてみようか。まず古い金属製のホイールキャップに直接コンタクトマイクを付けて、変わった音を出すために少しオーバードライブさせたアンプに通した。それから、ゴムのマレットとマリンバ用のマレットを同時に使って陶器のタイルを叩いた。ピアノの中にジューサーミキサーを入れたり、ときには釣り糸に小さな座金を結び付けたり…。マレットですごく早く叩き続けるみたいな音がしたよ。面白いコラージュだった。この曲はジム・オルークがミックスしたんだ。彼はすべての要素を引き出してこの曲を作った。だってこの曲は3コードなんだよ! そして長さは7分かそこらあるんだ。曲の最後まで、彼は曲の全ての場面を変えて物語性を持たせた。あの曲にはすごくクールな音がたっぷり詰まってるんだけど、今夜僕のソロコンサートで使うドラムセットにも同じくらい素敵な音が詰まってる。結婚祝いにもらった果物かごも持ってきたけど、あれはそんなにいい音がするわけじゃない。でもコンタクトマイクをたくさん使うから、こんな小さな音も他の大きい音と同じくらいちゃんと聞こえるし、ときには、もしマイクを使わず耳で聞こえる音を聞いているだけなら聞き逃してしまうような、音の個性的な側面も引き出せる。つまり、この果物かごは、音は悪いけど、ゴムバンドで吊り下げて鳴らしたらちゃんと響かせることができるし、コンタクトマイクで拾えば和音の基音になる音が聞き取れる。信じられないよね。

 

僕のプリペアド・スネアも同じで、これはジョン・ケージの「プリペアド・ピアノ」の再現なんだ。ヘッドにバネを何本か取り付けたんだけど、大きいバネは爪で引っ搔いて小さいバネは手でスワイプさせるように叩くんだ。それから釣り糸を小さいスティックの周りに巻き付けて、バイオリンの弓に塗る松脂をつけてキーキー言う音を出してる。それから、クイーカ。スティックが皮を通っていてライオンが吠える声がする。この細いワイヤーに蜜蝋を塗ると摩擦が起きてドラムの共鳴も得ることができる。パーカッションって叩くだけじゃないんだよ。この小さい音は大きい音と十分対抗できるんだ。つまり、ギタリストはエフェクターのペダルでいつもやっているけれど、ドラマーだって同じことができるんだよ。そしてコンタクトマイクを使うことでもっと音の世界を爆発的に広げることができる。今夜は普通のクラシックなパーカッションと一緒に警報用のサイレンも使うし、小さいブッダボール(注・ブッダボールで検索するとこれが出てくるんですが違うような。ときどきグレンはドラムセットに小さい木魚みたいなものを取り付けているのでそれかもしれません)やバードコールも使う。アンティークシンバル、グロッケンシュピール、ドラムシンバル、それからスイスカウベルクリケットボックス(注・検索したら「クリケット(球技)のときに使うプロテクター」と「虫かご」が出てきたが、どちらかは不明)も。今夜ステージに持っていくもの、他にあったかな? そうそう、ボトルキャップで作った小さなシェイカーと、いろんな面白いものをたくさん!

 

現代のパーカッショニストは皆、特にクラシックの教育を受けた人は、演奏しなくてはならないすべての「物語」のために、いろんな「違う」音を探求することが求められていると思う。そしてスタジオでレコーディングするドラマーも。たとえば僕はすごくたくさんの種類のスティックやマレットを持ってるんだけど、自分でコインをテープで貼り付けたものとか、テープを巻いたもの、タオルをかぶせたもの…音を変えるためにね。マイクを近づけて録音すると、スティックやブラシやロッドでただ叩いただけでは得られない、ぐっとくるような音が録れるから。

 

ヒーリー:コッチェが加入した頃、ウィルコは4枚目のアルバムを制作中で、率直に言えば「生みの苦しみ」の渦中にありました。そしてこのアルバムはそれまで彼らがやってきたすべてのことからの「出発」となりました。彼らはオルタナカントリーのバンドとしてスタートし、サードアルバムの「サマーティース」でシンセサイザーロックの領域に入りました。私は彼に、全く違うスタイルの前任者がいたバンドに加入し、新しいドラマーという役割を演じるのは難しくはなかったですか、と尋ねました。

 

コッチェ:うん、そうだね。僕が本当にリスペクトして彼の演奏をすごく楽しんでいたドラマーとの何枚かのアルバムという歴史があったバンドに参加するのは興味深いことだった。少なくとも僕はウィルコに対してはこんな感じの態度を取っていた。「もし壊れていないのなら直してはいけない」。それまでの彼らの曲を知っていたし、大好きな部分、愛着のあるところもたくさんあった。だから基本的にはそういう部分はそのまま残すようにした。でも思うんだけど、誰かほかの人が作った音楽を演奏するときは、自然に自分のバックグラウンドや経験を通過させて解釈しているんだよね。だから、ケン・クーマーがやったとおりに僕が演奏しても、そのパートは僕の音になるし、ジェイ・ベネットがやったパートに関しても同じような例がいくつかあると思う。そしてどんな曲でも、僕がレコーディングしたものであっても、時間の経過とともにその姿を変えていくのはよくあることなんだ。僕たちは今まで何百回も同じ曲を演奏していて、その曲を十分に知っている。でもそれはレコーディングされたときと同じ姿ではないんだ。フィルインが違う。やっていることも違う。テンポにも違うエネルギーがある。時間がたつと姿を変えるものはたくさんある。そういうものを見つけたら、閉じ込めて何回も繰り返しやり続ける。僕自身がレコーディングした曲でさえも自然に変化していく。もちろん、僕がレコーディングしたものでなくても、それは起こる。曲の核となるものは変わらずそこにずっとあるけれど、僕の個性、いやそれ以上に時間というフィルターを通って変わっていくんだ。

 

ヒーリー:こんなに実験的で新しいパーカッションサウンドを自分の音楽に取り入れることに興味津々なドラマーが、どうやってロックバンドに適応しているのでしょう? どうやってストレートなエイトビートだけを叩くことに満足していられるのでしょうか?

 

コッチェ:人生にはバランスが大事だよ。仕事、家庭、ロックバンドのメンバーであること、実験的で突拍子もない音楽を演奏する孤独な作曲家であること、シンプルにビートを叩き続けること…。僕はこの全てを人生に必要としているのかもしれない。幸せになるために。それに僕は、いろんな音を探求することや、そこにぴたっとフィットする新しいピースを見つけ出すことと同じくらい、シンプルなビートを叩き続けることを楽しんでいる。だって、歴史上最も成功したドラマーたちは、演奏にあれこれたくさんのものをつけ足したり、たくさんの音を投げ掛けたり、自分ができることを常に全部見せよう、ドラムの演奏能力を見せつけよう、などとはしない。その代わりに、彼らは単に、そうだな、「曲に奉仕する」ってよく言うだろう? うん、「曲に奉仕する」ことは複雑なことなんだよ。突然話を変えようとしてるんじゃないよ。多くの場合、プレイヤーは曲を「気持ちを高めるところ」に持っていこうとする。または、違うところを目指して演奏することもある。

 

でも、ただシンプルに演奏する限りにおいては、僕はそのことだけに熱中する。その曲自体の感覚や、演奏するときにどんなに気持ちが上がる感覚があるかってことだけじゃなく、ウィルコのとてもベーシックなエイトビートの曲を、何百回となく繰り返し演奏すること自体をね。僕はただ、細部に集中しているんだ。ゾーンに入っているみたいに。こんな感じだよ。「OK、こんなふうにハイハットを上下させる代わりに、フランス風じゃなくドイツ風にやってみるのはどうかな? それともスウィングしてみたらどうだろう?」そして僕がスウィングしたら、曲は少しだけ違うように聞こえる。ここの、ハイハットのペダルの支点に圧をかけたら、逆に緩めてみたら、手の甲をひねって返してみたら、腕にもっと力を入れてみたら、曲は違うように聞こえるんだ。でも僕はどれだけたくさんのチップを、どれだけたくさんのネックを、ハイハットを叩くのに使ったかな…?

 

この音を作るために、この感覚を作り出すためには、本当にたくさんの、何千もの要素が絡み合っている。ひとつのリムショットだけでやる方法、その上で何が曲に起こるか、さらにバスドラムを加える、キックペダルのベアリングを変えてみる、演奏してみる、かかとを上げて、かかとを下げて、次はスネアドラム、どんなテクニックを使おう? 僕は今、どこを叩いてる? 僕は今、スティックを根元から持ち上げている? それとも先端から持ち上げている? 集中してやれることがこんなにたくさんあって、こんな感じで曲を探検しているんだ。「曲に奉仕」して歌詞のじゃまをしないようにする、または歌詞の世界を描写する手助けをしようとする、それから単に曲の中に錨を打ち込もうととする、その全てを必要とされるのがドラマーという存在なんだ。他の人とは違うタイプのやり方だと思うけど、僕にはこのやり方がすごく楽なんだ。歌を台無しにしないように、歌を正しい姿にするために何を入れていくかだけを見ていく、という。

 

ヒーリー:ウィルコの曲に奉仕するのに忙しくないときは、コッチェはソロプロジェクトを手掛けています。彼はこれまでに自分の名義でアルバムを4枚発表しています。自分では積極的に音楽のマーケティングに携わっていないけれど、音楽自身にマーケティングをさせている、と彼は言っています。

 

コッチェ:どんな種類のであれ、マーケティングについて僕が言わなければならないことは、僕はマーケティングのことなんて何一つわからない、ってことだよ。いつも僕にとって役に立ったのは、自分が面白いと思ったことをやることで、正直に言ってソロで出したアルバムでお金が稼げるわけじゃない。印税という形で直接はね。でも名刺代わりになってくれるんだ。2006年にノンサッチ・レーベルから「モバイル」を出したら、その後クロノス・カルテットシルクロード・アンサンブル、エイトス・ブラックバード、ソー・パーカッションから作曲の依頼があった。そういうわけで、僕はこの仕事を全部受けて、レコーディングという形でたくさんの仕事の記録になったってわけ。これが僕のマーケティングみたいなものだよ。そう、音楽が僕の名刺なんだ。音楽を作って、人に聞いてもらって、聞いた人が気に入ってくれたら、また別の作品に結びついたり新しいコラボレーションができたりするんだ。

 

ヒーリー:最後にコッチェからのアドバイスです。「練習を続けること。今やっていることをやり続けること。楽しいと思うことをやり続けること。自分自身であること。学び続けること。なぜなら、いつチャンスが巡って来るか誰にもわからないのだから」

 

コッチェ:たいてい、チャンスは誰にでも巡ってくる。その時に備えて準備しておかなければならない。それは明日かもしれない。20年後かもしれない。でも少なくとも僕にはチャンスはやってきた。しかるべき時にしかるべき人と出会い、それが僕をここまで連れてきた。チャンスは何回かあって、そこからすべてが始まったんだ。

 

ヒーリー:いつの日か皆さんにもそんなチャンスが巡ってきますように。ありがとうございました。