心はマリー・アントワネット

見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

SPIN Wilco interview 2019/9/25 その3

SPIN:あなた達が多くのテリトリーをカバーしているのは事実ですが、あなたのソングライターとしての感性やバンドのメンバー全員がプレイするやり方には何かはっきりした、確固としたものがあります。私は、Wilcoアイデンティティが以前よりも感じられにくくなっているリスクというようなものをアルバムから感じたことがありません。「いや、これはWilcoじゃない」と感じるようなことに挑戦してみて、その後に見送るようなことはありますか?

 

トゥイーディ:気持ちよく演奏できないようなものをアルバムに入れることはある。そして演奏する方法を探して悪戦苦闘する。だってそれを征服したいからね。オーディエンスの要望やアンサンブルに合わないとかの理由で見捨てることもあるけれど。

 

クライン:または、セットリストに合わない、という理由だったりね。ひとつ予測できることは、今まで、少なくともこの15年、私たちがライブをやると大筋ではロックになるんだ。結局はね。ほんの束の間、ただトラブルを忘れて自由の身になり、ここではないどこかへ行く。その結果として、オーディエンスから見たらとてもまわりくどいルートを通らないとセットリストに入れるのが難しい、ちょっと変わった奇抜な要素がたくさんあると思うんだ。ジェフは毎晩ホットなセットリストを作るために奴隷のように働いている。それはチャレンジと楽しさを同時に追求し、最終的にカタルシスへと至る道を作るための努力なんだ。

 

トゥイーディ:それは俺が心の中で常に感じている苦闘だよ。俺は、デリケートでニュアンスに富んで繊細な曲を書きたいと強く思っている―このすべてがいいライブに必要なわけではないけどね。

 

クライン:そういうのが私が好きな歌だよ。

 

トゥイーディ:俺もそうだよ。そして、それが俺が気を使うことのすべてで、俺たちがやることのすべてだったとしたら、俺たちは今とは全然違うスタイルのライブをやっていただろうな。でも俺はたくさんの人たちがひとつの場所に集まっているのを見ると大いに責任を感じるんだよ。「Oh,No! 皆が俺を見てる! さあ、俺たちが当然期待されていることは…」みたいに。でも俺たちには実際それができるのさ。俺たちはなかなかたいした音楽をやることができて、大騒ぎして盛り上がることができて、その結果皆が笑顔になる。俺は皆に背中を向けたくない。絶対に。他のアーティストたちが冷淡で出し惜しみしてるって言ってるわけじゃないよ。そういうことができない人もいるし、それでいいんだ。そういうことを拒絶する人もいる。それは単に俺にはない自制心があるからだよ。

 

SPIN:新譜の曲のほとんどはかなり繊細ですぐに理解することが難しく静かですね。明らかなカタルシスは極めて少ない。ライブで、オーディエンスの前でこれらの曲を演奏したらどんな反応が起きると思いますか?

 

トゥイーディ:俺たち自身が曲の背後に隠れるような形になると思うんだ。俺たちは、自分たちのことについても、どうやって演奏を形作るか、どうやってパフォーマンスでアーチを描くかについても多少は学習してきた。俺の予想では、新譜の曲を演奏するには努力が必要だろうな。新しい曲をまとめてやるにせよ、この演奏のスタイルに合うような他のアルバムの曲と同じグループに入れるにせよ。そしてカタルシスはアンコールか何かに取っておく、とか。多分、過去にやってきたことよりもほんの少し控えめになると思う。文句を言う人たちもいるだろうね。そして5年以内には彼らもこう言うのさ。「なんてこった、Wilcoはまたロックしてるぜ! Let's go!」って。

 

クライン:最初はチャレンジだと思うよ。私たちが今話していることがその理由だ。ダイナミクス(注・強弱の変化で音や曲の表情を変えること)と、広いスペースにたくさんの人がいるということ。でもこのチャレンジを全員が楽しみにしているよ。一種の逆バージョンは、ステージに出てきて「Star Wars」の完全再現をやることかな。かなりロックだよね。だから正反対のことをやるのもOKだと思う。

 

トゥイーディ:たとえば「OK、『Jesus, etc.』を聞きたいかい? まずは少なくとも30分、新譜からの曲を聞いてもらわないと」って感じかな。

 

SPIN:一方で「I'm Trying To Break Your Heart」のような曲は、静かさと荒涼とした感じにおいては新譜のいくつかの曲とそんなに違わないですよね。たくさんの人たちが毎晩聞きたくなるような共通する何かがあるのではないかと思います。

 

トゥイーディ:そうだね。その理由のひとつは、今までその曲を何回も演奏していて俺たちは曲の後ろに隠れた状態になっているからだと思う。そしてそれが俺が狙いとすることなんだ。過去に、バンドの中期の頃―それがどのくらい続くのかわからなかったけれど今はその時期は過ぎてしまったと感じている―、その頃は俺たちは今よりもっと自意識過剰で、ライブで新曲をやるときは一旦休憩みたいに感じていたんだ。結局俺は繊細な人間なんだよ。もしステージで心が傷つくようなことがあったら、もう次からはその曲はやろうとしない。そうして俺たちはたくさんの曲に早い時期から見切りをつけてきた。多分「Wilco(The Album)」や「Whole Love」ですらそうだった。いくつかの曲に関しては、見切りをつけるのがあまりにも早すぎたかもしれないな。

 

だけど「Star Wars」みたいなことをやって、同じようなことを「Schmilco」でもやって―今までよりも新しい素材のカタログから曲を取捨選択して提示するみたいなことを―それは俺にたくさんのことを教えてくれた。今そのあたりの曲をステージで演奏すると全く違うエネルギーが宿っている。それらの曲には固定ファンもいるんだ。

 

SPIN:新譜のタイトルはベートーヴェンと関係があるんですか? 

 

トゥイーディ:いや、単にドイツ文化の流用さ。

 

SPIN:Wow。完璧ですね。

 

トゥイーディ:「Ode to Joy」は、ある曲の仮タイトルだったんだ。「Bright Leaves」か「Before Us」のどちらかだったと思う。それがアルバムのタイトルになったんだ。ある時思ったんだよ、「この曲をこのタイトルで呼ぶことはできないな」って。「Star Wars」や「Schmilco」みたいなものだよ。皮肉か、またはこの作品をなんとかして売ろうとしていると捉えられるかもしれないね。

 

たくさんのいろんな理由から前作2枚の売り上げが悪かったことが俺の心に訴えるものがあったんだ。近年、アルバム発売のサイクルが全体的に短くなっていることを、俺は本当に腹立たしく思っている。他の多くのバンドが、新しいアルバムを出すことでさっき君が言った「バズ・サイクル」ってやつを生み出そうと奮闘しているのも実際に目にしてきた。俺はその動きには加わりたくない。「Wilco, Schmilco, くそくらえだ。俺をツアーに出させてくれ」って感じなんだ。

 

でも今回のアルバムは、競争相手よりも安売りしようとすることには意味がないと思う。俺たちにとってとても意味のある作品なんだ。前の2枚がそうじゃないってことじゃないよ。あの2枚も同じように意味があった。でも今回のアルバムはもっと、俺たちにとって重要な、俺たちの一部になるように思う。前の2枚よりも重要だ、とは言いたくないけど、なんて言ったらいいか、よくわからないや、本当に一生懸命トライしたんだよ!

 

SPIN:いつもより?

 

トゥイーディ:うん、いつもより一生懸命やったと思うよ。

 

クライン:それと私たちは活動停止していただろう? この約2年間でたくさんの物事が低調になった。ある程度プライベートな部分もだけど、特に世の中のいろんなことがね。だからこのアルバムは、世の中の雰囲気が変化したことの極めて重要な側面であり、もしくは、以前には大げさでいい加減な大騒ぎに見えていたことを受け入れたということなんだよ。

 

トゥイーディ:賭け金は以前より高くなっていると感じるね。そして俺たちが前の2枚のアルバムに「賭け金が低い」という雰囲気を作り出したことが、この2枚のアルバムに有害だったと思うんだ。おそらくこの2枚には一部の人たちが思っているよりもずっとシリアスなものがあるんだよ。

 

クライン:私にとっては「Schmilco」はシリアスなアルバムだよ。ジェフが言っていることはよくわかる。このタイトルがアルバムのスケールを小さくして「これは俺たちの大きな新しい声明だ。確実に君の人生、他のたくさんの人々の人生を変えるだろう」と言わないようにしているんだ。

 

トゥイーディ:「Wilco, Schmilco」がしっくりくるのは、このアルバムの曲の多くが、何らかのアイデンティティを取り去って自分自身を生み出すためのスペースを維持することについて歌っているからだ、という気がするね。経験豊富なロックバンドとしてそういうことをやるのは永遠に難しい。俺が「Ode to Joy」でやろうとしているのはそういうことなんだろうと思う。新しいアルバムでは、他のアルバムよりも音楽的に一生懸命トライしたとは思わない。俺たちがトライしたのは、まさに「自分を生み出す」ことだったんだ。「Schmilco」はそのことについてコメントしたんだけど、「Ode to joy」では実際にそれを実行したのさ。

 

(終わり)