心はマリー・アントワネット

見たいものが日本に来ない?じゃあ自分が行けばいいじゃない!

Wilco's Glenn Kotche / Modern Drummer Magazine インタビュー その4

MD:ドラムセットは均質なものへと変化した、ということですね。20世紀半ばまでには、基本的には同じものにまとめられた、サイズの違う一揃いの楽器とシンバル、という本質的には同じもので構成されている。(たくさんの楽器の集まりだったものが)「ひとつの」楽器になったんだ。

 

グレン:そういうこと。それには実際的な理由もあったんだ。移動に関する理由と経済的な理由だね。全く理にかなっている。でも僕は、ドラムキットを彫刻的に考えるのが好きで、違う配列でセットアップできる、と思うんだ。いろんなコラボでコンサートをやるけど、毎回僕のドラムセットは全体的にがらっと違うように見える。なぜなら、必要とされるものはそのときによって違うから。ウィルコのライブのときでさえ、すべてのアルバムのサイクルに合わせてドラムセットの外観は変わる、毎回新しいことをやっているし、同様にもう必要ではないものは取り除いているからね。今はそれも昔よりは簡単だよ。ものすごくたくさんの種類の商品やいろんな種類のシンバルがあって、全部違う音がするから。最近では、ソロの作品ではセンサリー・パーカッション・システムを追求してるんだ。今や、どんな音を出せるかっていう可能性は無限大だよ。次のソロプロジェクトはよりマルチメディアを基にした方向になる。今はドラムからそれができるんだ。一人のドラマーになる代わりに、ショー全体のコントロールセンターになることができるんだよ。

 

MD:ジェフ・トゥイーディの自伝の中で、彼はアコースティックギターをとても小さい音で演奏する方法について書いています。ウィルコの他のメンバーが出す音の中でのあなたの音、という観点からの考えを聞かせてください。

 

グレン:確かに僕の音はバンド全体の中で必要とされる役割を果たさなければならない。ジェフがギターをとても小さい音で鳴らすのには彼独特の理由があるからだ。明るくて大きく鳴り響くギターの音は、彼の声には合わないから。僕がジルジャンのドライフィット・シンバルを使うのは、音が消えるのがとても早いから、それと、暗い音が音楽により合っているからだ。もし他の「普通の」シンバルを使ったら、バンドのメンバー達は頭がおかしくなってしまうかもね。彼らも僕と同じように暗めの音の方が好きなんだ。他のたくさんのドラマーも同じだと思うよ。特に最近はね。現在はシンバルの黄金時代だよ。素晴らしいよね。

 

 それから僕は半分以上の曲でRoots EQ(注・ドラムヘッドの上に置いて音のトーンを変化させるためのリング状の布)も使っている。リンゴ・スターがティータオルを使ってたみたいに、ちょっと変わった音色を出すのにいいんだよ。嬉しいことに、僕の新しいドラムセットのスネアドラムは8インチの深さがあるんだ。ウィルコの音には高い音のスネアは合わないからね。8インチあれば深い音が出せるし、叩いたときすぐに反応が来る状態にドラムヘッドの張りを保っておけるから演奏していても楽しいんだ。

 

 それと僕は大抵「店で買ってきたまま」の音は避けるようにしている。これは僕のデュオ、オン・フィルモアでの「教義」みたいなもので、リスナーが音を聞いて即座に「ああ、これはエッグシェイカーだね」なんてわかるような音はない。たくさんの、本当に古いスレイベルやタンバリンやシェイカーや、全部どこかの土地に土着のものか、自分でカスタマイズしたものを使ってるんだよ。その上、僕の特製スティック(注・プロマーク社のドラムスティック・シグネチャー・シリーズ、グレン・コッチェ・モデル)と、レコードではアンティークのブラシやマレットやスティックを使っているんだ。

 

 誕生日に奥さんが1918年頃のドラムセットをプレゼントしてくれたんだよ。スネアがWFLかLudwig & Ludwig(注・どちらもアメリカの打楽器メーカー)のもので、バスドラムは古いマーチングバンド用のものでヘッドに絵が描いてあって、ふたつの  チャイニーズ・タムターキッシュ・シンバル入れ子になったカウベルラチェット---本来は劇場で使われていたセットなんだ。同じ時代のマレットやスティックで叩きたいなあと思ったから、シカゴのドラム・ショーやポートランドリバイバル・ドラムショップに行ったときに、オーナーのホセ・メデレスに「君のところではどんなアンティークのブラシやスティックを扱ってるの?」って聞いてみるつもりなんだ。

 

 それから、ツアーでヨーロッパや南米に行くと、楽器店でこっちとは違うものを扱ってるんだよね。ライブの時はほとんど全部プロマークの製品を使ってるんだけど、向こうではポルトガルのマーチングバンドが使ってるちょっと変わったスティックや、ハンブルグのショップには手作りのスティックなんかもあったりして、そういうのを見つけるのがすごく楽しいんだよ。この金属製のハエ叩き、ドイツのこのメーカーから買ったんだ。元々ドラム用のブラシってハエ叩きだったんだよね。でも僕はこの中のいくつかは長さを半分にカットして使ってるんだ。だから、これはこんなに小さいけど、ヘッドの部分はすごく大きくて、他のブラシを使う時とは全く違う音が出せるんだ。それにこれには頭と根元があるから、くるっとひっくり返して使えばさらに違う音が出せるんだ。

 

 こういう一般的なブラシでさえ、どうやって使うかで違いが出てくる。それに昔のブラシは今の物とは違う太さの針金を使っていたかもしれない。(アンティークの)スティックは壊れやすくて脆いけど、いつもとは違うプレイができるんだ。新譜を作るとき、僕はこういうアンティークの物を使うとどんな風になるのか見てみたかった。僕はブラシを使って叩くのが単純に好きなんだ。ジャズの文脈から外れても、とても「使える」んだよ。最近作ったどのアルバムでも最低1~2曲はブラシで叩いてる。このウィルコのレコードでは、ときには今までと違う音を出すためだけに、3~4種類の違うブラシを同時に使ったりした。一度にスティックを何本も持って叩いたりね。たとえそれがほんの少しだけいつもの常識の枠から外れることにすぎなくても、プレイヤーはどんなに驚くだろう---? そしてその動揺がすべて音に影響を与えるんだ。

Wilco's Glenn Kotche / Modern Drummer Magazine インタビュー その3

Sonorがドラムセットを届けてくれて、セットアップを済ませて、「OK、さあ何を演奏しよう?」って感じだった。だから僕は自分とゲームをすることにした。すごく馬鹿げてるかもしれないけど、こう考えたんだ。もし、もう二度と誰も僕のドラムを聴くことがなかったら? もしもう二度とレコーディングすることがなかったら? もしもう二度とステージで演奏することがなかったら? もしもう二度と他のミュージシャンとプレイすることがなかったら? それでも僕は演奏するだろうか? Yeah! 僕はドラムを叩くときに感じる、身体の運動器官が連動して解放されていく感覚を愛してるんだ。じゃあ、何を演奏しよう? 時間は気にしない---気にしなくてもいい。だって一緒に演奏する相手はいないんだから。必死になって頑張らなくてもいい。だって誰かに印象付ける必要なんてないんだから。もしも「楽しいから」という以外に演奏する理由がなかったら、僕は何を演奏するんだろう?

 

 協奏曲を演奏することから離れて、僕は、そうだな、クールなビートを創造することに夢中になってた、って感じかな。新しいテクニックを研究していたんだ。子どもたちを学校に送り迎えするとき、バスの座席にすわっていると---僕たちはフィンランドでは車を持ってなかったから---ビートがどんどん頭の中に浮かんできた。そして僕はドラムセットのところに行って、その、音楽と結びついていない、それ故に実際の場面での実用性などないビートを演奏した。

 

 このことはまさに探検する喜びそのものだったんだ。「もしこれをやったらどうなるだろう?」って。そしてものすごく楽しかった。だって、これもまた作曲なんだから。80分の協奏曲を作る代わりに、僕は5秒の小さいかけらを作曲していたんだ。でも僕は、この小さいかけらを普通使うような「ビート」とは違うものとして扱った。もっと「作曲的に」扱ったんだ。音楽とは違うもの、たとえば詩、均衡、韻を踏むこと、風水…等と比較して考えていた。たとえば、道教における「陰と陽」みたいな…。僕にとってはキックとスネア、この2トーンはドラムの始まりから存在するものなんだ。土着の文化においては、必ず低い音と高い音の二つが存在した。隣の村の人々と情報交換をしていない、もしくは前線にいる兵士たちに攻撃の合図を出さない、という場合を除けばね。

 

 この年の末に起こった僕の次のソロプロジェクトでは、全てがこのビートがベースになった。でも、ウィルコとスタジオに入って、いわゆる「ロック」のレコードは作らない、というアイディアが浮かんだとき、僕は考えた。僕はこのところビート以外のことは何もやっていなかった。だからもうビートは一切やらない、って(笑)。つまり、ジェフと一緒にスタジオに入った時の気持ちはこんな感じだったんだよ。

 

 僕はものすごく大きなキットをセットアップしたんだけど、全部をいっぺんに使ったわけではなかった。どうしようと思っちゃうくらい大きかったんだよ。低いベースの音を出すものが4種類、高い音を出すものが4種類、その上に更に別のドラムを引っ張り上げて付けた。それから、マーチングバンドで使うバスドラムやコンサート用のバスドラム(注・オーケストラなどで使われるタイプのだと思います)をたくさんスタジオにセットして、マリンバ用のマレットやマラカスやピンポン玉のシェイカーで叩いた。キックドラム(注・通常バスドラムを足で叩くためのペダル)とは違う音になるからね。それから、たぶん壊れているスネアドラムや、ヘッドをチューニングしていないスネアドラムも叩いたし、普通のスネアドラムと同じ音にならないようにいろんな変わったものを使って叩いたりもした。それから、シェイカーや、スレイベルや、シードポッドや…。

 

 アンティークのパーカッションにもこだわってみたんだ。この種の低い音を出すドラムの例外は、マイネル(注・ドイツの打楽器メーカー)のヘッドがビニールで出来たエスニックドラム。これらのタムの音にコンサート用のバスドラムの音を重ねたり、フロアタムの音を調整して重ねたりした。僕がドラムセットをオーケストラみたいに演奏してた、って言いたいんだろ? わかるよ。その前の9~10か月間にやっていたことと正反対のことをやるのは面白かった。つまり僕はすべてのウィルコのレコードでマルチトラック録音をしてきたけれど、僕の考え方は、なんと言うか、まず主要なビートがあって、ここにパーカッションがある。そしてデモを聴いて考える。OK、3トラック必要だ。ドラムセットのパート、そして多分ブラシで叩く2つめのドラムセットのパート、それからパーカッション。でも今回、僕はこんなふうに考えた。まず鼓動(パルス)のパート、次に鼓動に沿う別パート、それから鼓動に対抗するもうひとつのパート。これは、もっとなんと言うか、違うアイディアを重ねていく、みたいなことだったんだ。

 

MD:アンティークのドラムを使ったということですが、あなたの全体的なコンセプトはとても現代的ですよね。僕たちがドラムセットの前に座った時のリアクションを考えてみると、あなたのコンセプトは他の考え方があることを示唆している。つまり、善かれ悪しかれ、僕たちがとらわれてしまっている「間違いない」考え方からあなたは自由なんだ。

 

グレン:うん。多分、今日ではより自由になっているだろうね。僕たちが現在聴いているドラムは、プログラミングで作られたものが以前よりも多くなっている。プログラミングなら身体的な限界以上のものがやれるんだ。プログラミングをするたくさんのプロデューサー達はリスクを恐れず挑戦し、突飛でクレイジーなことをやる。僕はそういうのが大好きなんだ。それは解放なんだ。そこでも同じように決まったパターンに落ちてしまうことはあるけれどね。

 

 君が「新しい」と思ってくれてめちゃくちゃ嬉しいよ。でも僕がやっていることの多くはドラムセットの元々の考え方から来ていることなんだけどね。そう、ドラムは「セット」なんだ。元々ドラムセットはいろんな異なる楽器を組み合わせて、その上にフォーリーサウンド(注・テレビやラジオ、舞台で使う手作りの材料による効果音)を乗せたものなんだよ。なぜなら、彼ら効果音の技術者たちはとても大きいパレット(注・物流用の簀の子状の台)を持っていて、コメディアンやダンサーや歌手をサポートしていたんだから。僕としてはドラムセットってそういうものなんだ。皆が「君が演奏してるのはドラムというよりパーカッションのセットだよね」みたいに言う。それに僕は「うん。でもドラムはパーカッションだよ」と答える。ドラムはそうあるべきなんだ。単純な理由として、一つの曲全体を通じて安定したビートがない、ということが、「それはドラムのプレイではない」という意味にはならない。なぜなら、ドラムはあるテクスチャー(注・音楽的には「さまざまなメロディー、リズム、楽器を組み合わせて作られる効果のこと」)から違うテクスチャーへと移行しているだろう? それもドラムプレイなんだ。僕はドラムセットをもっと選択的に使っているだけなんだ。

 

(続く)

Wilco's Glenn Kotche / Modern Drummer Magazine インタビュー その2

MD:多重録音したことで、実際に演奏するときにチャレンジすることになった例を教えてください。

 

グレン:たとえば「Schmilco」に入っている「We Aren’t The World」という曲。録音するとき単純に1拍目と3拍目にタンバリンの音を重ねたらいい感じだなと思ったんだ。そして実際にライブで演奏することになったとき、「ハイハットの上にジングル(注・鈴のような音が鳴るパーカッション)を置いて左足で操作すればいい」と思った。だけどほとんどのドラマーと同じように、僕は今までの人生でずっとハイハットは2拍目と4拍目で鳴らしてたんだよね。このほんのちょっとの違いがものすごいチャレンジだった。ほとんどのドラマーはこんなことやる必要ないんだけど、でももしこういう小さいことを変えてみたらきっともっと面白くなると思うよ。

 

MD:あなたは他の人とは違ったやり方でチャレンジをしているんですね。最も複雑なフィルイン(注・wiki参照)を入れようとする、みたいな方向ではなくて。

 

グレン:そのとおり。そういうやり方もやるけどね。でも多くの場合、単純にそれじゃダメなんだ。僕は6人編成のバンドの1人で、他のメンバーのためにスペースを空けておかなくてはならない。それに、ものすごく派手で入り組んだ音は歌詞やバンドの音の特徴に合わないしね。

 

MD:「Ode to Joy」の曲でも何か例はありますか?

 

グレン:このアルバムでは、はっきりしたバックビート(注・4拍子の曲で2拍目と4拍目にアクセントを置くこと)は避けようとした。だから僕はこのレコードでは「ビート(拍)」はやっていないんだ。すべてのパートを別々に録音したんだけど、1曲目の「Bright Leaves」を例に取ってみると、この曲はただ「低、高、低、高」なんだよ。でも僕は「低」の音を叩くときはピッチの高いマラカスを使って叩いているんだ。そしてスネアドラムを叩くときは同時にバスドラムも鳴らしている。すべての音を、より「一定に」なるように作ろうとした。

 

僕たちは今回は「ロック」のレコードを作らないことを目指したんだ。いつもはレコーディングの前にあまり話し合ったりしないんだけど、今回は違った。僕たちはこのレコードを個人的なものにしたかったんだ。僕たちは弦の上の指の音や、息遣いや、スティックやブラシそのものの音を聴きたかった。固定観念にとらわれたみたいなことをやるのは避けたかった。ビート(拍)は人々に「決まったやり方」を即座に感じさせる。もし君がこんな風にプレイしたら(と、グレンはスタンダードなロックのビートでテーブルを叩く)、それからこういうプレイをしたら(と、先程と同じような、だが反対のアクセントのビートで叩く)、どちらも効果があるんだけど、片方はハッピーな感じ、もう片方は違うように感じられる。リスナーにどう感じたらいいのかを説明してるようなものなんだけど、そしてそういう力を持つのは素晴らしいことなんだけど、でも僕はそれはやりたくなかったんだ。だからもしバックビートをやるなら、それがわからないようにやりたかったんだ。そして、ライブで演奏するときは、ハイハットを1拍目で鳴らすけど3拍目では鳴らさない、とか、2拍目で鳴らすけど4拍目では鳴らさない、とか、トリッキーなことをやっている。ハイハットだけじゃなくてスレイベル(注・橇の鈴のような音を出すパーカッション)や、ボトルキャップや鈴やシーポッド(注・検索しましたが不明。これのこと?)で作った自作のパーカッションもね。

 

MD:「Ode to Joy」のグルーヴには空間がたくさんありますね。

 

グレン:パーツとしてはとてもシンプルなんだ。でもドラマーとしてはチャレンジすることがたくさんあった。だから今この話をしてることにすごく気合が入ってるんだよ。なぜなら、普通は人々の興味を引くのはもっと派手なことだからね。面白いことに、最近の3~4枚のアルバムと比べて、このアルバムに関しては僕を個人的に取材して書かれる記事が多いんだ。僕はいつもよりシンプルに演奏しているんだよ。僕が取材される理由は、今回僕の演奏がビート(拍)ではなくパルス(鼓動)なのがより特徴的だからだと思うんだ。相対的に、シンプルなものの方が、曲をある一つの方向にほんの少し「曲げる」んじゃないかと思う。だから皆もっと曲に近寄ろうとする。その結果、いつもよりもう少しだけ、歌詞に注意を向けているのかもしれない。そういう「レンズ」を取り付けることが僕の仕事の一つなんだ。

 

MD:他の曲がどうやってレコーディングされたのかもう少し掘り下げていきましょう。そこにいたのはあなたとジェフ…

 

グレン:と、トム・シック。プロデューサー兼エンジニアの。

 

MD:そしてあなたのドラムキットがすべてセットアップされていた。

 

グレン:そのとおり。でもちょっと方向を変えて話を続けさせてもらえるかな? 僕のアプローチは休暇に影響されたんだ。去年僕は8か月間フィンランドに住んでいた。僕の奥さんはシカゴにあるイリノイ大学の生体工学の教授で、フィンランドで研究するためのフルブライト奨学金を受けたんだ。その直前、僕は長い間続けてきたクラシックのダンスカンパニーとのコラボレーションが頂点に達していた。その前年に僕は協奏曲を3つ作曲した。そのうちの一つは弦楽オーケストラとパーカッションのためのもので、僕はその曲をノルウェーから来た1B1オーケストラと一緒にNYのナショナル・ソーダストで演奏した。もう1曲はオランダのTROMPパーカッションコンテストの決勝のための協奏曲だった。それからシカゴ・ユース・オーケストラに1曲書いて、ソロプレイヤーとして彼らと一緒に演奏した。

 

だから僕は、膨大な準備が必要とされるこれらの大仕事を終えて、家族と一緒にブーンとフィンランドへ飛んで行ったんだ。僕は予定していたすべての仕事から解放されて、ウィルコも休みを取って、音楽に関しては何の責任もなく、子どもたちの世話だけをしていた。僕たちはヘルシンキの外れの、海のすぐ傍の白樺の林の中にある美しい家を借りた。パーフェクトだ。僕がそこでしていたのは、本を読んで、音楽を聴いて、練習することだけだった。

 

(続く)

Wilco's Glenn Kotche / Modern Drummer Magazine インタビュー その1

アメリカの「Modern Drummer Magazine」2020年4月号はグレンが表紙で大きく特集が組まれ、ロングインタビューが載っています。グレンがこの雑誌で表紙を飾るのはこれが3回目とのこと。インタビューはとても長く、グレンもノリノリで喋りまくってる感じで楽しそうで、訳していて私も楽しかったです。雑誌の性格上、読者はもちろん編集部もライターさんもひょっとしたらカメラマンさんも実際にドラマーで、ドラムやパーカッションをとことん愛しているのだろうなあ、と思わせられました。すごくツーカーな雰囲気がいい感じです~。

ということでまた勝手に訳しました。誤訳、誤字脱字があるかと思いますがご容赦ください。

(元記事の最後に、グレンが新譜の曲をステージで再現するためにどうやったか、を実際に演奏しながら説明している動画があります。必見です!)

 

Modern Drummer Magazine Glenn Kotcheインタビュー   2020年4月号

 

https://www.moderndrummer.com/article/april-2020-wilcos-glenn-kotche/

 

 ドラムについての雑誌の記者として、それは今までで最も重大な「開封の儀」だった。まあ、ウィルコのドラム担当スタッフのアシュウィン・ディーパンカーが初公開しようとしていたあのキットがもしも僕たちのものであったら、ってことだけど。もちろんそれは僕たちのものではなかった。それは、これから1時間かそこら、ラジオシティミュージックホールの熱狂的なファンに向けてウィルコのディープで素晴らしいセットリストの一式に度肝を抜く効果を加えるために、叩き、擦り、引っ掻き、足を踏み鳴らし、はじき、ぴしゃりと打ち、優しく撫でさすり、そしてドカンと打とうとしている、グレン・コッチェのものだった。

 

 僕たち「モダン・ドラマー」誌は、コンサートの前にドラムセットを取材しないかとグレンから誘われていた。アシュウィンがあの有名なステージを横切って僕たちを大きなシートで覆われたセットへと連れて行く間、僕たちの期待は強烈に大きくなっていた。以前グレンはその中の細かいもののいくつかは教えてくれていたし、僕たちは既にウィルコの新譜「Ode to Joy」を聴いて、そのアルバムが身の引き締まるような清冽なドラムのパフォーマンスと、時には親しみのある、また時には全く新しい、万華鏡のようにくるくる変わるパーカッションの音にあふれているのを発見していたからだ。

 

 そのたくさんのパーカッションのなかでも、僕たちが実際に見て一番興奮したのはマーチングマシーンだった。ブーツを履いて行進する音を出すためのあまり知られていないパーカッションで、コリン・キャンベルとディーパンカーとグレンが足で操作できるように工夫したため、ドラムをフルに叩いている間も演奏できる。その音と同じくらいクールな楽器だ。いやたぶん、音以上に。しかもそれは単にグレンが「Ode to Joy」の各曲にユニークな味わいをもたらすために使ったたくさんの道具のなかの一つに過ぎない。これは僕たちが今までに聴いたもののなかで、ドラム演奏の立場から為された最高のアプローチかもしれない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの名曲「Pale Blue Eyes」や「Venus in Furs」「I’m Set Free」などを思い浮かべてみてほしい。ただし、マックス・ローチのM・ブーム・アンサンブルのアレンジで。コッチェのアプローチは「Less is more / More is less」(より少ないほうが豊かであり、多く持つほど貧しくなる)の論争を、「音楽的であるかぎりどんな手段でもいいんだ」という、より誠実でエキサイティングな宣言と置き換えることで、本質的に嘲笑している。

 

 「モダン・ドラマー」誌の読者、なかでも2006年のMDフェスでのコッチェのパフォーマンスが記憶に焼き付いている人たちにとっては、彼が頭の中でイメージした音を実際に出すまでの距離の短さは神話になっているだろう。あれ以来彼は半ダース以上ものウィルコのスタジオ録音アルバムをレコーディングし、同様に一群の他のアーティストたちともレコーディングした(P42の補足記事参照)。そのすべてにおいて、彼は更なる音とリズムの到達点を探求している。また同時に、ダリン・グレイとのデュオ、オン・フィルモアとしての活動や、現代音楽のアンサンブル、ダンスグループ、その他のロックではないプロジェクトも続けていて、トータルな分野へとパーカッションのアプローチを広げている。

 

 だが、「開封の儀」に、いや正確には「除幕式」に戻ろう。僕たちが目を見張ったのは、ゴージャスな新しいSonor SQ2メイプルのドラムセットに加えて、目もくらむような一式 --- 既成の、または手作りの印象的な器具の数々、ハイハットにセットするユニークないくつものシェイカー、山と積まれたパーカッション、エレクトロニクス、アクセサリー…。その「王座」に飛び乗って演奏を始めたい、という強い衝動を抑えるのは難しい。

 

 しかし楽器そのものよりもっと重要なのは、コッチェが「Ode to Joy」のドラムパートを演奏するために展開した「振り付け」の方だろう。相当な多重録音を採用したアルバムが完成した後で、どうやってライブでその重ね録りされたパーカッションを再現しようとアプローチしたか、以下のインタビューで聞こうと思う。このドラマーがこの仕事をやり遂げるにあたって使った様々な道具を説明するだけで、また、彼がウィルコの愛されている曲の数々をオーディエンスの人生に届けるときのダンスしているような動きについて語るなら、30分以上は楽に費やしてしまうだろう。でももちろんそれは、グレン本人の口から聞く方がいいに決まっている…。

 

 

グレン:新譜の曲をどうやってステージで実際に演奏したらいいかという問題に取り組み始めたのは8月だった。ビデオを撮ってアシュウィンに送ったんだ。「このビートはこんな感じにしよう」みたいに。このレコードでは全部を多重録音していたから、ライブでやるためにはパートを合成しなければならなかったし、パーカッションのパートをスネアドラムやバスドラムに組み込む必要があった。だから、まず彼にアイディアを送って、その後実際に集まって、彼が修正したりレコードの音を再現するための物を作ったりした。

 

MD:それは曲を作ったりレコーディングしたりした後のことですね。

 

グレン:そうだよ。ジェフ・トゥイーディと僕は2018年12月に2週間、ウィルコのスタジオ、ロフトに集合した。彼が曲を演奏して、僕はそれにいくつかアイディアを加えた。基本的には、僕は自分がやることについては「白紙のカルテ」しか持っていなかった。僕たちがレコーディングをスタートした典型的なやり方は、まず彼が2つのドラムマシーンをペダルを通して演奏して、鼓動やいくつかのパートなんかをね、それからそれを僕が演奏するためのガイドとして使って、たぶんそれがバスドラムのパートで、彼がその上にギターパートを作って乗せていく、みたいに。それから僕がその上に音を重ねていったんだ。そして1月の終わりから2月にかけて他の皆がやってきて自分たちのパートをつけ足していった。

 

MD:それから、ライブでそれをどうやって演奏するか、というチャレンジがあった、と。

 

グレン:うん。それは夏だった。僕たちは実際18か月間演奏していなかったんだ。6月にヨーロッパツアーをやったけど新曲は全くやらなかったし。自分たちのフェス、ソリッドサウンドで2曲やったけど、一種の練習みたいなもので、僕が今ステージでやっているようなことは必ずしも必要ではなかった。

 

MD:すべての曲においてレコーディングのバージョンを作り直す計画が必要でしたか?

 

グレン:そうだよ。驚くべきことにね。だって僕は「こんなの簡単だ、ただの鼓動(パルス)なんだから」と思って先延ばしにしてたんだ。でもその後で悟ることになった。「なんてこった! ほとんど不可能に近いじゃないか!」って。僕にとって今までのプロフェッショナルの仕事として最も面白いことの一つが、これらのパートを再現することだった。つまり僕は実際には自分がレコーディングでやったことのすべてをやる必要はないんだ。もし小さなタンバリンのパートがなくなっていたって誰も気が付かないし気にもしないだろ? これをやったのは他の人のためじゃなくて、僕自身のため、バンドのメンバー達のためなんだ。なぜなら、ライブでもレコードと同じように聞こえたらいい気持ちがするからね。それはオーディエンスにとっても同じだと思うんだ。

 

MD:このレコードの多重録音されたドラムはすべての曲にあなたの個性というスタンプを押しているようなものですね。何回も聴いたあとでもあなたはまだ…

 

グレン:この音の重なりを発見し続けている。そのとおりだよ。

 

(続く)

Glenn Kotche インタビュー (by WFMT) (また勝手に訳しました)

WFMTはクラシック音楽、芸術を中心にジャズやフォークの番組を流すシカゴのFMラジオ局だそうです。昨年の12月にwebで公開されたインタビューが面白かったのでまたまた勝手に訳しました。

WILCOファンの人と「グレンっていいドラマーだよね!」「すごいよね!」と話すことが多いのですが、すごさの源は単に上手いとかテクニックがあるだけじゃなくて、こういう経験をしてる、こんな人なんだ~、という感じで読んでいただけたらいいなあ、と。

 

Wilco drummer Glenn Kotche on composing from the drumkit, his favorite classical music.

 

ウィルコのドラマー、グレン・コッチェ、ドラムセットでの作曲とお気に入りのクラシック音楽プレイリスト

(注・末尾にURLを貼っていますのでプレイリストにはそこからアクセスできます)

 

 

 作曲家・パーカッショニストのグレン・コッチェはクラシックとロック両分野の「力」(force)である。エネルギッシュなパフォーマンス、リズムに対する知性、創造力にあふれた演奏スタイルにおいて彼は際立っている。彼は2001年以来、シカゴに拠点を置く有名なバンド、ウィルコのメンバーであり、ウィルコは11枚目のアルバムをリリースしたばかりで、12月15、16、18、19日の4日間シカゴシアターにて「Winterlude」と銘打ったコンサート中である。

 

 彼はロックの分野を超えクラシックの勉強もしたパーカッショニストであり、クロノス・カルテット(Kronos Quartet)、エイトス・ブラックバード(eights blackbird)、サード・コースト・パーカッション(Third Coast Percussion)等の著名なアンサンブルに曲を提供してきた作曲家でもある。彼の作曲スタイルは、スティーブ・ライヒ(Steve Reich)、ジョン・ルーサー・アダムス(John Luther Adams)、ジョン・ケージ(John Cage)といった打楽器曲の優れた作曲家たちと重なるところが多い。彼の音楽では複雑だが調和のとれたリズムが強調されており、そのリズムは円熟した迫力とカラフルな色彩へと広がりつながっていく音の世界に包まれている。

 

 コッチェはシカゴ郊外のロセール出身。学校のオーケストラやマーチングバンドで演奏を続け、ケンタッキー大学でミュージックパフォーマンスの学位を取得した。今もシカゴ在住で、「車でも家の中でもいつもWFMTにチューニングを合わせているよ!」とのこと。

 

 WFMTは彼に作曲家・パーカッショニストとしてのキャリアについて話を聞き、おすすめのクラシック音楽Spotifyプレイリストを作成してもらった。

 

 

WFMT:パーカッションの演奏や作曲に熱中するようになったのはいつ頃からですか? 子どもの頃からの音楽教育はあなたの作曲にどのように影響しましたか?

 

グレン:3歳のときから自分はドラマーだって思ってたんだ(笑)。いつもおもちゃのドラムを演奏したりいろんなものを叩いたりしていた。5歳か6歳のときにおもちゃのドラムセットを買ってもらって、まさに「恋に落ちた」。いつも手入れして調整して、きれいに掃除してた。それから、父と一緒によく演奏したよ。うちにはオルガンがあって、僕は父とセッションしたり我が家のパーティーで一緒に演奏したりしていたんだ。4年生の時にロゼール・ミュージック・ストアでのドラムのレッスンを受け始めて、学校のバンドに入れるようになったらすぐに加入した。ロゼール・ミドルスクールのバンドの指導者がロブ・ウィスという素晴らしい方で、僕たちにパーカッション・アンサンブルをやらせてくれたんだ。「5年生か6年生までにはパーカッションの中心メンバーになるよ」って両親に言ったと思う。

その後レイク・パーク・ハイスクールに進学したら、そこにもケン・スヌークという素晴らしい指導者の方がいて、彼は僕たちを単なる「ドラマー」にはしなかった。僕たちに、「自分はパーカッショニストだ」と言いなさい、と要求したんだ。そして僕たちが演奏したのは数々のオペラやクラシックの作品だった。様々な、すべて違う音声を聞いて、そこからアレンジやバランス、フレーズのセンスや風情を聞き取る。それはドラマーとしてはさして重要なことではない、と思うかもしれない。だけどそうやって多彩な違う楽器の音にどっぷりと浸かることによって、作曲するときにいかに違う種類のアンサンブルやパートをすべてしっくりとフィットさせられるかを考えることができるんだ。

 

WFMT:作曲をするときの過程はどのような感じですか? パーカッショニストとしてアプローチするのでしょうか? 

 

グレン:僕の場合は作曲した曲はすべて、パーカッショニストとしての経験から生まれている。僕がドラマーであることの延長線上にあるんだ。自分がドラムセットやヴィブラフォンでやってみたいことからアイディアを見つけるんだよ。その作品の青写真、つまり形式的な構造や展開はドラムセットから得る。それから、その青写真をアンサンブルに編曲していくんだ。編曲の過程で得たいろんな発見に従いながらね。

僕が初めて受けた作曲の依頼はクロノス・カルテットからだった。僕は大学では作曲は学ばなかったんだ。オーケストレイション(注・オーケストラが演奏できるように音楽を編曲し各楽器にパートを割り当てること)と対位法(注・複数の異なる旋律とそれらが作る和音の調和を重視した作曲技法。バロック時代に完成された)の授業は取ったから自分がやっていることはわかっていたけど、パーカッションの曲以外のものを作曲するなんて思ってもみなかった。でもクロノスは全曲パーカッションのために作曲した僕の「Mobile」というソロアルバムを気に入ってくれて、彼らのために弦楽四重奏の曲を書いてほしい、と依頼してきたんだ。僕はこの作曲をどういう風にやればいいのか、どういう風にやりたいのか、真剣に考えた。そして、「自分は誰なのか、自分は何なのか」ということに忠実であり続けなければ、と考えついたんだ。僕はドラマーだ。僕には、時には独立して動き、時には揃って動く4本の手足がある。まるで弦楽四重楽団のように。だから僕は、4本の手足がそれぞれ弦楽四重奏の4人のメンバーだ、というアイディアを追求していった。その結果がアルバム「Adventureland」に収録されている「Anomaly」という曲なんだよ。

 

WFMT:作曲家としてのかたわら、他の作曲家が作った曲の演奏者としての役割も果たしていますね。ジョン・ルーサー・アダムスやミッシー・マゾーリ(Missy Mazzoli)、スティーブ・ライヒといった人たちと仕事をするのはどのような体験でしたか?

 

グレン:本当に素晴らしい体験だったよ! 他の作曲家の心の中に入って彼らを「導師」とすることは、自分の演奏と作曲にこれまでとは大きな違いをもたらした。彼らの解釈や方法論について深い理解を得ることができるから。一方で、上手く演奏することについてのプレッシャーもより大きくなると思う。自分でも作曲家が演奏者に何を期待するかがわかっているからね。僕は演奏の準備には多くの時間をかけるけれど、それは最高の学びの経験なんだ。

 

WFMT:インスピレーションを得るためによく聞く作曲家はいますか?

 

グレン:その質問の答えは「ジョン・ルーサー・アダムス」でなければならないだろうね。彼の音楽には本当に興奮させられる。どの曲もアイディアはシンプルなんだけど、完成した結果の曲は驚くべきものだ。これはどうやったんだろう? こっちはどうやったんだ? っていつも思うんだ。彼の音楽を聴くときはいつも、自分にたくさんの問いを投げかけてアイディアをもらう。でも同時にとても楽しんでいるんだ! 僕は自分が常に彼の音楽に戻っていくことを発見する。人生の素晴らしいサウンドトラックだ。それから、彼の一貫性と多様性ときたら…。まさに僕にとって最初で最後の作曲家だよ。

 

WFMT:クラシック音楽のリスナーを増やす最良の方法は何だと思いますか?

 

グレン:まずは、もっと冒険的なプログラムを組むことだと思う。オーディエンスの幅を広げるためには、違うジャンルの人たちを引っ張ってきてコラボレートするんだ。僕にも経験があるけど、僕がオーケストラのホールで演奏すると会場にウィルコのファンが来てくれる。もちろん、ザ・ナショナルのブライス・デスナーやアーケイド・ファイアリチャード・リード・パーリー、レディオヘッドジョニー・グリーンウッドの場合も同じだよ。こういうクロスオーバーは普段はコンサートホールに来ない人たちを連れてきてくれると思う。それに実際そうやって作られる音楽は素晴らしいしね。それから、シカゴ交響楽団がやっているサロン・シリーズやミュージック・ナウ・シリーズのようなイベントは、オーディエンスの幅を広げる素晴らしい試みだと思う。彼らは大きいコンサートホールで伝統的な表現をすることができるけれど、これは僕たちがやっていることの延長で、人々を新しい音楽へと向かわせる試みなんだ。新しいオーディエンスに手を差し伸べるこういう行動が組織やオーケストラにとっては重要なんだよ。

 

WFMT:音楽を仕事として追求したい人へのアドバイスをお願いします。

 

グレン:まず第一に、耳を開くこと(Have open ears)。すべての音楽を聞き、排他的にならないこと。砂の上に線を引いて「これしか聞かない、この時代の音楽しか聞かない、この作曲家の曲しか聞かない」なんて言ってはいけない。僕は本当に、ものすごく古いものからとても新しいものまで世界中の音楽を聞いている。いろんな「違う」音に対して耳を開放することで本当にたくさんのインスピレーションが得られるんだ。

そして、もし君が本当にプロのミュージシャンになりたいなら、自分の周囲に人が寄ってくる人間にならなければいけない。可笑しく聞こえるかもしれないが、わがままで批評を受け付けない人間と一緒に仕事をしたい人はいないだろう? シンプルなことだよ。時間を守る、十分に準備をする、確実にいい音が鳴らせるように楽器を手入れする、礼儀正しくフレンドリーでいる。いろんなジャンルのたくさんのミュージシャンと仕事をしてきた僕の経験において、これは成功への道となる確率が高い明らかな事実だよ。

 

 

※元記事はこちらです。 

https://www.wfmt.com/2019/12/18/wilco-drummer-glenn-kotche-on-composing-from-the-drumkit-his-favorite-classical-music/

 

(2019年12月18日掲載)

Wilcoインタビュー・追記

本文中に入れなかった注を少し。

 

・グレンが好きだと言ってるJoe Russo's Almost Dead、私もこのインタビューを読むまで恥ずかしながら知りませんでした。ドラマーのJoeが中心となって主にGreatful Deadの曲をやるジャムバンドだそうです。YouTubeにライブ動画がたくさんあるので見てみました。かっこいいですね!フジのヘブンに呼んでほしい。同じ発言で名前が出ているJRADのキーボード、Marco Beneventoは去年のFRUEフェスに来てました。見ました。ベース(小柄な若い女性でめちゃ上手い&かわいい)とドラムとのトリオでしたが、この日一番盛り上がってたと思います。Chris CorsanoはグレンがOn Fillmoreで組んでるベーシストのDarin Grayが別に組んでるベース&ドラムのユニットChikamorachiのドラマー(ややこしいな)。2017年のSolid SoundでChikamorachiとジェフが美術館の展示室でセッションしてました。見逃しました…。日本にも来てます。サックスの坂田明さんとよく共演してます。どうでもいいけど坂田さん、Darin、Chrisの3人ともスキンヘッドなので3人でステージに立ってる写真はかなりインパクトがある。

・グレンが家族とバンドの間で迷っていたこと、欧米では単身赴任というのがほとんどなくて家族は一緒に暮らすもの、という考えが一般的だそうですが、それに加えて、グレンのところは2人のお子さんがまだ小さいので(当時上のお子さんが10歳くらい、下のお子さんが5歳くらい)、奥さんが子ども連れて実家の家族や友達等いざというとき頼れる人がいない外国に単身赴任するのは無理だし、グレンがひとりでアメリカに残って小さい子を二人育てるのも無理、という事情があったと思われます。2017年の秋に別のインタビューでグレンが「来年は奥さんが留学するから一家全員で半年くらいフィンランドに住む」と言ってたのを読んでいて、ツアーがあるときだけグレン一人でアメリカに戻るのかな、と思ってたのですが、その後活動休止のニュースを聞いて「Wilcoが休むから留学するのかー」と考えてました。このインタビューを読んで、順番が全く逆だったのね、と驚きました。

 

このインタビューで好きなところ。

・活動休止について話し合ったとき、メンバーの誰一人として「奥さんに留学をあきらめてもらえば」と言わなかったこと。

・ネルスの「活動休止中、バンドの皆に会いたかった。純粋に友達として」.という発言やSolid Soundの後の休暇をメンバー・家族と一緒に過ごしたこと、グレンが「メンバー全員リスペクトし合って、一緒にいると楽しくて大声で笑ったりする」等々、若いバンドならともかく、この年齢のバンドでこんな関係珍しい。音楽的なことはもちろん、共同体としてもすごくいいバンドだな~と思いました。

・グレンがヘルシンキの生活を語っているところ。あのゆったりと落ち着いた美しい街を、両手で2人の子どもと手をつないで「今日は学校でどんなことがあった? 友達できたかい?」とか話しながら歩いてたんだなー、お子さんたちも普段はほとんど家にいないパパと毎日ずっと一緒で嬉しかっただろうなーと微笑ましく読みました。ちなみに下の息子さんはTweedyの「Low Key」のPVに、グレンに抱っこされて出演しています。

・ちょっと意外だったのは、ジェフが社会的な問題を歌にしない、と言ってたこと。SNS等で選挙やウィメンズマーチについて発言することも多いので社会派だと思ってたんだけど言われてみれば歌詞に直接的な描写はないですね。先日ポン・ジュノ監督がアカデミー賞でスピーチした「最も個人的なことが最も普遍的なことになりうる」というスコセッシ監督の言葉を思い出しました。そういえばだいぶ前に中川五郎さんだったと思いますが、ジェフのことを「非常に個人的な体験や感情ををみんなが共感できる普遍的な歌にする天才」みたいに書いていたことを思い出しました。

 

以上です。

翻訳、しんどいけど楽しかったので、次はグレンのインタビューを訳してみたいなあと思ってます。

その前に昨年シカゴに行った時のzineを作らないとだけど。

 

Wilcoインタビューその4 (完結)

 ウィルコは「Ode to Joy」のレコーディングを2019年の春に終え、6月上旬にはNYのラジオシティミュージックホールやシカゴシアターを含む「終わりのないツアー」へと出発した。また、すでに2020年にはいくつかのフェスでヘッドライナーを務めることと、自身のメキシコでのイベント「Sky Blue Sky」の開催も発表されている。

 

 グレン:「僕らにはソファにゆっくり座って印税を数えていられるような大ヒット曲はないから、いつもツアーをしているんだ。僕らはうまくやっているけど、それはずっとハングリーに働き続けて、街から街へ、国から国へとツアーしながらオーディエンスを味方につけてきたからなんだよ」

 

 10月の「Ode to Joy」発売に先駆けて、彼らは早急に何曲かの新曲をライブで演奏し始めていた。グレンは、新曲をライブでやれるようにアレンジしていくのは、難しいけれどやりがいがあってとても楽しかった、と語っている。

 

 グレン:「『どういう風にドラムを叩こう? サウンドエフェクトは? 異なるピッチのパーカッションを全て同時に鳴らすにはどうすれば?』と自問したのは『Yankee Hotel Foxtrot』以来だった。その答えを見つけていくのはとても楽しかった」

 

 グレンは最近NYへの旅から帰ってきたばかりだ。NYで彼は今年の頭にシカゴでのJoe Russo’s Almost Deadでのコンサートで彼をステージに引っ張り出したジョー・ルッソに再会した。グレンは普段は客席でファンとしてコンサートを楽しむのが好きでステージに飛び入り参加するのは嫌がるのだが、このコラボレーションには否応なく飛びついた。

 

 グレン:「ジョーとクリス・コルサノは世界中で一番好きなドラマーなんだ。ジョーのプレイにはいつもアイディアをもらって影響されるし打ちのめされる。だから彼がシカゴに来るときはいつも見に行くんだ。マルコ・ベネヴェントも同じくらい長い間の知り合いだし、マルコのプレイにもいつも吹っ飛ばされる。JRADのメンバーは皆化け物だよ。彼らはコルトレーンやマイルス・ディヴィスみたいなものだ。カバー曲もたくさんやるけど、それをしっかり自分のものにしている。とても高度な音楽性をもって曲を再解釈し、味付けして彼らのオリジナルにしているんだ」

 

 「Ode to Joy」はすでにここ数年のウィルコのアルバムの中で最も高い評価を得ている。何枚かの「左寄りの」アルバムから、また、実り多い「休暇」から戻ってきた6人のミュージシャンの「和」によるところが大きい。おだやかで風のような「Before Us」ですべり出し、シングル曲の「Everyone Hides」へと高く舞い上がり、ウェットな嘆きを含む「White Wooden Cross」へ、そして注意深く作られたリードトラックの「Love is Everywhere(Beware)」。このアルバムはバンドがclassic(昔ながらの)な時間を持つことで生まれたclassic album(代表作)だ。

 

 ジェフ:「バンドの皆は活動休止後、新しい使命とそれに対する感謝の気持ちを持って再び集まった。バンドとしてはウィルコにはそれまであまり「感謝の気持ち」みたいなものはなかったんだ。活動休止の直前、俺たちは疲れていたんだよ。活動再開後は皆でたくさん演奏したし、全員がこのバンドの一員であるということに深く感謝した。これはかなり「遅すぎた感謝」だったけど」

 

 グレンもジェフの言葉に勢いよく同意する。「僕はウィルコのアルバムはどれも素晴らしいしエキサイティングだと思う―そう思わずにはいられない。すべてのアルバムが大好きだ。でも「Ode to Joy」はほかのどのアルバムよりも自分に共鳴する。僕は今でもこのアルバムをよく聞いているし全然古くならない。これからもきっと何度も聞くだろう。自分たちが作ってるのにね。そして僕はちょっと待てよ、と少し後ろに下がって、引いて見てみる。だってこれからずっとこのアルバムの曲をステージで演奏するんだし、今後何年もかけて自分の中の大きな部分になるアルバムなんだから、使い尽くして燃え尽きさせてしまいたくないんだ。でもこのアルバムに関しては、今でも聞くたびに毎回新しい発見があるんだよ。『これパット? ここはネルス? この音はジョンかな? わからないよ!』って。そんな小さな発見が山ほどあるんだ」

 

 ネルスはいつもストイックな受け答えをするが、今年のSolid Sound Festivalの後にジョンが共同経営者として参画しているホテルに何人かのバンドメンバー及びその家族と一緒に滞在して数日息抜きをしたことを話すときには、楽しげな笑いをこらえることができなかった。「皆が言うんだよ。『君たち、このフェスのためにずっと一緒に働いてきたのに、フェスの後の休みのときまで一緒にいるのかい?』って」「活動休止中、全員が100%ハッピーではなかったとは思う。でも間違いなく、活動再開した時には全員がいい感じに始められたと思うんだ」

 

 彼はここ数年で築いた自身のキャリアとギタリストとして引っ張りだこの名声に誇りを持っているが、現時点では「いつでもツアーに出て、ずっとツアーしていられる」とあてにされているわけではないことはわかっている。

 

 ネルス:「ツアーに出ている間ずっと妻やうちの犬に会いたいし、うちのアパートに帰りたいと思っている。それにNYにも。でもいつも『ダウンタウン』なことばかりしてはいられない。私はそういうタイプの人間ではないんだ。NYで経済的に生き残るためにはやらなくてはならないことがたくさんありすぎて頭がおかしくなってしまう。自分はそんなにたくさんの金は稼げなかったし、ここでの生活にはとにかく金がかかるんだ。アメリカでインプロヴィゼイションの音楽をやって(私ができる数少ないことだが)ツアーをして金を稼ぐのは大変だ。音楽が私を生かしてくれて、生き続けさせてくれることは確かだが、ツアーをして十分な金を稼いで、関係者に払って、家族を養う、その基本的なことがとても疲れることなんだ。私は今までに少しばかりの作品を作ってきた。きっといつか誰かがそれを聞いてくれると思う。でもその日までの間も私は自分のために更にノンストップで音楽を作り続ける。音楽を愛しているから。これが私の人生だ」

 

 グレン:「こんな風に皆で一緒に作品を作れるのは素晴らしいことだと思う。長い間一緒にバンドをやってきた。やめようという気は全くない。僕らは常に進化しようとし続けているし、常にこれまでとは違うことに挑戦し続けている。新しい創造を続けるために。それに最近僕たちは、一緒にいられないときにもいつも周囲のすべての人たちに感謝しているんだ。奥さんや子どもたち、バンドのメンバーたちにも。僕たちは実際中年のバンドとしては貴重品と言っていいくらいうまくやっている。一緒に演奏するのが大好きだしお互いに尊敬しあっている。一緒にいると楽しくて大笑いすることもある。しばらくバンドを離れたら皆考え始めるんだ。『バンドに戻る準備はできてる、僕らがどんなことができるか見せてやる準備はできてるぞ』って」

 

 ジェフはバンドの現在の地位や長年の成果や経験について説明するときに禅問答的な言い方をする。「まるでヒーローになりたくて頑張ってるみたいな奇妙な衝動なんだ。俺たちの音楽を真剣に受け止めてほしい、本物の音楽だと思われたい、って欲求は。でも本物であろうと考え始めたら、それは本物ではなくなるのさ」

 

 そしてまたグレンも、これまでにバンドが数々のアルバムを送り出すのを見てきた。「もし今日全てが終わってしまったら、きっとものすごく落胆するだろう。だって僕らには言いたいこともやりたいことも、まだたくさんあるんだから。ジェフと一緒にスタジオに戻ったとき、ずっと考えてた。『この曲をやりたい!』って。ジェフはとてもたくさんの曲を書いてきた。そして僕たちが一緒に曲を作っていくときは、いつもとても素晴らしい気持ちなんだ。『この曲がウィルコの曲になるんだ。この曲がウィルコの曲になるんだ』って」

 

 ネルス:「私はバンドの他のメンバーよりかなり年上なんだけど、そういう意味ではいいリーダーではない。何かを起こすための行動をする、という面ではね。私は音楽や芸術的な計画を自分に課すときや自分のバンドの形を決めたりするときはちょっといいかげんなんだ。単純に、音楽はそれ自体素晴らしいと思っているからね。ウィルコの活動休止によって、ウィルコとしての美学的な見地から見た活動と自分自身の音楽とのバランスが驚くくらいに自分の中で取れていることに気づけたのはいいことだった。ゆっくり休んで心身のケアができたし、ただ音楽に集中するための休息でもあったんだ」

 

 

(この記事のオリジナル版は『Relix』2019年12月号に掲載されました)